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介護職に就いた私の理由(わけ)

さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。


●インタビュー大募集
「このコーナーに出てみたい(自薦)、出してみたい(他薦)」と思われる方がいらっしゃったら、
kawase@chuohoki.co.jp
までご連絡ください。折り返し、連絡させていただきます。

花げし舎ロゴ

花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第114回 お年寄りや子ども達、地域の人がつながりをつくる居場所をつくりたい! 
閉ざされた介護から、開かれた介護へ 核家族の孤育てから、地域ぐるみでの子育てへ

宮本亜佳音さん(35歳)
特定非営利活動法人 わっかのいえ
(千葉・八千代)

取材・文:藤山フジコ

違いを認め合う社会にしたい

 20歳で第一子の男の子を出産しました。生まれたときから全身の体毛が金髪で(色素の障害)、まわりから若い母親が赤ちゃんの髪の毛を染めていると批判的に見られることが多々ありました。
 長男が小学校へ入学する頃、金髪から染めたような赤い毛に変化してきました。そのことで学校で苛められたりして、なぜなのかな……と考えたとき、生まれたときから体毛が金髪の子どもがいるという知識がないからなのだと気づいたのです。自分達と“違う”ということの恐怖心から攻撃的になってしまう。違いを排除するのではなく、それぞれを認め合う地域づくりをしていきたいと思ったことが、後の「わっかのいえ」をつくるエネルギーになりました。

「わっかのいえ」の原点となったおばあちゃんとの出会い

 子どもを育てながら仕事を続けていたのですが、双子の妊娠を機に、主人が立ち上げた不動産業(株式会社 daibeam)に参加。不動産の知識はなかったのですが、手伝ううちに、この仕事は地域の中の身近な存在なのだと実感しました。
 手作り雑貨もお店で委託販売していたのですが、それを見にひとりのおばあちゃんが毎日店にやってくるようになりました。「こんな雑貨、アタシのほうが上手くつくれるよ!」と悪態をついて(笑)帰っていくような近所では有名なおばあちゃんでした。しかし、2011年、旦那さんが急逝されたタイミングで東日本大震災が起きて鬱病を発症されてしまって。夫婦で身寄りのないおばあちゃんのお世話をしていたのですが、病気はどんどん進行していきました。
 一緒に病院へ行くと大量の薬が処方されていて、そのことが気になっていました。そのうち認知症の症状も出て、おばあちゃんの自宅へ行くと、地域包括経由で届いたお弁当が手つかずでカビて玄関に山積みになっている。おばあちゃんは、奥の部屋でテレビも付けず呆けた感じで寝っ転がっていて。お風呂にも入っていない状態でした。やっと遠縁の親戚が見つかり、施設に入所できることになりました。施設長とお会いして、気になっていた大量に処方されている薬の話しをしました。後日、おばあちゃんを別の病院で診てもらうと「あんな処方で薬を飲み続けていたら起き上がることができなくなる」と言われました。
 本人も、だんだん記憶があやふやになっていく自分が不安で、「花がきれい」など、その日感じたことや、あったことを短い言葉で日記に書き続けていたのです。それを読んだとき、やるせない気持ちになりました。地域の繋がりの希薄化が進むと、このおばあちゃんのように何らかの支援が必要な人が孤立してしまいます。おばあちゃんの一件で、地域で支え合い、助け合うことは大切だと思い、多世代が交流できる場をつくりたいと強く思ったのです。

みながありのままでいられる、地域を体感するイベントを開催したい!

 先ずは、フリーペーパー「わっか」を発行することから始めました。地域のお店の紹介や地域を再発見する企画を発信しつづけると、少しずつ読者も増えていき、「わっか」を置いてくれているお店同士、読者同士の繋がりをもっと広げたいと、屋外で「ヤルシェ」という体験参加型のイベントを企画しました。2年目からクラウドファンディング(*注)でイベントの資金を募り、寄付して下さった方には、地域の障害者福祉施設で作ったグッズをお返ししました。このときのイベントには、グッズ作りを協力して下さった福祉施設の「友愛みどり園」の皆さんが100人くらい来て下さり、念願だった地域と福祉が繋がることができ、今日に至ります。

 始めは夫婦二人だけで始めたことが、共感してくれる人が増えどんどん人の輪が繋がっていきました。5回目を迎えたときのヤルシェは1万人を超える来場者で大盛況でした。年に1度のヤルシェのイベントだけでなく、年代、性別、障害などの垣根を越えた場所を作りたいと思い、今年3月、八千代市に「わっかのいえ」をオープンしました。それまで4年間、任意団体として活動してきましたが、わっかのいえはNPO法人としてスタートしました。

念願だった「わっかのいえ」の誕生

 一軒家を自分達でリメイクし、1階は高齢者サロン、2階は食事処と子育て支援、3階は雑貨販売と工作室になっています。当初、1階のサロンでデイサービスを立ち上げる予定だったのですが、私達のやりたかった“お年寄りと子ども達が行き来する自由形サロン”は認められないと行政に言われてしまったのです。だったら「わっかのいえ」らしい介護をやろうということになり、介護保険既定の単位数を超える人、未認定の人でも利用できる介護保険を使わない自費型のサービスを提供することにしました。1日送迎付きで3000円です。
 実際、このサービスを利用されている方ですが、歩くことが不自由で要介護だったのが要支援に下げられ、介護サービスは週2回の入浴介助だけで使い切ってしまい、通所のサービスは受けられなくなってしまいました。自宅で過ごす時間は寝ていることが多くなり、何とかしたいという娘さんからの情報がヒントになりました。

 その他、ふれあいサロンでは、地域のお年寄りと2階にいる子ども達が一緒に、ワークショップでモノ作りを楽しんだり、ごはんを食べたり。支え合い活動は、介護保険で賄えない家事のサービスなど、社会福祉協議会と共同で取り組んでいます。

人と人がつながるコミュニティーを作っていきたい

 わっかのいえを始めるまで、お年寄りがこのような場所を求めていると思っていたのです。しかし、ふたを開けてみると、小さな子どもを抱えた若いお母さんの方が、「お年寄りから子育てのアドバイスをしてほしい」とか「お年寄りに昔の遊びを教えてほしい」など言われることが多く、核家族化が進み、育児に関する古い知識の伝達というものができなくなってきていることを感じます。
 また、高齢者は考え方が閉鎖的で、迷惑をかけたくないと、老老介護になっていても家から出て来ず、助けを求めない。伴侶を亡くされた高齢者もひとりで孤立してしまうことが多いのが現状です。そこで、家から一歩でも出ていただくために「わっか食堂」をはじめました。独居老人や子ども達の孤食を少しでも減らしたいとの思いからです。だれでも気軽に来れて、みんなであたたかいご飯を食べる。シンプルだけど生きていくうえで大切なことだと思います。

 これからは「わっかのいえ」がなくてもよい地域にしていきたい。血縁関係がなくとも、近所のおばあちゃんの家に気軽に立ち寄れて、お互いに気遣いあい、お互いが助けあうことが当たり前のコミュニティーを作っていきたいと思っています。

(*注)^ プロジェクトのための資金を調達できない個人・団体が、ソーシャルメディアをはじめインターネット上で企画内容と必要な金額を提示し、広く支援を呼びかける手法。


年に1度のヤルシェのイベント

お年寄りと子ども達が行き来する自由形サロン

【久田恵の視点】
 地域は、いろんな世代がいろんな条件の下で交じり合って暮しています。それが自然な形。でも、いつのまにか子育て中の母親、高齢者、介護の必要な高齢者・・・、というように分けられて、交流が閉ざされ、お互いが助け合う機会を奪われていきました。何年もかけて、地域をあたり前に戻そうとした宮本さんの情熱に、大事なことを気づかされます。