メニュー(閉じる)
閉じる

ここから本文です

介護職に就いた私の理由(わけ)

さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。


花げし舎ロゴ

花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第103回 美容室へ行けない方たちにきれいになって笑顔を取り戻してもらいたい

小池由貴子さん(38歳)
訪問美容 と和
コミュニティサロン と和
代表・チーフディレクター
(東京・豊島)

取材・文:久田 恵

美容を受けられない「美容難民」、私自身がそうでした

 私が、訪問美容「と和」を立ち上げたのは2011年。

 店長をしていた池袋の美容室を辞めて、たった一人で始めました。

 キッカケは28歳の時に「骨巨細胞腫」という足に腫瘍ができる病気になり、大きな手術を受け、車椅子生活になって介護を受ける身になったことでした。

 群馬の実家に戻って療養をしていましたが、当時、私は車椅子姿が恥ずかしくて、引きこもる生活になっていました。鏡を見ると、カラーリングも色褪せ、メイクもせずに1日中パジャマ姿。「もう自分の人生は終わり」というような心境に陥っていました。その時、美容師の後輩が自宅に来て、前髪を5センチ切ってくれました。それだけのことで、私はまるで元の自分を取り戻したような喜びを覚え、リハビリを頑張って美容師に戻ろう、という思いになれたのです。前髪5センチの希望の光。これが「美容のチカラ」なのだと思えました。

 でも自分には美容師の知り合いがいて髪を切ってくれたけれど、在宅介護を受けている人にはキッカケもなく美容を受けられない「美容難民」になっている人が多い、そのことを自らの体験で知り、訪問美容を始めようと決意したのです。

訪問美容を社会の「あたりまえ」にしたい

 一人で新しいことを始めることには不安はありませんでした。

 自分には、大病を患った原体験があるので続けることしか考えませんでした。

 でも、実際は大変でした。

 美容師のキャリアはあっても、介護のことは分からないし、在宅での施術で、落ちた髪の毛をどう片付けるのか、カラーリング後のシャンプーやベッド上でのカットとかはどうやってするのかなども分からない。施設や病院との法人契約を頂いたときも、契約書、請求書、領収書など、雇われの店長として店舗勤務していただけでは知らないことがたくさんありました。

 その一つひとつを自分で経験しながら試行錯誤して続けました。

 そして事業を進めるにつれて、もっと訪問美容を社会の「あたりまえ」になるようにしたいと強く思うようになり、ビジネススクールに通いました。勉強の成果は、経済産業省後援のビジネスコンテストで優勝という形で実を結び、ビジネススクールの創業者・初代学長の中村大作さんにも評価を頂きました。

 そのことが、さらなる人生の転機になりました。

 訪問美容をソーシャルビジネス(社会的企業)として新たに法人化し、経営基盤を整備していくことができたのです。中村さんから経営スキルを提供してもらい、私の美容スキルとの相乗効果で、社会を変えようという使命が現実のものになっていきました。一緒に会社を立ち上げて5年、今では、美容事業部のスタッフが10名になりました。全員が女性美容師で、10年以上のキャリアを積んでいて、かつ全員が介護ヘルパーの資格を取得するようにして、訪問美容の品質向上を図っています。

お客様が、美容師の訪問する日を待っていてくれます

 これまで美容は、福祉とは遠いところにありました。

 ですから、美容師には福祉分野にキャリアチェンジしたい人は多くはいません。その中で、当社のスタッフは、それぞれに原体験があって、当社の理念に共感を持って入ってくる人ばかりです。

 お客様への初回の訪問は、ご家族やヘルパーさんに立ち合って頂いています。

 元気な時のようにはもう戻れないと思っていた方が、1回目の訪問では「適当に髪を切ってくれればいいです」と投げやりな感じで言っていたのに、実際にきれいになると、「あら、今度パーマをしたいいわ」とおっしゃるようになられます。訪問回数が重なるにつれ、「次はエステしたい」「ネイルもしたい」、そして、「外に出てお買い物したい」と意欲的になられたりするのです。美容は人の心を高揚させ、行動さえも変えます。訪問の日を、お客様には本当に楽しみにして頂いています。ご自宅のカレンダーに「訪問美容の日」と印をつけ、パジャマ姿ではなくて、おしゃれをしていたり、メイクをして、私たちの訪問を待って頂いています。

 私は訪問美容を始めた時は、美容室に行けなくなったら、ご自宅まで訪問するのが一番だと思っていました。が、「元気になったら外に出掛けたい」というお客様が多くいらっしゃることを知りました。そこには、本当は美容室に行きたいけれど、車椅子だから入れない、高齢者は歓迎されないなどといった、美容室のハードの面での環境が整っていないとか、美容師側の理解不足に原因があるのだな、と気付かされました。

誰もが美容を受けられるバリアフリーの美容室をオープンしました

 お客様の「元気になったら外に出掛けたい」というお気持ちを叶えるために、巣鴨地蔵通り商店街の真ん中に「コミュニティサロン と和」という訪問美容の拠点ともなる美容室をオープンしました。

 その一番のキッカケになったのは、40代で脳梗塞になり、体感不安定で失語の後遺症のある在宅訪問のお客様でした。車椅子を使うなどの自分の病状では、美容室に行っても断られるばかり。しかたなく彼女は、自分の住むマンション1階の床屋さんに行ってみたようです。でもそこでも断られたことで、私たちにご依頼を頂くことになった方でした。

 その経緯を伺い、外出が出来ても、美容室の環境不足、美容師の理解不足でお断りされてしまう方々もまた「美容難民」であることに衝撃を受けました。

 お店を立ち上げたとき、彼女にお知らせをしたら、「どうしても行きたい」とおっしゃって、ご主人と一緒に介護タクシーでご来店頂きました。美容室でシャンプー、カット、パーマをして、巣鴨地蔵通り商店街で久々にお買い物を楽しまれました。そのことが本当に嬉しかったとお礼のメールを頂きました。私にも忘れられない1日となりました。

 訪問美容は一見、高齢者や要介護の方のためと想像されがちですが、介護をしているご家族様、心の病気、療養中で脱毛に悩む方、子育てママなど、美容室に行くことができない方は、とても多様な事情を抱えています。そのような皆様のため、私たちは、訪問美容でも美容室でも、どちらでも美容が受けられる環境作りをしています。

 訪問美容の場合、出張料・交通費は頂いていません。

 さらに、美容室「と和」がある豊島区では、要介護4以上の介護認定を受けた方に、美容券を発行していて、無料もしくは少額で訪問美容をご利用頂けます。

 訪問美容できれいになって頂くことで、「元の自分を取り戻す」という気持ちになられる、それが「生きるチカラ」になる、その実感を日々気持ちに刻みながら仕事を続けています。


「コミュニティサロン と和」の店内は、完全バリアフリーです。

【久田恵の視点】
 介護現場にヘルパー資格を持ったベテラン美容師さんたちが入る時代になりました。いろんな職種の方たちが、「あたりまえ」のように参加してくることで、社会の介護観も変わっていきますね。介護難民解決のために方向転換された在宅介護の推進が、実は地域のコミュニティを再形成し、介護の社会化を後押しする力になるのだとしたら、素晴らしいな、と思います。