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介護職に就いた私の理由(わけ)

さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。


●インタビュー大募集
「このコーナーに出てみたい(自薦)、出してみたい(他薦)」と思われる方がいらっしゃったら、
kawase@chuohoki.co.jp
までご連絡ください。折り返し、連絡させていただきます。

花げし舎ロゴ

花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第92回 17歳のときに認知症棟を知り介護の道へ 
皆が笑顔になる施設を目指して

小松川大輔さん(31歳)
ハッピーシニアリビング上田 施設長
社会福祉士・介護福祉士・
福祉住環境コーディネーター2級
(長野・上田)

取材・文:藤山フジコ

福祉の道に進むことを決心した幼馴染の存在

 2歳のとき東京から母の故郷である長野県千曲市に家族で引っ越してきました。

 隣の家に住む女の子に知的障害がありました。僕はひとりっ子だったので、一緒に遊び共に成長してきた彼女は兄弟のような存在でした。そんな彼女が人と少し違うということで苛められたりする姿を見て、「障害があるというだけで、ありのままを受け入れてもらえず生きづらい。こんな社会って何とかならないのかな」と中学生の時に福祉の世界に進むことを決意しました。

認知症棟でのカルチャーショック

 高校2年のときに学校で教育体験があり、特別養護老人ホームへ行きました。当時の特別養護老人ホームは、グループホームではなく認知症棟がある施設でした。最初の1週間はデイサービスでの実習。その時の自分は髪の毛が真っキンキンの金髪。「なんだコイツ」って思われると思っていたのですが、意外にも職員さんや利用者さんが、物珍しいのが来たな~という感じで受け入れてくれたんです。僕には祖父母が他界していなかったので、おじいちゃん、おばあちゃんってこんな感じなんだろうなと、お年寄りの優しさに触れ気持ちが温かくなりました。

 2週間目に認知症棟の方へ行くことになりました。職員の方に居室を案内されたのですが、ドアが内からは開けられない鉄格子。職員がボタンを押すと鉄格子がウィーンと開き、利用者さんがツナギを着てベッドに拘束されていたり、畳の上に寝かされていたり。当時は措置の時代だったのでそういった処遇が当たり前の頃だったのですが、17歳の僕は「なんだ、ここは!」と凄いショックで。ツナギから便や尿が出てしまい、気持ちが悪くてモゾモゾしているのも分かる。見ちゃいけない感じがして、直視できませんでした。

 デイサービスで接した優しいお年寄りの最後がこんなことになってしまう現実を目の当たりにして、やりきれない思いになりました。このことで高齢者の権利擁護を学びたいと強く感じ、大学の社会福祉学部へ進みました。

大学のゼミで学んだお年寄りとのふれ合い

 大学のゼミで「福祉の基本は地域から」と学び、それを実践するために大学の麓にある地域の老人会とゼミの学生との交流を始めました。“地域通貨”という仮想通貨(お年寄りと学生の間だけで使える)を使い、お年寄りだけでは大変な畑や田んぼ仕事、力仕事、話し相手などを手伝い、報酬として地域通貨(無料)をもらい、ご飯をしょっちゅうご馳走になりました。いただいたものの方が多かったですね(笑)。

 認知症予防の体操や認知テストなども頻繁に行うことで地域が活性化され、生の現場で学ぶことができ勉強になりましたね。

 その後、関東の大手有料老人介護施設に就職が決まり上京しました。

職員全員で入居者さんを看取る

 新卒で配属されたところは築30年の古い施設でした。施設の中は昔のつくりで、病院のような多床室がいくつもありました。

 人の看取りも初めて経験しました。様態の悪くなった入居者さんを日々介護し観察していると、体温や脈などで亡くなられる時間というのがだいたい分かってくるのですね。そうすると、それが夜中でもスタッフが何も言わず集まってくるのです。施設の決まりではなかったにも係らず、「もう、そろそろだね……」ということになると全職員、厨房スタッフまでが集まってきて最後の看取りをしました。入社したばかりの僕は「なんていい施設なんだ」と感動したのを覚えています。施設は古かったのですが、施設長が人を大切にする人で、職員同士の人間関係も良く仕事が楽しかった。

 多床室はプライバシーがないので入居する方は敬遠されるのですが、その施設は人間力(職員)でカバーできていました。

 25歳のとき、施設長に抜擢されました。一番大変だったことはご家族が「若い施設長で大丈夫なのか」と不安に思われることでした。ちょうど2011年の東日本大震災が起こった頃で、福島の被災者を施設に受け入れるために奔走していたら、40人いた年上の部下の人達やご家族とも自然と絆が深まり、いろいろと支えられ、助けてもらいました。ここでの5年間が一番自分を成長させてくれたと思います。

 施設長になってから1年半たった頃、オーナーの都合で施設を閉めなければなりませんでした。ここを終の棲家と思って入居された方々を別の施設に移っていただかなくてはならず、入居者さん、ご家族、職員との別れが今までで一番辛い経験でした。

新しい施設に大切なことは理念を浸透させること

 その後、新しく施設を立ち上げるオープンプロモーターの部署へ異動になりました。施設はオープンしてから3か月が一番揺らぐときなのです。3か月という短いスパンで教育システムを構築することは大変でした。ここで学んだことは、“介護理念”を職員に浸透させることが施設にとって一番重要だということです。たとえ介護技術が乏しくても“入居者さんが幸せになる介護”という理念がベースにあれば、技術以外でも補っていける。少々ぶきっちょでも一生懸命介護すれば、その人の役に立ちたいとうの思いが相手に伝わります。その理念を発信し続けていくのは施設長の役目だと思います。それが上手くいった施設は、その後スムーズに運営していけました。

サービス付高齢者専用住宅の2時間ルール

 母の具合が悪くなり、故郷に帰ることを検討しているとき、同じ会社で働いていた先輩の紹介で山梨のサービス付高齢者専用住宅の改善業務の仕事に就くことになりました。

 特定施設と違い、サービス付高齢者専用住宅では、訪問介護に入るとその後2時間空けなくてはならない(介護に入ってはならない)2時間ルールというものが発生します。利用者の方が本当に困っているときに人手はあるのに介護できないというジレンマに苦しみました。これは実際に現場で働いていない人が作った国の制度だと感じました。

 そのサービス付高齢者専用住宅は医療モールの中にありました。産婦人科、皮膚科、整形外科、眼科、泌尿器科、薬局などさまざまなクリニックが集合し同じ敷地で治療を受けられ、また複数の科目を1日で受診することも可能なので地方都市では最適な形だと思います。

シンプルで気持ちの良い働き方

 さらに母の容態が悪化し、会社が派遣会社も運営していたので、その繋がりで長野に帰郷し派遣で働くことになりました。そこが今勤めている施設になります。

 関東の施設は競合業者が多いためサービスの質が求められています。競い合う文化ってお互いを高め合っていいことだと思います。団塊の世代が後期高齢者となる2025年には介護の必要な高齢者が増え、地方と関東の差はなくなっていくだろうと考えています。そのためには関東と変わらない一人ひとりに合ったサービスを提供していかなくては生き残れないと感じています。

 以前の職場で忙しくて自分を見失いそうになったとき、尊敬する上司に「誰のために働いているの?入居者さんのためだよね」と言われ目が覚めたことがありました。すごくシンプルで気持ちのよい働き方ですよね。これからは職員が楽しく働ける環境を整え、利用者さんも幸せな気持ちになってもらえる介護を目指して長野で頑張っていこうと思っています。

笑顔の絶えない明るい施設。職場の仲間と一緒に

【久田恵の視点】
 介護の仕事に打ち込んでいる方には、その方向へと背中を押されることになった体験を持つ方が多いものです。家族の中でも、介護を担う人は、なぜか選ばれてしまった人、とよく言われます。若くして施設長の立場に立つことになった小松川さんもそういう方のお一人のようです。そのことに誇りと矜持を持って、介護の世界に新風を吹き込んでくれるにちがいありませんね。