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介護職に就いた私の理由(わけ)

さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。


花げし舎ロゴ

花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第91回 営業職からデイサービス起業へ 
その人の痛みを理解し、その人の人生に寄り添う。
大切にしたいのは、そんな温かな介護。

小柳正夫さん(55歳)
宅老所 しあわせのき
管理者/専務取締役
(神奈川・横浜市)

取材・文:原口美香

日本の経済を作り上げてくれたのは、利用者の方々

 「しあわせのき」がオープンして4月で丸3年経ったんです。始めるときに、一つだけ決めていたことがありました。利用者の方は、高齢で子どもに返っている方もいるけれど、子どもじゃない。だから、一人の大人としてちゃんと接しようって、それは自分の中にずっとありました。

 ヘルパー2級の資格を取るための研修先で、あるデイサービスに行ったんです。紙で作った魚の先にクリップをつけて、それを床にばら撒き、たらした紐の先に磁石を付けて、それで魚釣りをしているんですね。そのゲームに男性の利用者の方が参加していました。「○○さん、5匹釣れましたね!」とスタッフが明るく言うと、その方は苦笑い。一生懸命楽しませようとしているスタッフに、付き合っているような感じでした。こんな子どもじみたことはやりたくない、と心で言っているのが、何となく伝わってきました。それで、自分が立ち上げたときには、そういうのはやめよう、と決めました。利用者の方たちは、日本の経済を作り上げてきてくれた方々だ、という思いがすごくあったんです。ちょっとしたこだわりなんですけれど、利用者の方に対して、赤ちゃん言葉はやめようとか、子ども扱いしないとか、そういうことが一番大きいかな。スタッフにもそれはずっと言ってきたことですね。「あなたの親を入れたいと思うような、あなたが入りたいと思うような、そういうデイサービスにしてください」って。

在宅で義母の介護

 僕は高校を出て大学は行かず、いったんは設計製作の会社に就職しました。そこの会社では、設計の仕事はエリートで、現場の人間はその下に見られるという雰囲気がありました。それで悔しくて、働きながら学費を稼いで専門学校、その後大学にも行きました。大学を卒業してからは、ずっと営業職です。

 妻と結婚した時、妻の母がここに一人で住んでいたんですね。妻の母はアルツハイマー型認知症になっていました。それで新しくマンションを買うよりも、ここに入って義母の面倒をみることにしたんです。最初は自己流で介護を始めました。同じ頃、実家の父もアルツハイマー型認知症になってしまって。それで家をバリアフリーにして建て直すということにしたんです。いずれ、うちの親も引き取って、シェアハウスのような形にできたらいいな、っていう考えもありました。

 妻は今もそうですけれど、ヤマハと自宅で音楽の教室を持っていました。僕は仲間と会社を立ち上げて、ファイナンシャルプランナーとして、顧客から依頼を受けて将来設計や、相続、事業承継の相談などの仕事をしていたんです。僕の方は時間に融通もきくし、お互いやりくりをして、おばあちゃんをみながら仕事に通いました。ちゃんと介護を学んだ方がいいと考え、ヘルパー2級の資格も取得しました。10年くらい在宅で介護し、同じ年に両親が亡くなって、下のスペースがガランと空いたんです。もともと2世帯で作ったから、アパートで貸すことも考えたんですけれど、せっかく学校に通って資格も取得したし、同じファイナンシャルプランナーで介護に造詣が深い人がいて、その人や町内会の人たちが「デイサービスでもやったら?」と進めてくれたんですね。他に応援してくれる人もいて。それが起業したきっかけになりました。

今できることを大切に

 始めたころは、経験者の人を雇って管理者としてやってもらっていたんです。ところが、なかなか上手くいかなかった。せっかく入ってくれたスタッフが辞めていったりもしました。それで元いた会社を辞めて、自分でやろう、と決断したんです。ずっと営業畑できたので、あまり戸惑いはなかったですね。何とかなる、と思っていました。妻が音楽に携わっているので、先生仲間や、かつての教え子たちが協力してくれて、コンサートをやってくれるんです。その繫がりで、現在プレイヤーとして活躍中の方など、いろいろな方が演奏に来てくれます。音楽のイベントは、毎週のようにやっていますね。あとは、施設の近くに畑を借りて、利用者の方と野菜を作ったり、たけのこ掘りや山菜を採りに出かけたりもしています。

 これからは新しく変えようと思っていて、今までは、こちらに来て楽しんでもらおうと、提供することがメインだったところがありました。でも、利用者の方は、まだまだたくさんのことができるんですね。あるとき、洗車をしていて、認知症の男性利用者の方に「拭くのを手伝ってよ」と言ったら、すごく丁寧に隅々まで拭いてくれたんです。あとでご家族に聞いたら、昔、車が好きだったとのことでした。それから、他のご家族とも話し合って、その方に合う、今できることことをやってもらったらどうか、ということになったんです。洗車でも、掃除でも、料理でも何でもいいんですけれど、普段と変わらない日常を過ごしていただく。その提案には、ご家族も喜んでくれました。「『しあわせのき』に行くと働かせられる」と言われてしまいそうですが、誰かのために力を貸してもらう、そういうことが、利用者の方の活力にも繋がってくるのかな、と思います。記憶や身体の機能が衰えてくる中で、利用者の方が生きがいを持っているって、すごく大切なことですよね。活き活きして生涯元気でいる。80歳になったからダンスをやめた、じゃなくて、今できるダンスをやればいいじゃない、って。「みんな一緒に、これをやりましょう」じゃなくて、それぞれの方が、今できることを大切にしたいと思いますね。

愛情を持って接すると伝わる

 食事もこだわりの一つなんですよ。お弁当やレトルトを出すところも多いんですけれど、うちでは全部手作りなんです。利用者の方で、他ではあまり食べないけど、うちでは完食という方もいます。おやつは、僕もよく作るんですよ。クレームブリュレとかね。去年は畑で、さつまいもが30キロくらい採れたので、スイートポテトを作りました。夜中に2時間くらいかけて漉して、本格的にしたいからちょっとラム酒を入れたりして。

 パーキンソン病の方が書いた「手紙~親愛なる子供たちへ~」という歌があるんですけれど、僕はそれを聞くと、泣けてきちゃうんです。ご飯をポロポロこぼしても、私につらく当たらないで、旅立つための準備をしているんだから、というような歌なんですけれど。親父の姿と重なってしまうんです。認知症で親が壊れていくって、あると思うんです。確かに介護で大変な時もあると思うんだけど、その方もずっと頑張ってきて、その方の人生があって、変わっちゃったから何かじゃなくて、もっと温かい目で見てほしいな、って思うんですよね。つらかったら、我々がヘルプしますよ、と。利用者の方ともそうなんですけれど、愛情を持って接していると、それは必ず伝わるんですよね。

 大手の施設を見に行っても、最終的には「しあわせのき」を選んでくれた方もいます。見てる人は見ていてくれると思うので、これからも手を抜かない内容でいきたいと思いますね。

しあわせのき 外観
施設名は、植物の「しあわせの木」と「気」のパワーを大切にしたいという思いから名付けた

みんなでたけのこ掘り

ここで季節の野菜を作って収穫する

【久田恵の視点】
 これまでの高齢者は、「老いとは、社会で役に立たなくなること、子ども返えりをすること」、そんな固定した考えに虐げられてきました。在宅で介護をしていた頃、派遣されてきたヘルパーの方から初対面だというのに、「おばあちゃ~ん」と言って抱きつかれた時の、母の絶望した表情が忘れられません。
 介護の現場で一番大事なことは、「高齢者への尊厳」ですね。小柳さんのような価値観を持って、高齢者にむき合える人の力で、これからの介護観は大きく変わっていくに違いありませんね。