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介護職に就いた私の理由(わけ)

さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。


花げし舎ロゴ

花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第89回 介護のイメージを変えていきたい 
働く人も夢を実現できる場所に

佐藤美鈴さん(52歳)
株式会社ぶらんち
代表取締役

取材・文:石川未紀

「高齢者を相手にした仕事が向いている」??

 出版社を寿退社し、子どもが二人生まれて主婦をしていた頃、元夫に言われたんです。「高齢者を相手にした仕事があっているかもね」と。
 そのときは、まったくぴんとこなかったんです。小さいころから、華やかな世界にあこがれがあって、出版社に入社したのも、マスコミの世界にあこがれがあったから。介護とか福祉とかに関心もなかったし、無縁のところで生きていました。
 ただ、町を歩いていると、とにかく高齢者の方が私に声をかけてくれるんですね。
 それで、そんなものかなあと思いながらも、子ども二人を連れて、地域の公民館に行って、高齢者の方に子どもをみてもらいつつ、一方で私は高齢者の方のお手伝いをするというボランティアをしていました。
 介護保険が始まるということで、育児サークルに子どもを預けながら、当時のヘルパー二級の資格をとって、その後、登録ヘルパーというかたちで働き始めたのがこの業界に入ったきっかけです。

介護業界でバリバリ働いてやる気も収入もアップ

 夫との離婚を決意したとき、子どもをどうやったら食べさせていけるかなと考えたんです。そのとき、やはり私には介護の仕事だなと。訪問介護事業所に正社員として就職して、運営とか経営にも携わりました。とても楽しかったし、やりがいもありました。その後、ダスキンが介護事業に参入するというので、転職。それまでいた会社もよかったのですが、やはり、子どものために収入も大事でした。世田谷の事業所に配属になって、赤字を半年で黒字に、一年でナンバーワンにまでしました。
 結果を出せて収入もアップ、充実してはいたのですが、孤独死とか、いろんなことに直面した時でもありました。在宅が一番と思っていたけれど、どうなんだろうと。何しろ好奇心旺盛なものですから、施設系も覗いてみたいと思いまして…。ワタミが、新規参入するというので転職したんです。副施設長兼営業という形で現場に立ちつつ、新規立ち上げに携わりました。営業に専念してからも困難事例も立て直して、昇格もし、本社でバリバリやっていました。あのころはワタミの看板を背負って、セミナーを開催したり、いろんな会社の社長さんたちとお話ししたり、そうした縁や人脈が今につながっていて、よかったなってつくづく思います。新しい事業であったデイを軌道に乗せることができたとき、なんかやりきった感があって。別の仕事をしてもいいんじゃないかと思って辞めちゃったんです。

本当にやりたい介護をもとめて

 ところが、退職届を出したその晩に知り合いの女社長が介護施設のコンサルタントをやらないかと。結局、また介護の世界だったんですけど(笑)。それから一年くらいコンサルタントの仕事をしたとき、ある人から「そろそろ佐藤さんの思いを形にするときなんじゃない?」と言われたんです。私も今かなと。そして、「ぶらんち」を立ち上げたのは2015年のことです。
 介護の世界って、なんか介護保険の枠からはみ出さないようにやるのが使命みたいでしょう。ニーズにこたえるんじゃなくて、介護保険に当てはめるのが仕事みたいな。それって利用者のためにもならないけど、働いている私達だって楽しくないでしょう。働いているほうも、できないとか疲れたとかそんな言葉しか出てこないのがすごくいやでね。それを変えたかった。
 課題を解決して、自分のやりたい方向に向かって進んでいけば、すごい大金持ちとはならなくても食うには困らない、となんとなく経験上思っていて、経営やお金のことではあまり心配しないで、突き進んできました。
 事務所がある麻布は私にとって地元ではないので、まずは地域に知ってもらうことに重点を置いてきました。訪問事業所も特徴が必要だと思ったので、研修費をかけて、喀痰吸引など医療的ケアができるヘルパーを増やしました。家事代行にも力をいれて、この二つを特徴として、この二年間でずいぶん地域では知られるようになってきました。
 なので、今年あたりからそろそろ自分のやりたいことにチャレンジしていこうかなと思っています。
 ひとつはものづくり。介護用品って見るだけで暗い気持ちになってしまうデザインが多くありませんか? すごく素敵なバスルームなのに、介護椅子一つ置いてあるだけで、げんなり…、みたいな。介護補助用品なんかもロボットとか、家のどこに置くの?というようなものが開発されているけれど、それって、使いづらいし、実用的じゃない。例えば車いすからずり落ちたら、ロボットが助けるんじゃなくて、空気を入れられるクッションを下に入れ込んで空気を送り込めるようなものがあれば、少し腰が浮き上がって自分で立ち上がれる人もかなりいるんです。そういうアイデアとかを、ご利用者の方や、ご家族から伺っています。これを形にできたらいいなと。人脈はとにかく長い間この業界にいたので、いろんな人につなげていけば実現できると思っています。そして、それが商品化したり、形になったらアイデアをいただいた方にも還元したいなと。そういうことがあれば、介護している方も「自分も社会に貢献できている」と感じてもらえるのではないかなと考えています。
 もうひとつ力を入れたいのは教育事業。家事代行も大事になってくると思うので、外国人の方への研修も充実させていきたいなと思っています。
 事務所を拡大していくつもりはないんだけど、ここに働きに来る人たちはそれぞれに夢を持っている人がいるのね。パラリンピックに出る選手たちのプロケア集団を作りたいとか、介護カフェを開きたいとか、家事をきわめて収納コーディネータをやりたいとか。そういう人たちがどんどん独立して、それぞれがお互い地域でつながって広がりを見せてくれたらいいな。働く人にとっても、ここへ来れば夢が実現できる、と思える場所にしたいんです。そのきっかけづくりもしていきたいと思っています。

お出かけや様々なアクティビティを楽しめるよう
サポートする独自の「出張カルチャーサービス」など、
新しいことにも挑戦し続けている

【久田恵の視点】
 介護の現場で、さまざまなキャリアを積み、人脈を作り、介護施設のコンサルタントを経て、ついに、事業を立ち上げて自分の思いを形にするに至った佐藤さん、数々の体験を一つも無駄にせずに夢を実現したその道は、介護の仕事に就く人たちにいろんな示唆と勇気を与えてくれますね。介護時代の黎明期にこの世界に飛び込んだ人たちが、今、新しい介護の世界を着々と切り拓いている、そのことを実感させられます。