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介護職に就いた私の理由(わけ)

さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。


花げし舎ロゴ

花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第86回 お笑い芸人から介護職へ 
抜け殻のようになってしまった僕を支えてくれた場所です

内藤輝彦さん(43歳)
特別養護老人ホーム さくらの里山科
支援員
(神奈川・横須賀市)

取材・文:進藤美恵子

解散、引退、その先が見えない現実に直面

 今の介護職に就く前は、吉本興業で芸人をやっていました。23歳のときに吉本の学校、NSC(吉本総合芸能学院)に入り、3人でトリオを組み、それから足掛け18年にわたって芸人生活を送っていたんです。ところが、メンバーの一人が「芸人を辞める」と言い出してしまって。2015年10月に解散し、どうしようかと思った末に、翌々月の12月には芸人を引退することになりました。

 芸人を辞めると決めたものの、その先の道が絶たれるわけで、何をしていいのかも分からない。抜け殻のようになってしまって。でも、生きていくためには働かなければいけないと。そのときに多少の迷いはありましたけど、芸人時代のアルバイト先に、「ここで働かせてください」とお願いをしたんです。アルバイトをする中で、その仕事ならちょっとやってみたいなという気持ちがあったんです。運よく、2016年4月から正職員として今の施設が採用してくれたんです。

介護との出会いは往復3時間かけて通ったアルバイト

 芸人時代の僕は、ほとんどアルバイトをしたことが無かったんです。芸人としての仕事があまりなくなって空いた時間にアルバイトをすることになったときも、知らないところに面接に行くことに抵抗を感じていたんです。そんなとき、地元の知人が働いているところなら安心と思い、知人が働いている施設でのアルバイトを始めることになったんです。

 当時は、生活のために介護職のアルバイトを選びました。勤務時間も夜間帯だったので本業の仕事が終わってからでも通える、夜から朝にかけての仕事でした。時間の都合もよかったし、週1回でもいいというのがよかった。週1回でもいいというアルバイトはなかなかありません。その時は、条件から選んでたどり着いたのが介護の仕事だったんです。

 アルバイトを始めた頃は、横須賀に住んでいたんですね。その後、東京に引っ越して往復3時間かけて2年近く通いました。辞めずに続けられたのは、そのときには気づきませんでしたが、ちょっとは熱意もあったのかな。

転機が訪れた「海辺へのデート」

 アルバイトからフルタイムになっても働きたいと思ったのは、こんな言い方は悪いかもしれないけど、生きるため。リアルに言ったら、生きていくために選んだ仕事だったんです。でも、そこで働きたいと思う環境面が揃っていたのと、夜勤だけだったんですけど入居者の方々と触れ合っていても、ほんわかとした、何ですかね、これと言って嫌な感じがなかったのも事実ですね。

 ここの特養では、入居者の方お一人おひとりに、オリジナルのお誕生日会があるんです。僕が担当した入居者の女性に、「お誕生日に何をしたいですか」とうかがったところ、「海が見たい」「お寿司が食べたい」というリクエストがあったんです。リクエストに応えるべく、入念な準備のもと当日を迎えました。もちろん、おしゃれもして僕と二人でお寿司を食べて海辺へのデートに出かけました。

 海を前にしたときに、「海がきれいね」とか、横須賀の並木道を通ったときには、「昔、ここにはよく来たんだよ」って。普段は、そこまで活発に話されることが少ない方だけに、その方の思い出を垣間見たというか、昔話を聞くことができて、その人となりを知ることができてよかったなと素直に思いました。

 僕にとっては初めてのお誕生日会で、二人きりも初めてのことでした。正職員になって1年目のことです。芸人を辞めて抜け殻のようになっていた僕の心が癒されていくのを感じました。

働きながら支えられ、癒される場所

 僕はここで働きながら、本当に入居者の方々に支えられています。落ち込んだときに、入居者の方との会話に僕が癒されているのを感じます。18年間続けた芸人を辞めて、自分ではそんなに気づいてはいなかったのですが、たぶん心が傷ついていたんです。皆さんの笑顔とか楽しそうに笑ったりしているのを見て、日々、癒されています。嫌なことも忘れさせてくれるというか、傷ついた心を気づかせてくれたように思います。

 入居者の方の中に、ものすごく好きな方がいます。その方を見ると落ち着くんですね。もしかして前世でつながっていたんじゃないかと思うくらい。「美味しいですか?」「美味しいですよ」というようなたわいもない会話ですけれども、「今日は天気がいいですね」「そうですね」と。何度も「ありがとう」って言ってくれるんです。何でもかんでも「ありがとう」って。そんなに常にありがとうって言えるのは、今までの人生で相当ありがとうと言ってこられた方なのではと思い、きっと素敵な人生を歩まれているんだなあと思います。常にポジティブでマイナスなことは何も言わない。その方が発する言葉は、「ありがとう」「楽しい」「美味しい」「嬉しい」です。本当に癒されています。

僕にとって介護の仕事は「コミュニケーション」

 介護の仕事で辛いと思うことは、全くないですね。売れない芸人の時代は毎日が楽しかったけど、辛さと楽しさがせめぎあっている感じでした。今は、本当に楽しいです。まだまだ駆け出しで慣れていないことや、勉強が足りていないことはたくさんありますけど、本当に楽しく働かせていただいています。最初は分からなかったのですが、徐々に分かってきたというかベタな話ですが、「ありがとう」の言葉と、笑顔をいただけるのがリアルに嬉しいし、やりがいにつながっています。

 僕にとって「介護の仕事とは?」と聞かれると、難しいですね。未だ、そこまで言えるほど自分自身が到達していませんし、もう少し経験を積んでからでないと言ってははいけない気がします。でもざっくり言うならば、「コミュニケーション」だと思います。良くも悪くも。

 この仕事で楽しいと常々思うのも、コミュニケーションを取るときです。入居者の方とたくさん話しをすることで、その方の人となりが見えてきます。その時は、嬉しいですね。ポロッと出た話とかに感動することもあります。コミュニケーションを取ることで得た個々人の癖やさまざまな情報が、移乗や入浴介助のしやすさにつながることもあります。

毎日が行ってみないとわからない

 芸人時代は年間30本くらい舞台に立っていました。その時のライブ感と言いますか、舞台ではお客様との距離感の詰め方があります。それが入居者の方々とのコミュニケーションでも役立っているように思います。また、舞台では、台本があっても台本が無いのと同じで、臨機応変に展開しているライブなんです。介護の仕事にもそういう部分があると思います。ルーティンの業務はありますけれども、常に同じ対応ではなく、日々、一人ひとりへの対応が全く違いますね。その方の体調等によっても変わりますし、毎日が行ってみないとわからないというか。同じわけではないんですね。毎日、毎日が新鮮です。

 僕自身、介護職の資格は未だ何も持っていないんです。今年は、実務者研修を受けて、来年には介護福祉士を取得したいです。そしてイベントの企画とかにも携われたらいいなと思います。未だイメージはないんですけど、みんなで笑いあえるようなものをやりたいですね。介護職に就く人が少ないとよく聞きますが、辞めた芸人全員を介護職にさせる手もあるかもしれませんね(笑)。

たわいもない会話をともに楽しむ内藤さん(左)

【久田恵の視点】
 元お笑い芸人の内藤さんの介護の話には、心が暖かくなります。介護の場で働くことで、どれほど自分が癒されているか、その思いがそのまま介護をする人される人の双方の絆を結び、関係を深めていくことになるのですね。出会ってよかった、とお互いが思える関係を得られるのは、まさに人生の贈り物のようです。それを贈り合える関係が介護の現場で生まれ続けていると思えたら、みんなシアワセな心持ちになりますね。