メニュー(閉じる)
閉じる

ここから本文です

介護職に就いた私の理由(わけ)

さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。


花げし舎ロゴ

花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第55回 介護職の離職率を減らしたいとの想いから、たった1人で始めた「介護ラボしゅう」。 
つながりの輪を広げ続けた13年。

中浜崇之さん(33歳)
世田谷デイハウス イデア北烏山(東京・世田谷)
マネージャー・生活相談員・介護福祉士
介護ラボしゅう代表
非特定営利法人Ubdobe(ウブドベ)理事

取材:藤山フジコ 

サッカー漬けの日々

 20歳で介護の世界に飛び込んで、今年で13年目になります。自分でも、こんなに続くとは思っていませんでした。

 小学校から高校まで、ずっとサッカー1色。高校は、サッカーの強豪校へ進みました。各大会に向けて、高校生活もサッカー漬けの日々。人より努力をした自負もありましたが、全国大会には選手としてピッチに立てなかった。努力をするのは当たり前のこと。果たして自分は結果を出すための努力をしてきたのか。当時は、苦手なことを克服することが努力だと思っていたんですが、自分の強みをどのように生かしていくかということには気が回らなかった。自分の勝てる場所で努力して初めて結果が出る。いろいろ経験してきた今だから分かります。全国大会に出場できなかった挫折体験、苦しくてもサッカーをやり続けてきたことが今の自分の土台になっているのだと思います。

ありのままを受け入れてくれた経験

 高校卒業後、スポーツに関わる仕事がしたいと思い、理学療法の専門学校へ通いました。なかなかついていくことが難しく、1年で中退しました。それからは自分探しというか、サッカーのコーチをしたり洋服屋でアルバイトをしたり。好きなこと、興味のあることをやりつつ、将来ずっと続けていける仕事のことも考えました。僕は人と話すことは苦手なんですが、人の話を聞くことは好きだったんです。それで人と関わる仕事がしたいな・・と思ったとき、専門学校の実習で行ったデイサービスでの記憶が蘇ったんです。そのデイサービスで1日過ごしたのですが、利用者さんたちは、突然来た18歳の僕たちのことをすごく喜んでくれて。人見知りであまり話すことのできなかった僕に話しかけてくれて、それに答えるだけで喜んでくれた。ありのままを受け入れてくれたことが嬉しかったし、お年寄りと一緒にいて本当に楽しかったんです。

 そこで介護職に就くために、ヘルパー2級(現・介護職員初任者研修資格)の資格を取得し、特別養護老人ホームへ実習に行くことになりました。それまで介護の世界って、茶髪はダメ、ロン毛はダメという固いイメージがあったんですが、そこは今どきの若い人たちが働いていて、「介護の世界って意外と普通なんだ!」と思ったんです。当時のフロアー長に誘われ、その施設でパートとして働き、半年後に正社員となりました。

少しでも「介護離職を減らしたい」との思い

 施設で働いて5年目に、「介護ラボしゅう」という定例勉強会を立ち上げました。介護職は離職率が高いのですが、僕はなんとか続けてこれた。何故なんだろうと考えたとき、自分には、話を聞いてくれて、サポートしてくれた先輩がいたことが大きかった。だったら今度は自分がその立場になる番だと。職場でのサポートは仕事として取り組み、職場以外で、介護職に就いている人たちの思いや考えを皆で共有し、悩んでいる人をなくし、支え合える場をつくり、少しでも「介護離職を減らしたい」との思いで、半ば勢いで始めました。

 やってみると、それまで勉強会なんて行ったこともなかったし、そもそも話をするのが苦手なのに、目配りしなければならないわ、話を回さないといけないわで死ぬほど辛くて(笑)。人集めも大変で、「こんなこと続けてられないわ・・」と暗い気持ちになりました。ただ、自分はすごく負けず嫌いなので、すぐに辞めるのは嫌で。「何とかしよう!」と気持ちを立て直し、伝手を頼ってさまざまな勉強会に参加してつながりを作り、同じような会を主催している方のお手伝いをしてノウハウを学んでいきました。ある会に参加したとき、「人は集めるんじゃなくて、主催者に惹かれて人が集まるんだよ」と言われ、人を集めるのではなく、人が集まる場所を作ることが大事だと気づいたんです。誰かの心に伝わることをすれば必然的に人は集まる・・そんな気持ちで発信し続けてきました。

自分が働いている施設だけでは行き詰まってしまうこともあると思う

 月に一度の「介護ラボしゅう」の定例会は、今年で6年目になります。毎回テーマを決めて参加者と話し合ったり、講師の方を呼んで勉強をしたりして回数を重ねていくうちに、手伝ってくれる仲間も増えました。参加者も、介護職、介護をしている方、病院関係者や一般の方など実にさまざまです。参加費は300円。これは会場を借りるギリギリの予算で、参加者に負担をかけたくないためです。なので、予算のない「介護ラボしゅう」の志に賛同してくれた講師の方はみな、「介護の現場が少しでも良くなれば」という思いから、ボランティアで引き受けてくれました。「介護ラボしゅう」は、一方通行の情報提供型、講義形式ではなく、参加型の勉強会です。自身で考え、参加者同士で意見交換し、考えを共有する。参加者の個性や、経験、思いを大事にしたいとワークショップ形式でやってきました。

 「介護ラボしゅう」を継続してきましたが、ここで出会った方に多くのことを学びました。自分が働いている施設だけでは行き詰まってしまうこともあると思います。いろいろな意見に励まされたり、逆に気づいたりと、参加者にとっても介護の世界が広がっていくキッカケになってくれればと思っています。

「社会問題解決型」の事業所を作りたかった

 職場である特別養護老人ホームでは8年働き、その後、同じ法人のデイサービスに移りました。所長と僕とが中心となり、スタッフと共に2年間、どうやったら満足度が上がり、稼働率が上がるのか、試行錯誤しながら取り組んできました。施設に比べると、デイサービスはそのような経営としての側面もあるんですね。ここでの成功体験で自信もつき、今度は自分の理想のデイサービスを運営したいと思うようになりました。

 そんな話を「介護ラボしゅう」を通じて知り合った方に相談したところ、社会貢献型の事業をしたいという医師を紹介してもらったんです。話はとんとん拍子に進み、彼(医師)が社長、僕が現場監督(責任者)として事業を一緒に立ち上げました。

 職場を退職し、世田谷に「イデア北烏山」というデイサービスを2年前に設立しました。僕は、「社会問題解決型」の事業所を作りたかった。「社会問題解決型」とは、介護する側もサポートしていきたいということです。以前の職場でよく利用者さんのご家族が、「もっと朝早くから預かってくれると助かる」とか「夜遅くまで預かってほしい」と要望があったんです。仕事をしながら介護する家族には切実な問題ですが、実際一般的なデイサービスは9時から17時まで。それだと朝の出勤に間に合わないし、夜の迎えにも無理がある。

 そこで、「イデア北烏山」では朝の7時から夜の21時までの営業にしました。介護離職を防ぎたいという思いからです。介護報酬が請求できない時間帯は、1時間500円の実費をいただいています。介護が理由で、やりたいことができないってすごく不幸。介護される側も、家族が自分の犠牲になることを望んでいない。だったら、そこをフォローしていきたい。介護があっても、やりたいことをお互いができる環境をつくりたかった。利用者さんをできるだけきめ細やかにケアをしたいと思い、小規模にして、1日10人の利用者さんに対して職員は4人。十分目が行き届く人数にし、利用者さんの「やりたい」気持ちを尊重し、その人がその人らしくいられる場所にしたかった。

福祉をエンターテイメントへ

 「イデア北烏山」で管理者を2年勤めて、今はマネージャー兼生活相談員という立場です。「介護ラボしゅう」からつながった縁で、昨年から「Ubdobe」(ウブドベ)という、福祉の世界、介護の世界を世の中に発信していく特定非営利活動法人の理事に就任しました。僕は、ウブドベの代表である、岡勇樹さんの「医療・福祉×エンターテイメント」との志に賛同して、4年くらいボランティアスタッフという形でお手伝いしていたんです。

 福祉や介護の世界って、チラシやホームページを見ても若い人が魅力を感じない。見せ方、発信の仕方で介護のイメージは変わります。今は県の福祉人材確保のイベントを企画しています。介護の入り口に面白いコンテンツを作って若い人たちを集めたい。ネットやSNSを駆使して、今まで知り合った人たち、出会った仲間の力を借りて、他業種の方ともコラボしながら福祉や介護のイメージを変えていきたいと思っています。

 僕は介護って夢を叶える仕事だと思っているんです。利用者さんが、できないことをかなえる仕事。こんなにやりがいのある仕事なのに、介護職の離職率は1年目で10%。人が定着しないのは現場に問題がある。そこを職員も一緒になって考えないと意味がない。毎年4月に「介護ラボしゅう」で「先輩職員から後輩職員へ伝えたいことはなんですか」というワークショップを行っていますが、あらためて、自分が「介護ラボしゅう」でやりたかったことは、介護職の離職率を減らすことなのだと実感しました。

 これからも、デイサービスの現場で働きながら、「介護ラボしゅう」「Ubdobe」の活動を広げ、介護職の定着率を上げ、介護職に就きたいという人を増やし、介護という仕事を世の中にきちんと伝えていきたいと思っています。

「介護ラボしゅう」で司会をする中浜さん。

インタビュー感想

 中浜さんが、介護職の離職率を減らしたいとの想いから、たった1人で始めた「介護ラボしゅう」。介護現場で働きながらワークショップを主催し続けることは、どれだけ大変だったことか。それから6年。中浜さんの現在の幅広いご活躍は、「介護ラボしゅう」と共に成長されてきた証なのだと思います。
 「第73回介護ラボしゅう」に私も参加しました。異業種の方々との意見を共有し合うことは新鮮で楽しいものでした。ワークショップでは、中浜さんは黒子に徹し、参加者が楽しむ場をつくることに専念されていました。そんな中浜さんの誠実な人柄や、真っ直ぐな想いに共感した多くの人達が、介護ラボしゅうを支えているのだと実感しました。実行力、共有力、そしてサッカーで培った精神力で、これからの介護の世界を変えていく新しい風(リーダー)となっていく方だと思いました。

【久田恵の眼】
 福祉の世界には、恩恵(サービス)を「与える」とか、「施す」という価値観がまだ残っています。入居者に、大きく声を揃えて「ありがとう」と言わせる施設にも遭遇します。だからこそ、古いステレオタイプな価値観に縛られない現場からの自由な発信が輝きます。利用者や家族のニーズを的確にとらえて、新しいサービスを模索し、提供し、展開していく試み、などなどの面白さや醍醐味が味わえる分野だとも言えますね。今、この業界には急速に新しい風が吹き始めているのを実感します。若い世代のチャレンジにワクワクさせられます。