メニュー(閉じる)
閉じる

ここから本文です

介護職に就いた私の理由(わけ)

さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。


●インタビュー大募集
「このコーナーに出てみたい(自薦)、出してみたい(他薦)」と思われる方がいらっしゃったら、
kawase@chuohoki.co.jp
までご連絡ください。折り返し、連絡させていただきます。

花げし舎ロゴ

花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第52回 僕は、おせっかいの人好き 
だから、この仕事が楽しくて仕方ないんです

岸 和夫さん(67歳)
介護福祉タクシー なごみ富士
代表取締役・ヘルパー1級

取材:石川未紀 

55歳のときに脱サラ

 僕の人生、結構、波瀾万丈なんですよ。大学を卒業して大手銀行に就職するも、あまりの激務に2年半たったころ、胃潰瘍で倒れて胃の3分の2を切除。このまま、ここにいたら本当に過労死してしまうと退職し、今度は大手商社の子会社に入社したんです。マレーシアのボルネオ島で木材を扱う事業の経理要員として働きました。行った当初は、段ボールに6か月分の帳簿が入っていました。請求書と領収書は、英語、マレーシア語、中国語であり、まずは英語で作成するところから始めました。現地に経理のできる日本人はいませんでしたから、わからないことを聞くこともできませんでした。一方、日本からは「決算書はまだか」という催促のファクスも来る。20代の僕が独りで何億もの資金を動かしていました。当時のJICA国際協力機構の人に「大企業からきた日本人の半分はノイローゼになって帰っていく」と言われ、そうはならないぞと、自分に言い聞かせ、慣れない現地の生活に四苦八苦しながらも、何とかやっていました。

 そんな毎日を送っていた頃、初めて社長からゴルフに誘われました。ゴルフを終えると社長は、「どちらが早く帰れるか競争しよう」と言ってきたんです。僕もこんな話にのってしまって、バカだったと思うんですけれど、そこで自動車事故を起こしてしまうんです。フロントガラスは大破。現地で応急処置として18針縫い、その後一時帰国して日本で治療しました。

 そのタイミングで日本にいたころに付き合っていた彼女にプロポーズしたんです。この事故のおかげで妻にはプロポーズできたんですがね…。結婚はしたものの、また、単身マレーシアに。あまりのさみしさに、妻を連れてこられないなら辞める、と訴えて、ようやく二人の生活が始まったんです。

 妻を出産のため帰国させ、その後、僕は2年間マレーシアで頑張りました。壮絶な3年半でしたね。帰国後、念願の日本での仕事でしたが、子会社というのは、親会社のいいなりなんですね。上司は親会社から出向している人だから、親会社の言うことは何でも聞いてしまう。そんなとき、僕は現場のことも考えてほしいとか言いたいことを言うので、いさめられることもありました。そんなこともあって、嫌気がさし、その会社を辞めてしまったんです。

 そのあと、何社か取引先などから紹介された会社で働いていたんですが、55歳のときに脱サラしました。ちょうど母に介護が必要になってきて、ヘルパーさんを頼もうかと言っていたときでした。その事業者の方とお話ししていたら、いい仕事だなと感じたもので…。それで、ヘルパー2級の資格をとって、有料老人ホームで働き始めたんです。

僕は、人好きのおせっかい

 そこではあらゆる仕事をしました。トイレ、食事、入浴介助や、夜勤も経験しました。おむつを替えたりするなど、確かに大変な面もありましたが、僕は話をするのが好きなんです。特に高齢者の方とゆったりと話をするのは楽しかったんで、夜勤なんかおもしろかったですよ。おばあちゃんとか、夜さみしくなってすぐにコールを押すんです。僕が行って、「眠れないの?」と聞くと、「うん」と答える。それで、少しおしゃべりしていると、その方がとっても穏やかな顔になっていくんですよね。僕はそういう時間がとても好きでした。

 有料老人ホームで働いていた頃、介護タクシーを利用する方がいらして、「こういう仕事があるんだ、これならもっと自由に僕がやりたいサービスができるんじゃないか」と思って、介護タクシーを始めようと決心したんです。

 介護タクシーを始めるにあたって、ヘルパー1級と2種の自動車免許を取得。全国介護タクシー協会の会員になって、国土交通省の事業許可も並行して取得しました。そして、ストレッチャーもついているタクシーを購入して開業にこぎつけました。好奇心が強いんでしょうかね。思い立ったらやらずにはいられない性質で、そこに迷いはありませんでした。東京都心部の病院まで、名刺を持ってあいさつに回りました。当時は、小平では個人の介護タクシー事業所は少なくて、3軒程度。今では小平でも20を超えて、認知度も高いですが、当時は知らない方も多かったですね。

 介護タクシーの運転手は、あまりしゃべらない人が多いんですよ。黙々と移動のお手伝いをするというようなね。でも、僕は人との付き合いがとても大事だと考えています。こっちが本音で話さなければ、向こうだって本音では話さないですよね。だから、いろんな話をします。僕は、人好きのおせっかい。介護タクシーを使う人は高齢の方とその娘さんが多いので、娘さんに介護保険の申請の仕方なんかもいろいろアドバイスしています。そうすると、向こうも信頼してくれるんでしょうね。僕の場合は、すごくリピーター率が高いです。普通は3割くらいと言われているそうなんですが、僕は8割がリピーターです。

 周囲には、「人好きは、生まれつき」みたいに言われているけれど、実は僕は大学3年生までは人前で話すことが苦手だったんです。当時、厳しくて有名なゼミに入って変わったんです。最初のゼミでまったく話せなかったのが、恥ずかしくて…。それで一念発起して、日経新聞や経済誌なんかを一生懸命読んで、考えて、そして人前で話すことを続けていったら、こんなふうに人好きのおせっかいになれたんですよ。だから、人との関わり方も、自分の意識次第なのかなと思っています。

 ちなみに車の中も、工夫しているんですよ。無機質になりがちな社内には、かわいらしいぬいぐるみを置いたり、お年寄りが喜びそうな音楽やカラオケをかけたりしています。ただの移動の場ではなくて、なごんでほしいから。富士山のように大きなふところでなごめるように、ということで「なごみ富士」という名前にしているんです。これは偶然なんですが、車のナンバーも「4975よくなごむ」。このナンバーを見た時、なんか、うれしくなってしまいました。

 数年前には、東京都の訪問介護事業所の許可を取得して、自宅から病院へ通うお客さんが、介護保険が使える料金で利用できるようになって、喜ばれています。介護タクシーはヘルパーの資格が必須ではないんです。ましてやヘルパー1級を持っている人は少ないので、こういうところは強みかな。

今はゆったりと仕事をしています

 介護タクシーを開業するにあたって、準備資金が大変なのはわかるけれど、病院に送ってきて、院内介護をすると1時間5000円とか結構な額をとる業者も多い。うちは設定の料金も安いし、少しの院内介護ならタダでやってしまうこともよくある。先日も、あるコースを走って9000円を請求したら、「同じコースでいつも5万円払っていました」とびっくりされていた方がいました。往復分をとるとか、病院での待ち時間も相当な金額を請求する介護タクシーも多いんですよ。でも、それでは本当に困っている人たちが利用できないでしょう。

 消防庁の許可をもらって、救急車で搬送された方が帰宅する時の“送り”の仕事もやっています。夜中に呼び出されるので、これをいやがる介護タクシーの人は多いんだけど、僕は必ずやるようにしているんです。だってやる人がいなかったら、夜中に帰っていいと言われた患者さんは本当に途方にくれてしまうからね。

 年金をもらうようになったので、今はゆったりと仕事をしています。一方でシニアサークルなど、いろんな活動をしています。熟年や高齢者が集まるサークルが多いので、営業しているつもりはないけれど、行くだけで、口コミでひろがって介護タクシーの仕事につながっていることも多いですね。人と人とのコミュニケーションから世界が広がっていく、この介護タクシーの仕事が楽しくて仕方ないのです。

「利用者の方をこんな感じでお乗せするんですよ」と実際にやってみせてくれた岸さん。

インタビュー感想

 実際に介護タクシーに乗せていただきました。かわいらしいぬいぐるみがお出迎えしてくれました。そして、カラオケもかなり本格的なものでした。体が不自由な高齢者にとって、移動は大変であると同時に、非日常の楽しみな時間でもある。だからこそ、精いっぱい、楽しい時間となるようお手伝いしたいという岸さん。個人営業ならではの臨機応変さがあり、リピーターが多いというのもうなずけます。今はサークル活動も楽しみつつ介護タクシーを続ける毎日だそうで、働き方のひとつの在り方を示してくれている気がしました。

【久田恵の眼】
 岸さんは、めくるめく転職人生を生き抜いてこられた方。ここまで体験すると、どんな仕事も大変なことが身に染みてわかってしまいますね。大変は、あたり前。働くことの前提だ、と。でも、その大変さの内容はそれぞれの仕事で異なるわけで、この多様な「大変さ」のどれが自分に一番しっくりいき、自分の喜びに通じている仕事なのかが重要です。人生の達人とは、そのことをよく知っている人のことをいうのだと思いました。だからこそ、たどりついた介護タクシーの仕事にこれほど心が込められるのですね。