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介護職に就いた私の理由(わけ)

さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。


●インタビュー大募集
「このコーナーに出てみたい(自薦)、出してみたい(他薦)」と思われる方がいらっしゃったら、
kawase@chuohoki.co.jp
までご連絡ください。折り返し、連絡させていただきます。

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花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第46回 終わりよければすべてよし。 
人生最後のお友だちとして、「生きていてよかった」を共有したい

木藤宗子さん(72歳)
デイサービス 凛(東京・阿佐ヶ谷)

取材:進藤美恵子

学部長秘書として社会人生活をスタート

 長野県の高校を卒業して東京に出てきました。1966年4月にある私立大学の工学部の学部長室の秘書として社会人生活をスタート。全国的に広まった大学紛争の最中で、私も学部長室に閉じ込められたことがありました。高度経済成長の中で、若者たちが政治的体制の批判や、価値観を大きく変えようとしていた頃でした。その頃、新聞広告で受講生を募集していたジャーナリスト専門学校にも通いました。ジャーナリストを目指していたわけではなくて、ジャーナリズムの第一線で働いている方が講師に名を連ねていておもしろいなと。仕事をしながら夜は学校に行くという生活を送る中、父のがん再発がみつかり、しばらく田舎に戻って、看病をして、最期も看取りました。

 東京のアパートはそのままにしてあったので、東京で仕事を探しました。ジャナ専で知り合った友人から、福祉の専門学校を創立するからと誘われてそこに就職することに。当時は、福祉の養成学校はあまりなかったので、学生募集や就職指導に苦労しました。1984年のことです。1期生を迎え入れ、そこでは学生の就職や個人相談、実習を担当して、学生たちに文章の書き方ゼミのようなこともしました。

 福祉の仕事では、まず、やさしさを求められますが、真のやさしさとは何か、個別対応には何が必要かと、学生たちと話し合うこともありました。それには、利用者が何を求めているかを感じ取れる心が大切と考えていました。「感性を深めて洞察力を高めていく」をテーマに、学生たちと朗読の会や映画を観て感想をお互いに述べ合うなどというようなことも続けました。

デイサービスの仕事は、「辞めたい。辞めよう」と思い続けていた

 学生の実習中、就職に関わっている中で、府中市にある社会福祉施設の理事長、当時すでに80歳代半ばの女性でしたけれども私を気に入ってくれて、「これからは高齢化社会で、あなたはまさにその時代を生きていかなければならないから、実習のつもりでうちの施設に来ない?」って言ってくれたんです。確かにそうだと思い、飛び込んだのが1990年1月でした。

 その施設では、総務課長として迎えられ、事務職として2年間、併設されていた母子寮に2年間、1994年に新設されたデイサービスに異動となり、職種が変わりました。事務職から、初めて介護の現場の仕事に就くことになったのです。私自身、車椅子すら押したことがなかった。まったくの素人でした。資格のある人や福祉系の学校を出た人たちの中で、歳は上ですけれども、身の置きどころがない感じでした。ただ、ただ必死で業務をこなすだけの毎日でした。若い学生たちの中で働いてきた私は、福祉とはいえ、「老人」と接することにも大きな戸惑いを感じて、「嫌だ。辞めよう」と考えてしまいました。

 そんなある日、利用者の中に重度の認知症の女性がいました。80歳代半ばの方で、一日中、落ちているものを拾うように床を這っているんです。その方をトイレに連れて行ったときのことです。用を足して立ち上がったときに、排便をしてしまったんです。下に便器があるので座らせればよかったのを、私は何を思ったのかとっさに自分の両手を出してしまったんです。アッと思ったときには遅く、生暖かいものがどんどん手の上に乗ってきて、両手を動かすこともできなくなってしまいました。「どうしよう、困ったな」と思いましたが、そのときになんだか妙な気持ちになったのです。大げさに言うと、今は、おばあちゃんになったこの女性の「いのち」を感じたんです。

預かりながら、育ててもらってるんだ

 その方は、普段は言葉がセンテンスにならないんです。子どもが言葉を覚え始めたときのような単語の連発で会話が成立しないんです。私がしゃがんだ姿勢でその方を見上げていると、「あんたね!」って言ったんです。びっくりしてしまい、「どうしたんですか?」って聞いたら、「あんたね、子どもなんか育てたってもしょうがないよ」と言って、私をじーっと見て、「育ててもしょうがないけどね、育てながら自分も育てられるんだよ」って言ったんです。

 私は、予想もしなかったことに言葉もなく、そのまま視線を交わしていたら涙が出てきたんです。この方だって、最初から85歳じゃない。オギャーって生まれて、歯が生えて歩けるようになって。子どもを育てて戦争中に大変な思いもして。華々しく輝いている時代があって、今、人生を終わろうとするところに来ているんだと思ったときに、「育てることは育ててもらうこと」と、この方が八十数年生きてきた哲学なのではないか。毎日逃げることばかり考えていた自分の心を、「待ちなさい、考え直しなさいよ」と言われた気がしました。私は、「これからは高齢化社会になる。老いというのを見つめなさい」と言われたことを思い出しました。

 自分は後ろ向きに辞めることばっかり考えていた。この仕事は一人ひとりの人生最後の日々を預かっているんだ、預かりながら育ててもらっているんだ、「今の私に与えられた仕事」と、前向きに捉えました。そして辞めずに定年までいようと、トイレの中でのその方との会話で決意したんです。

 そのあと、その方は、いつものようにスタッフとは会話にならなくて。その日のミーティングのときに、「私、辞めようと思っていたんだけど、定年までいるから」ってスタッフの前で宣言しました。周りのスタッフは、突然の私の発言にびっくりしていました。そこでトイレであった不思議な話をしたら、信じられないって。そうなんです。本当に。それが、私がデイサービスに根を下ろし、足を踏み出したきっかけです。

 それを境に、ここに根を張ろうと、1999年に介護福祉士の資格を取り、社会福祉主事も取得。結局、そこには2005年の定年退職まで勤めました。その方は私が定年になる前に亡くなりましたが、あの方のおかげで、今も20年以上もこの仕事を続けています。

ここに来て、あなた方の笑顔を見るのが一番の薬

 利用者の方から「楽しかった」や、「毎日来たいわ」とか、「あなたがいる日はこの中が明るいわね」と言ってもらったり、「あなたがやってくれるのは面白い」と言われたときは、個人的にはとても嬉しいです。やはり最初はデイサービスにくること自体に抵抗がある利用者も多いです。スタッフの工夫や努力の中で、利用者同士のつながりが出てきて冗談を言うようになったり、お隣の人と話をするようになったり変化していく。家族の方がご自分の親を見ながら、私たちスタッフを信じてくれているのを感じたときはやりがいを感じます。

 私自身もこの仕事をしながらだんだん老いを迎えて、今までの二十数年間でこの仕事を通して心の中に育ってきたものが、いい面も悪い面も喜びもあるけれども、老いというものがある意味では口惜しいというか、体がやっぱり老いを感じるようになるむなしさが同時にあります。だからこそ、人生最後の何年間を生きていてよかった、いろいろあったけれどもここまで生きてきてよかったという思いをたくさん作ってもらいたい。自分も作りたいという思いなんです。学校という職場では、自分の経験で伝えることができますが、老いを経験していないスタッフは、利用者の姿から教えられることがたくさんあります。やっと少し、私もわかってきた気がします。

 スタッフ同士が仲よくおしゃべりしたり、笑い、会話が明るく和やかだと近くにいる利用者も、同じ部屋にいるだけで明るくなるんです。それがギクシャクしていると、シーンとしてしまう。そのために、私は昔からスタッフのチームワークが一番大事だと。スタッフはみんな介護職だから介護業務については努力も工夫もするけど、その前に、私たちスタッフのつながりを温かいものにしないと伝わらない。そう思っていたときに利用者から、「いろんな薬があるけれども、ここに来て、あなた方の笑顔を見るのが一番の薬」って言われたんです。それから、「ここは、職員がみんな仲よしだから私たちは安心」って。やっぱりそうなんだって思いました。

 レクリエーションは広い意味で、私は朝から帰るまでレクだと思っています。利用者みんなが楽しくなければいられないし、楽しくなければご飯も美味しくない。認知症でも「楽しかった」、「嫌だった」、「嬉しかった」、というのは心に残っているんです。それを積み重ねていくと、ここはいいところというような安心感が築かれていく。

 パターン認識はできないけれども、何となく私の顔も覚えてくる。名前は覚えないけれども、「あなたに会いにきたんですよ」、「今日はあなたいたんですね」と言ってもらえるのは嬉しいけれども、私個人の喜びではなくて、スタッフも利用者もみんながひとつになることによって、利用者を一人ぼっちの思いをさせずに「楽しかった」という心で帰宅していただけると考えています。

一度低迷したものをもう1回蘇らせる

 今のデイサービスのある杉並は知的レベルの高い人が多く、レクでは、尻取りをよくやっています。漢字の尻取りでは、みんなができるようになったり、言葉遊びの中から物語を作るレクもやってみました。例えば、「今、季節は冬。部屋の中にコタツがあって、みかんがあって、犬が庭を転がるように走って喜んで・・・」と話をしながら、ちょっとしたイメージを提供して、「この犬はどんな名前にしますか?」と聞くと、「太郎」や「次郎」と。「部屋の中にコタツとみかんがありますが、人物はいたほうがいいかしら、どうかしら」と聞くと、「おばあちゃんと坊やがいたほうがいい」というように、だんだんと会話になってくる。頭の中でイメージを膨らませているんです。

 黙っている人に、「あなたはどうですか、外は街の中ですか?」と聞くと、「田舎がいいかな」とか、自分の田舎を思い出したりして、そこから話が発展していって田舎の話を聞いたり・・・。ひとつの物語が出来上がっていくんです。そうすると、職員も利用者もみんなが一緒になって考えるんです。最後に、「今日はどうでしたか」と聞くと、何をやったのかは忘れてしまっているけれども、楽しかったという思い出は残っているんですね。ご家族の方にも喜ばれています。おしゃべりから「お話づくり」に発展して、利用者から「あれをやりましょう」とリクエストが出ることもありました。

 そういうレクをほかの施設で導入しているかはわかりませんが、私のオリジナルです。利用者の誰にでもこれまでの生活や知識、歴史もいろんな積み重ねがあります。それを少しでも感じ取って引き出せたらいいなと。道具を使うレクもいいことだし、みんながいつのまにか参加するようなスタイルのレクが本当のレクではないかと思います。科学的な分析はありませんが、心と体が働いているような気がするんですね。

 理屈っぽく言うと、レクリエーションは、リ・クリエイションです。再びです。クリエイトは創造。一度低迷したものをもう1回蘇らせる、それを私は、その人を蘇らせると捉えています。私が一番、リ・クリエイトされているのかもしれません。肉体的には疲れますが、楽しいです。

終わりよければすべてよし

 日々、やりがいはあります。介護の仕事は、不足だらけの自分に何かを気づかせてくれ、心を育ててもらう、とってもすばらしい仕事だと思う。身近な人といっても身内だけではなく、特にデイサービスのスタッフは最後の身近な人、理解者。この世の中で生きていて最後の出会い。最後のお友だちとの出会いなんです。

 今日元気で来ても、今日が最期になった方もたくさんいます。私は毎日がこの人と最後の1日という思いで、この仕事に就いてきました。目の前で亡くなっていく人もいました。命というもののはかなさを痛感させられる急変というものがありますが、歳を取れば取るほどその確率は高くなる。私は、いろいろあったけど、「生きてきてよかった」と感謝の心で息を引き取れることを理想としています。

 20年以上も老人介護の仕事をしてきた私も時々、「こういうデイサービスだったら利用したくない」と思うときがある。自分もやっぱり元気でいて施設のお世話にならないようにしなくちゃと思うときがある。でも、こういうデイだったらいいよね、家でボーっとしているよりもいいよねって思うときと両方あります。やはり、人間として、やがてこの世を去っていくまでの間、本当に自分が自分らしく、ああ、生きてきて本当によかった。いろんなことあったけど、最後は、「終わりよければすべてよし」です。安心して笑顔で暮らせる日が多くてよかったなと思えるような、人に恵まれる、そんな日々を送れたらいいなと。すごい理想が高いかもしれないけど。

 社会人となっておよそ50年間、職場という組織の中で働き、生きてきた私は、誰にも拘束されずに自由に暮らしたいと思う反面、肉体的精神的に老いを少しずつ感じるようにもなった。福祉施設という組織に、私が利用者の立場で身を置くことになったら、できるだけ自己表現のできる、押し付けのない、そして笑い声のいっぱい聞かれるところを選びたい。

 今の私だからわかるようになった「老人」の気持ちを介護現場で役に立たせることができればありがたいと思っています。最後に、福祉現場で働くスタッフの待遇改善とともに、現場の指導を担当する職員の教育を高めていくことが求められると思う。「老人」も時代とともに変化しているから。素敵な仕事とわからないで辞めていく人が多いことは残念で仕方がない。

インタビュー感想

 今年に入ってから、レクリエーション介護士の資格を取得したという木藤さん。同僚の方によると、「レクのスペシャリスト」と称されるなど、利用者からも人気者だそう。背筋をしゃんと伸ばした立ち振る舞いや、生き生きとした笑顔は、いい仕事をされているのを表しているようでした。

【久田恵の眼】
 介護職は、高齢の方が出会う「最後のお友達」なんですね。さびしかったり、悲しかったりの思いを人はみなたくさん重ねて生きてきてますから、最後に、いい友達に出会えたら、それだけでその方の人生はいっきに「楽しかった、幸せだった」に上書き更新されてしまいます。「その逆だったら?」と考えたらつらすぎですね。木藤さんの言葉に介護職とは、そういう仕事だったのか、と腑に落ちました。「終わりよければ、すべてよし」って、そういうことだったのね、と。