メニュー(閉じる)
閉じる

ここから本文です

介護職に就いた私の理由(わけ)

さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。


●インタビュー大募集
「このコーナーに出てみたい(自薦)、出してみたい(他薦)」と思われる方がいらっしゃったら、
kawase@chuohoki.co.jp
までご連絡ください。折り返し、連絡させていただきます。

花げし舎ロゴ

花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第45回 人気ナンバーワンのニューハーフから介護施設の経営者へ転身 
「はちきん」魂で、LGBTの人たちにも活躍の場を広げたい

葛目奈々さん(35歳)
株式会社セブンスカイ(東京・杉並)
代表取締役・介護福祉士

取材:藤山フジコ

障がい者に対する偏見を持たずに育ってほしいという母の考え

 高知出身です。5歳のとき、両親が離婚して、母が姉二人と私を女手一つで育ててくれました。昼はパート、夜は水商売と、朝から晩まで働きづめの母でした。仕事が終わってから飲みに行ってしまったりすると、「お母さん、どうして帰ってこないの・・」と寂しい思いもしましたが、今やっと、辛かった母の気持ちが理解できるようになりました。

 うちは貧しかったので、私は小学5年生のときからお弁当屋さんで働いていました。中学に入学すると、高校受験直前まで朝刊の新聞配達を続けました。母はもともと看護師で、子どもには障がい者に対する偏見を持たずに育ってほしいという考えだったんですね。それで、小学生のときに、障がい者と海外の人たちが集まるキャンプに参加させてくれたんです。さまざまな人種や障がい者などが混じって一つの班を作り、疑似家族として生活するんですけど、本当に楽しい経験で、あのキャンプは今の私の原点になっているかもしれません。

 そこで仲良くなったオーストラリア人のお兄さんとずっと文通をしていて、中学3年のとき、新聞配達で貯めたお金で、彼の家に1か月ホームステイさせてもらいました。その頃から、自分がやりたいことは何が何でもやり遂げるという、高知の方言で「はちきん」っていうんですけど、「はちきん」魂が育っていったと思います。

同じ境遇の人たちと出会えて、救われた気持ちになった

 思春期に入って、「自分は何か変だ、何かおかしい・・」とモヤモヤした気持ちでいたんです。それまでずっと男の子として、長男として育てられてきたので、「(同性を好きになる)そんなハズないよな・・」と思っていたのですけど、17歳のとき、同級生の男子に初恋。「ああ、やっぱり自分はそうだったんだ(心と身体の性が不一致だった)。これが、ずっと自分が変だと思っていた原因だったんだ」と確信したんです。そこからすごく悩みました。「なんで、こんな風に生まれちゃったんだろう」と、とても孤独で、母にも反抗してばかり。猛勉強して入った高校も中退してしまいました。

 当時、ニューハーフの番組が流行っていて、テレビでよくやっていたんですね。母が知り合いのゲイバーに連れて行ってくれたこともあって、高校中退後は、地元のゲイバーで働き出しました。その頃は、「もう、死んだほうがいいのじゃないか」とまで思い詰めていたので、とにかく分かり合える人たちのいるところへ行きたいということで、他の選択肢はなかったんです。そこで、初めて同じ境遇の人たちと出会えて、救われた気持ちになったんです。

 17歳で水商売に飛び込んで、19歳で上京、上野のショーパブで働き、22歳のとき、憧れだった新宿のお店で働けることになりました。そこは、全国からニューハーフの人が勉強に来るようなレベルの高い店で、ショーの演出、接客など、ビッチリ身体に叩き込まれました。一通りのいじめの洗礼も受け、夜の世界の表も裏も、すべてここで学びました。水商売を辞めるまで、ずっとこのお店でお世話になりました。

 24歳のとき、性転換手術をタイで受けました。「もう、これで後戻りはできないんだな・・」という気持ちもありましたが、嬉しさのほうが大きかったですね。もう、とっくに覚悟は決まっていたんです。

 実は、ニューハーフって性転換手術をした人より、していない人のほうが人気があるんです。お店のお姉さんたちからも「今まで付いていたお客さんは、離れていくよ」と言われていたんですが、手術後は、それはもう見事に一斉にいなくなりました。そこで、「よし、ここからが勝負だ。手術をしたのでニューハーフという武器は使えないけど、ホステスとして、プロの接客でお客さんとつながっていこう」と腹をくくりました。そこでの頑張りが今に生きていますね。人生の転換期でした。