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介護職に就いた私の理由(わけ)

さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。


●インタビュー大募集
「このコーナーに出てみたい(自薦)、出してみたい(他薦)」と思われる方がいらっしゃったら、
kawase@chuohoki.co.jp
までご連絡ください。折り返し、連絡させていただきます。

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花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第36回 広告代理店の営業職から介護職へ。 
40代になって、今までしてきたことが全部つながった。

渡辺ゆかりさん(43歳)
すがも家政婦紹介所
家政婦/ヘルパー2級/福祉用具専門相談員(東京・豊島区)

取材:原口美香

今後の武器になる資格を取っておこう

 18、19の頃、アルバイトをしながら正社員を目指していて、たまたま求人広告で見つけたのが、広告代理店の営業の仕事でした。とても大変で、帰りが深夜になることもあり、「3年経ったら辞めよう」と思っていたんです。だけど、周りのみんなが応援してくれたり、やりがいもある仕事だったので、結局17年勤めました。その間は、何かの役に立つかな、と勤めながら夜間学校に通い、調理師の免許を取得したこともあります。退職を決めたのは、印刷業界も不景気になり、紙媒体からデジタル化に変わりつつあって、自分も転機かな、と思ったからです。少しずつ蓄えていたお金もあったし、いつか海外で働いてみたいという夢もあったので、思い切って辞めました。自分でやりたいと思ったことに挑戦をしてみたかったんです。

 それで海外へ行く前に、今後の武器になる資格を取っておこうと思いました。「人の役に立ちたい」「少しでも人と密接できる仕事はないか」「親に何かあったときにも役に立つもの」などと考えました。そんなとき、通っていたハローワークの「福祉の仕事コーナー」に目が留まったんです。それで、スクールを探して入学しました。実習では老健、訪問介護、デイサービスと現場が3か所あったんですけど、自分に合ってるかなと思ったのが訪問介護でした。個人宅に行ってお世話をして、一対一で向き合うってすごく親身になれるし、信頼関係も生まれるって。実習で行った老健では、仕事はしているんだけど、一人ひとりに対しては触れ合っていないっていうイメージが強かったんです。こういう職場は、私には合ってないなと思いました。そして、ヘルパー2級、福祉用具専門相談員の資格を取得して卒業したんです。

 今度は、一度は海外で働いてみたいという夢を叶えるために、海外勤務の求人を探しました。最初はアメリカや、ニュージーランドなども視野に入れていたんです。でも、それには英語が堪能である必要がありました。タイの求人は、日本企業のタイ支社のコールセンターでの仕事でした。日本語が話せるし、物価も安くて、行きやすいなと思ったんです。何より、「微笑みの国」と言われているように明るいイメージが決め手でした。

 それで、2010年にタイに渡りました。その頃のタイは、爆破テロがあったり、赤シャツ隊の暴動があったりして、家族みんなに反対されました。でも、それを押し切って行ってしまったんです。タイでの生活はすごく充実していましたね。一歩出ればタイだけど、日本の企業だったし、仕事はやりやすかったんです。毎日が常夏で、お友だちもたくさんできて。日本からは北海道や沖縄、大阪など、いろいろな場所から働きに来ていました。1年半経って、契約満了という形で、日本に戻ってきました。

 それから、またアルバイトをしながら、自分はこれからどういう方向に行こうか、これから何をしたらいいのかを考えました。ヘルパー2級の資格は持っていたけど、ブランクがあったので、「家事の範囲なら、私にもできるのでは」と思って、家政婦の仕事を選びました。まだ介護にどっぷり浸かるよりも、人に接することだし、リハビリ的に自分のできることから始めたかったという気持ちがあったのかも知れません。それで、現在、家政婦の事業所に登録をして所属しています。

人ってすごいな~と思うことがあるんです

 今、週の大半うかがっているお宅は、今年の6月で丸2年になります。88歳の女性の見守りと、お食事介助、排泄介助など日常のサポートという内容で始まりました。その頃のお食事は、豚の角煮や、黒豆のお惣菜など、用意してあるものを食べてもらっていました。

 でもあるとき、風邪をこじらせてから、だんだん容態が衰えてきて、寝たきり状態になってしまったんです。それで、自宅にあったブレンダーを持って行って「全部細かくして、ストローで飲んでもらうのはどうですか?」って提案したんです。口からはとることができないけど、ストローで流して飲めるくらいの力は残っていたので。「じゃ、やってみましょう」ってことになり、10種類くらいの野菜やきのこ、お肉をコンソメで煮込んでスープを作り、そこにご飯を加えてミキサーにかけ、細かくしたものを飲んでもらいました。そういう日が3か月くらい続きましたね。だんだん元気が出てきて、またスプーンで食事がとれるくらいに回復していったんです。自分でも、ご家族や、周りの方もびっくりするくらい。

 もともと調理担当ではなかったんですけど、どうしても元気になってもらいたくて、あれこれ考えて作っていきました。例えば、ポテトサラダは柔らかくて栄養もあるからいいんじゃないか。親子丼だったら、鶏肉はブレンダーで細かくして、柔らかく煮た玉ねぎなど、何日分か作っておいて、それを上手に小分けして冷凍しておく。料理にはすべてトロミをつける、など、介護食は作ったことがなかったのですが調べながら作って、いつの間にかレパートリーが増えました。日々、いろんなものを少しずつ作っては冷凍して、今では毎食13品目あります。今は「全介護」ですが、寝たきりではなくて、移動も介護しながらなんですが、風邪もひかず元気です。先日90歳を迎えられました。

 人ってすごいな~と思うことがあるんです。その方は具合が悪かったときから、お話をしなくなってしまったんですね。前は「結婚するならどんな男の人がいいですか?」と聞くと、「自分でみつけなよ」「真面目な、よく働く人がいいよ」ってアドバイスくれたりしたんです。それが段々「おはようございます」って言っても黙っちゃって。衰えてきているのが目に見えてくるのは、すごくつらかったです。「今まで言葉のキャッチボールがあったのに~」と思って。仕方ないのかな、とも思ったんですが、あきらめずに話しかけるようにしたんです。ひとつのことを100回くらい。「○○さん、出身地はどちらですか?」とかね。どうしてもまた話がしたいっていう、私の意地だったのかも知れません。

 ずっと無言だったんですけど、それを続けたら、人ってすごいですよね、あるとき「○○(県名)よ!」って。何も喋れなくなってしまっていたのに、応えてくれるようになったんです。みんなびっくりしていました。私もうれしくて、これはすごくやりがいがあるな、と思って楽しくなりました。

 今は「おいしいですか?」って聞くと、「うん、うん」って言って、私が作ったものを全部食べてくれる。それが何よりもうれしいです。時々「まずいよ!」「え! まずい? じゃ、料理長に言っておきますね~。もっとおいしくしてもらいましょうね~」なんて言いながらやっています。私の話に顔をくしゃくしゃにして笑ってくれるときもあります。

全部つながったという感じがしています

 訪問先で出会った他のヘルパーさんも、みんないい方たちで、忘れかけていたテコの原理や、肘を持つと安定するよ、とか細かいところまで教えてくれるんです。普段から優しく接してくださるご家族の方々をはじめ、出入りしている訪問ドクター、訪問歯科医、近所の方に至るまで、いろいろな触れ合い、出会いがあるんだなと思います。そして、人は一人じゃ成り立たないんだな、ということも日々実感しています。

 今40代になって、全部つながったという感じがしています。広告代理店の営業は人と深く関わる仕事だったし、段取りをうまく組むように仕事をしてきたことも今に活きているし、調理師の免許を取得したことも。自分が健康でいられれば、この仕事はずっと続けられると思います。人生は一度きりなので、今できることをモットーに、介護のスキルアップを目指して、次は実務者研修の勉強をしようと思っています。

桜を見に利用者さんのS様と

毎回、完食してくださいます

インタビュー感想

 インタビューを引き受けてくださることになった後、渡辺さんはこれまでの経歴をノートに何ページにもわたって書きまとめてくれていました。何をするにも、まっすぐで一生懸命な渡辺さんです。一見、何の関係もない事柄の一つひとつが、ここへ来て見事に全部つながったというエピソードは、人生に無駄なことは本当に何一つないんだということを感じさせてくれました。

 驚いたのが、お食事のプレートです。時期によって品目数は+αするとのことですが、この日は、ご飯、味噌汁、素麺、かぼちゃ煮、ナスの味噌煮、黒豆、茶碗蒸し、オムレツ、しらす豆腐、ハンバーグ、焼きあじ煮、帆立のクリーム煮、ヨーグルト、苺、プリンの14品目。元気になってもらいたい一心で作り続けた、そして、もう一度話をしたくて話しかけ続けた、という渡辺さんのその強い気持ちが、よい結果を生み出したのだと思います。

【久田恵の眼】
 人生をどう歩んでいくかは、人それぞれ。一本道をまっすぐに進む選択もありますが、横道にそれたり、道草をしたり、いろいろな歩き方がありますね。でも、自分を自由にして、捉われずに歩いていると、いつのまにか自分の好きなこと、心の惹かれることに人は向かっていて、気が付いたら「そうか、これが私のやりたいことだったのね」という場所へ導かれてしまうもの。「40代になって、やってきたことが全部つながった」、「振り返ったら、通ってきた道は全部自分に必要なことだった」、そう思える人は、自分の人生を常に光の方向へと展開していける人なのだと思います。