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介護職に就いた私の理由(わけ)

さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。


●インタビュー大募集
「このコーナーに出てみたい(自薦)、出してみたい(他薦)」と思われる方がいらっしゃったら、
kawase@chuohoki.co.jp
までご連絡ください。折り返し、連絡させていただきます。

花げし舎ロゴ

花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第28回 都心の真ん中だからこそ、地域のつながりを 
住民としての視点を大切に

國松 恵さん(64歳)
NPO「エブリイ」 代表

取材:石川未紀

同じ後悔はしたくないと思って

 息子が3人いて、夫の両親と同居。息子の学校のPTAをしたり、ときにはパートに出たり…。ごくふつうの主婦でした。義母に介護が必要になってからも、私がずっと家で看ていました。ある日、体調がすぐれない義母を病院に連れて行ったら「こんなになるまでよく在宅で看ていたね」って言われたんです。肺炎でした。微熱があることはわかっていましたが、まさか肺炎だなんて思わなかった。私に知識がなかったばっかりに、義母の寿命を縮めてしまったのかもしれない、という悔いが残りました。

 義母をおくったあと、これからは同じ後悔はしたくないと思ってヘルパー1級の資格をとって、その後は、しばらく社会福祉協議会に登録していました。そこで行われるヘルパー研修の手伝いをしているとき、だんだんと社会福祉協議会が地域から離れていくように感じたんです。もっと地域と結びついていてほしいのに、その部分がだんだん希薄になっているなと……。介護保険が施行されて、これまでの福祉という考え方が変わってきた時期だとは思うんですが、ヘルパー研修や派遣などもどんどん民間に移行していきました。いいこともあるのでしょうが、役所も民間も手が届かないような、制度からこぼれ落ちてしまうような部分を、しっかりとやってほしいと思っていました。もちろん、やっているのでしょうけれど、住民という立場から見ると少し不安がありました。

「港区に住んでよかった」と心から思える街づくり

 私は東京・港区の出身ではないのですが、主人は港区生まれの港区育ち。一生出るつもりもないみたいで(笑)、私も港区に35年くらい住んでいて、きっとここに骨を埋めるのだろうと思っています。それならば、区民が区民を支えるという仕組みがあったほうがいいんじゃないかって考えていました。とは言っても、しばらく悶々としていたんだけれど、やっぱり同じように思っている仲間がいて…。

 その女性は、ある研修でたまたま隣の席になった方だったんだけれど、意気投合して、それなら「NPOを作っちゃおうか」と。彼女こそ生粋の港区生まれの港区育ち。親の代から住んでいると、人間関係もしっかりしていて、支え合うということが案外自然なんです。それで区民による区民のためのNPO「エブリイ」を立ち上げたんです。エブリイは「のんびり」「ゆっくり」「支え合う」を合言葉に、「港区に住んでよかった」と心から思える街づくりを目指しています。都心部はどうしても人の流動が多くて、人間関係が希薄になりがち。でもそういう地域だからこそ、区民が集える広場みたいなところが必要なんじゃないかなと思っています。

 でも、場所を借りるにも、お金がかかる。どうやって資金を集めるかということも、最初は手探りでした。立ち上げメンバーで少しずつ出資金を出し合って、事務所も最初はメンバーの自宅でした。でも、人とのつながりって大切だなと思うのだけれど、そういう居場所づくりをしていることを知った区役所の人が場所を提供してくれたり、経理の仕事も、当初は知り合いの税理士の方が無償でやってくださったり。今は少しですがお金を支払えるようになりましたが、いい人たちに巡り合え、支えてくださったことも大きかったですね。ヘルパーを派遣することで資金を確保したり、助成金を申請したりしながら、同時にお年寄りが立ち寄って楽しめる広場を提供しています。みんなで料理して食べたり、誰でも気軽に楽しめるさをり織を織ったり、絵を描いたり…。「特別」なイベントというよりは、本当に日常の延長をここでおしゃべりでもしながら過ごしてほしい、そんな思いで続けています。

 いわゆる「広場」をやっていると、こちらが何かを提供する、一緒に楽しむというだけでなく、いろんな発見もあるんです。ある高齢の方は中途障害で目が不自由なのですが、若い頃から絵を描くのが大好き。色の情報を伝えると、彼女自身が絵の具を混ぜるのですが、あれこれ聞かれたあと、一気に、大胆な筆遣いで描いている。目が見えないから平面の絵は楽しむことができないと思いがちだけれども、こんなふうに楽しむことともできるんだなと。

現場に出たからこそ見えてきたこと

 当事者の方とこうやって直接かかわらなければ見えないことも多いのではないでしょうか。直接かかわることで、新しい発見もあるし、問題や課題も見えてくる。介護保険が充実して、高齢者向けの事業所は爆発的に増えたけれども、難病や高次脳機能障害や精神障害などは、なかなか理解が進まなくて、必要な支援が受けられない人がたくさんいることも、現場に出たからこそ見えてきたこと。これからはこういう人たちを支えられたらいいなと思っています。

 私は、失うものは何もないと思っているんです。だから、区役所の人とうまくやっていかなくちゃとか、この事務所を死守しなくてはとか、そういうものがまったくないんです。ただ、利用者の立場には常に立っていたいという思いはあります。私は地域で支え合いたいと思っているし、自分が将来ここで年を重ねることができてよかったと思える場所であってほしい。「制度」というのはよかれと思って作られるのだとは思うけれど、その「制度」がかえって利用する人にとって使いづらくしてしまうこともある。そんなときは、制度からこぼれ落ちる人がないように、役所にも伝えるし、そういう人たちを支える仕組みをまだまだだけれど、作っていきたいと思っています。

 実はこの間、実母が胃ろうになったんです。わかってはいたことですが、やはり定期的に看なければならないので半端な気持ちではできないですね。そもそも、このときのためにヘルパー1級をとったのですから、今度こそ、経験や知識を生かしたいなと思っています。

 そんなこともあって、近頃はうまく世代交代できたらなあと考えています。若い人たちにも入ってもらい、これまでの私たちの活動や経験、知恵に加えて、新しい感性をどんどん取り入れてもらって、これまでの考え方を超えるような発想のものを生み出していってもらいたいと思っています。

地域まつりに参加。ここでの売り上げを震災の義援金に。

インタビュー感想

 一見、慎重そうにも見えて、実は「迷ったらやる」――、そんなタイプとお見受けしました。しなやかな発想で、これまでの常識や、福祉の考え方を超えて活動されていている様子。地域の方や大学の先生、医師などとも、フラットに話し、地域の居場所づくりをどんどん広げているようでした。気取らず、おごらず、やわらかな物腰の國松さん。「お母さん」と呼ぶにふさわしそうな雰囲気の方でした。「他者の利益」を本気で考えられている國松さんのような方にもっと活躍していただけると、地域住民は安心して暮らせるのではないでしょうか。

【久田恵の眼】
 振り返れば、保育園も学童保育も制度なき時代に、それを必要とする当事者たちの情熱と協力によって生み出されてきました。共同保育所も、共同学童も、それを願う人たちによって自ら作られ、制度化されていきました。介護の場も、それを必要とする当事者の協力があれば、よりよい場が作れそうですね。地域は人材の宝庫。國松さんの後に続く人が、次々と登場してくる時代の到来が今、待たれているとの実感を覚えます。