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介護職に就いた私の理由(わけ)

さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。


花げし舎ロゴ

花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第27回 管理栄養士から介護職へ 
福祉を通じて社会貢献したい

道満敦子さん(56歳)
ゆいま~る館ケ丘 小規模多機能ゆらリズム
管理者/管理栄養士/介護福祉士(東京・八王子)

取材:原口美香

福祉のほうへ行ったらどうだ?

 私は生まれも育ちも岡山なんです。大学も岡山の女子大に通い、栄養学を学びました。大学卒業後は、地元の放送局に勤め、結婚を機に退職しました。それから少しして、2人の子どもは両親がみてくれるというので、新設の老人保健施設で管理栄養士として働き始めたんです。だけど、下の子が小学校に上がるときに、両親が子どもの面倒をみるのが大変になってきたというので辞めてしまいました。

 私の父は、岡山県の県議会議員を7期務めた人間で、「電話1本、どこへでも」というキャッチフレーズで、支援者に困ったことが起きると、カブの後ろに私を乗せてよく出かけていました。その当時の岡山県は、「福祉・教育県」と言われていました。そういうこともあって、父が「福祉のほうへ行ったらどうだ? これからは大切な仕事になるから」と言っていたんですね。父としては、自分が「岡山県を『医療・福祉県』にするのに貢献した」という気持ちがあるので、「福祉の部分をお前がやったらどうか」という感じでした。

 私は栄養士の仕事が好きで、食べることも作ることも好きで、「また、栄養士としてやっていこうかな」とも考えていたんですけど、当時の栄養士の仕事は、作ることがメインで、利用者の方と関わることも少なかったんです。私としては、もっと人と関わりたいという気持ちもありました。それで父の勧めもあって、ヘルパー3級の資格を取得することにしたんです。ヘルパー3級の資格は、2~3日で取得できるものだったので、その期間だけ両親に子どもを預かってもらったんです。だけど、実習に行った介護施設が時間的にとてもきつい現場だったんです。普通は朝から夕方5時か6時くらいまでだと思うんですけど、そこでは実習生も夜8時までやっていたんですね。職員はもっと遅くまで働いていたと思います。それで、資格は取ったけど、実際に仕事をしようとは思わなかったんです。

ヘルパー1級の講座にはまっちゃった

 それからちょっと経って、父に「もう1回やってみないか?」と言われたんです。そのときは前回の実習のイメージが強く残っていたので、「もう嫌だ」と断ったんです。だけど専業主婦で働いていなかったし、ヘルパー2級の夜間の講座があったので、もう一度やってみようと思いました。夜、子どもを2~3時間、両親に預かってもらって講座を受け、2級の資格を取得しました。そのときは、不思議と「つらい」とは思わなかったんです。知り合いの先生のところでしたし、そこの職場環境もあったと思うんですけど。

 子どもが中・高校生になったころ、岡山市からヘルパー1級の講座を開くというお知らせが来て、申し込んだら抽選で当たりました。1級の講座は難しくて、レポートもたくさん書かなきゃいけないんですけど、おもしろく感じて、はまっちゃったんです。「やらなければいけない」という感じではなくて、徐々に気持ちが高まっていきました。

 資格取得後は、そのときにできた縁もあって、訪問介護の仕事をしたりもしました。

せっかくヘルパー1級の資格があるんだから

 子育ての間は資格をたくさん取ろうと決め、どんどん資格を取っていきました。精神障害者ホームヘルパー、視覚障害者移動介護従業者、難病患者等ホームヘルパー、数えたことはないんですけど、10個くらい、もっとあるかも知れません。現場に出る前に知識を上手く得ておけば、何かのときに役に立つんじゃないかと思って。両親や家族のサポートもありましたね。

 47歳のとき、友人から「介護施設で栄養士を探しているから来てくれないか?」と言われ、見学に行ったらその場で採用になりました。「せっかくヘルパー1級の資格があるんだから、栄養士と介護士の兼務でやってほしい」と。その有料老人ホームから本格的に介護職をやり始めることになったわけです。

 3年勤めて、違う現場も見てみたいと思いました。今度は社会福祉法人の大きな施設に移りました。そのときは、ケアマネジャーの資格も取っていたけれども、生活相談員という形でデイサービスに入ったんです。その後、閉鎖されていた小規模多機能居宅介護事業所を再開させるというので、ケアマネとして立ち上げに関わることになりました。ケアマネとしての実務経験がないので、その点は他の小規模多機能の管理者やケアマネの方々に一から教えてもらいました。岡山では個人的にパイプができていたんです。施設を再開して3か月で監査が入るんですけど、担当者から「よくできていますね」っていう評価をいただいて、お世話になった方々にお礼の電話をかけました。いまでもそのつながりはあります。

私はどうしても小規模多機能がやりたいんです

 54歳のとき、家庭の事情もあって、一家で東京に出てきました。父は私を手元に置いておきたいと思っていたようですが、最後には「自分のやりたいことをやりなさい」と送り出してくれました。

 東京では、複合型サービス(現在の看護小規模多機能)の事業所を作る予定の法人があり、また立ち上げから携わりました。しばらくして他の施設に移り、居宅のケアマネとして働いていましたが、その仕事があまりおもしろく感じられなかったんです。居宅のケアマネより、利用者の方と密に触れ合える小規模多機能の仕事に戻りたいと思っていたんですね。

 そんなとき、あるワークショップで、今の会社(株式会社コミュニティネット)の代表取締役の髙橋英與と出会ったんです。高橋は自立型高齢者住宅「ゆいま~るシリーズ」の開発などを手がけ、多世代が共生できるコミュニティづくりに力を入れていました。それで、髙橋に直接電話をかけて「私を雇ってください」と言ったんです。「私はどうしても小規模多機能がやりたいんです」って。

 そして、2015年6月にオープンした「ゆいま~る館ケ丘 小規模多機能ゆらリズム」の立ち上げを託されました。気づけば、私がしてきたことは全部「立ち上げ」からだったんですよ。立ち上げそのもののキツさはありますが、なかなか経験できないことですし、やりがいもありました。

 小規模多機能は、デイサービスもあって、ショートステイもあって、ホームヘルプサービスもあって、と言われているんですけど、本質は全く違うものなんです。根本は「その方の生活を支えるため」なんですよね。例えば、デイサービスでは集団レクリエーションが多いのですが、小規模では個々のニーズに合わせたことをやる、個人対応なんです。利用者の方のニーズをどうかなえて生活を構築していくか、の「通い」なんです。

 「泊まり」は急なものでも、うちでは対応します。体調が悪いときには、普通なら自宅に帰しますよね。でもうちでは、「体調が回復するまで、うちで看ましょう」という考え方なんです。

 「訪問」も、例えば、居場所がわからなくなった方がいたら、見つかるまで探します。時間で区切るのではなくて、1か月いくらという「まるめ(包括払い)」なんです。運営は大変なんですけど、利用者の方からしたら理想的な仕組みだと思います。その方の生活をどう支援するかって、介護が中心じゃなくて、生活の質もあるけれど、人生の質もあるし、生命の質もあるし、もっと大きなものを考えていかないと、これからの介護は伸びていかないと思います。

「福祉を通して社会貢献しなさい」という父の教え

 「ゆいま~る館ケ丘」がある団地の高齢化率は50.46%。大体2人に1人が高齢者なので(そのうち、一人暮らしは72.29%)、総戸数2847戸なのに、14歳以下が128人しかいないという、衝撃的な数字も出ているんです。ですので、「うちは小規模だけやればいい」ということではなくて、地域活性化を目指して、地域の連携を取る核にならなければいけないとも思っています。

 介護を通じてやらなければいけないこと、社会貢献っていろいろなやり方があるということを、次の世代の人たちに伝えていきたいですね。最初に父に言われた「福祉を通して社会貢献しなさい」ということに、いま、やっとその一歩を踏み出したところです。

かっこよくて、自慢の父でした

インタビュー感想

 お話をうかがって、道満さんにとってお父様の存在は、とても大きなものだったのだと思います。道満さんには「人対人」の仕事が合うのだ、ということを、きっとわかっていたのでしょう。小規模多機能で「いつも利用者の方を見ていたい」という道満さんの言葉がそれを物語っていると思います。また、道満さんは、横のつながりをとても大切にしている方で、岡山の介護職の方、八王子の介護職の方など、いつも密に連絡を取り合い、情報交換や相談をしているんだそうです。「わからないことは素直に『教えてください』って言って教えてもらうんですよ~」と、そのしなやかさは是非見習いたいところでもありました。「地方も都市もつながっていく」そういうネットワークが、これからの時代、必要になってくるのではないかと感じました。

【久田恵の眼】
 人生の最後まで一人で自宅で暮らしたいと願う高齢者は少なくありません。その願いをかなえてくれる希望の光が、今のところは小規模多機能の事業所です。運営が難しくて大変だと言われてはいますが、介護を受ける側にとっては、確かに理想的な仕組み。有料老人ホームに入所できる経済的ゆとりのない方でも、小規模多機能の事業所が近くにあると安心です。その事業所をあえて望んで運営されている道満さん。運営体験から得たさまざまな問題点を共有化し、地域の介護拠点としての先駆的なモデルとなっていただきたいと思います。