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介護職に就いた私の理由(わけ)

さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。


●インタビュー大募集
「このコーナーに出てみたい(自薦)、出してみたい(他薦)」と思われる方がいらっしゃったら、
kawase@chuohoki.co.jp
までご連絡ください。折り返し、連絡させていただきます。

花げし舎ロゴ

花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第21回 夢だった建設業を辞めて介護職へ転身 
サーフィンと介護には共通点がある

三木直也さん(32歳)
ケアセンター風花 介護支援専門員/介護福祉士(和歌山・海南市)

取材:進藤美恵子

実は、中卒です

 家をつくるのが僕の夢だったんです。小さいころから「大工さんになりたい」って、よく言っていたと母から聞かされていました。中学校を卒業して、自然と建設業に飛び込んでいました。個人の家や病院などの内装や、いろんな現場に行って、いろんなものをつくる…ものづくりの現場が楽しかった。15歳から19歳までの4年間、建設業で働きました。

 途中、若さゆえに遊びたい気持ちもあって、数か月働いてはプラプラする感じでした。でも、建設業界を辞めるつもりはなかったですね。「職場を変えてでも建築に携わっていたい」というのはあった。

 ちょうど仕事を辞めている時期に、父が介護の仕事を起業することになったんです。「今、仕事をしてへんのだったら、ヘルパー2級を取って、働いてみないか」と。プラプラしている息子を見兼ねた父が声をかけたんでしょうね。それが介護業界に入ったきっかけです。

他人の飯を食うことにしました

 19歳のときにパートとして父の手伝いをすることになりました。介護職に転職しても、意外と戸惑いはなかったんです。幼少のころから祖母も一緒に暮らしていましたし、母方の祖母のところにもよく遊びに行っていました。もともと高齢者と触れ合う機会が多い環境で育ったんです。

 でも、ちょっと抵抗があったのは女性の入浴介助。戸惑いましたね。最初の3年くらいは、まだ、目の前の介護の仕事をするのが精一杯だったんです。

 父の会社は、訪問介護サービスとデイサービスでした。そこでは、利用者の日中の顔しか見られない。24時間を通して介護を必要とする人の生活を知りたい、もっと深くかかわりたいと思ったんです。父の会社から少し離れてみたいというのもあった。父には「勉強をしたい」という理由を説明したら、「頑張ってきたらいい」と言ってくれた。

 父の会社を2年半で退職。父とは一切関係のない、24時間介護サービスをする特別養護老人ホームを選びました。

 “特養”には、諦められがちなイメージがあったんです。重度の方や、歩けない、食べられない…「特養に入ったら、もうおしまいだ」みたいな。でも、24時間介護サービスをする中で、特養に入っても楽しく過ごせるようにできるんじゃないかと、特養に転職して数年で思ったんです。

 認知症のある方では、夜になるとものすごく症状の悪化する人や、昼間はすごく穏やかなのに、夜はすごく不安になってどうしようもないという人もいて、変化があるというのがわかった。認知症って、いろんな症状があるんですけれども、その中で防げるものがあるというのが勉強していく中でわかって。夜にそういうふうになるのは、これが原因じゃないかっていうのを…、何ていうんですかね。

 そのときに、「あ、この仕事は素晴らしい仕事やなと。人の人生を支えさせてもらってるんだな。僕らの仕事一つでその人の人生がすごく左右される大切な仕事なんだな」と思った。この仕事に対して、もっと頑張らなければと思ったきっかけですね。

サーフィンと介護がつながった

 でも最初は、介護技術を教わってもなかなか技術が身につかないというか、身体に入ってこなかったんです。ところが、趣味のサーフィンのことを考えていたときに、「あれ? なんか似ているな」と思って。先生に相談したら「そういうこと、そういうことって」って言われて。実は、介護技術とサーフィンには共通点があったんです、「重心移動」という。

 介護では、腰を曲げてグッと起こしたりしていた時代があったそうです。力の入りにくい姿勢でグッとやるから腰を痛めてしまう。それは介護の仕方に問題があって、利用者にも負担をかけている。現在でもそういう方法を教えている講習はたくさんある。でも、その先生の講習は、目から鱗が落ちるものでした。重心をずらさずに、介助をするという。それまでの介助は、すべて重心がずれている感じだったんです。

 サーフィンで重心がずれないというのは、ボードにバランスよく乗ることができます。例えば、サーフィンでも前に屈んでも曲がらないんです。やっぱり、重心をしっかりボードの真ん中にとって、そこから上半身で誘導していくんです。その重心がずれていると、ボードがうまく動かないんです。サーフィンの技術が、介護にも役立ったんです。

そして、独立

 それからは、介護の勉強会や講習会にのめり込みました。介護の方法って本当に答えがないんです。この人のやり方がいいかもしれないし、ほかの人のやり方がいいかもしれない。その中で、自分の思う介護を実践しようと思ったら、なかなか、勤めていると難しいところがあったんですね。いろんな職員さんもいますし、法人によって考え方もありますし。これがいいとかダメとかいうのは別にして、自分の思うところの介護をやりたいなと思った。

 そのときにはまだ知識も足りなかったので、勉強していつかはすると決めた。それで30歳の節目でやろうと。特養での約9年を経て、昨年、小規模のデイサービス「風花」を開業しました。

 風花では、1日のメニューを決めていないんです。決めてしまうと、それをしなければいけないとなってしまうので。例えば書道をする人や、その向こうで音楽を聴いている人、塗り絵をしている人もいますし、バラバラです。

 ここには、職員の子どもも来ています。核家族が進んでいる中で高齢者と住む機会も少ないですし、子どもにとってもおじいちゃんおばあちゃんと触れ合う機会がものすごく少なくなってきています。その中で、お互いに触れ合う機会があればいいかなと思って。幼稚園の送迎バスが事業所の前に止まって、バスから降りて来る子もいます。その迎えを楽しみにしている利用者もいます。「あそこ危ないよ」とか、面倒を見る意欲も出てきています。ご自身のことはおいといて、「子どもが心配」という人もいますね。普段、レクレーションをしない人でも子どもがいると「したい」という人もいます。お互いにいい、潤滑油的な感じになっています。

 毎日、嬉しいんです。風花に笑って帰ってくる利用者を見ていると、毎日が楽しい。時々、自分でもちょっと錯覚するくらいに、利用者が家族のように思えてくるときがあるんです。そんなときはホッとして気持ちが安らぎます。

インタビュー感想

 事前に情報を得ていた「介護技術にハマっているサーファー」は、自分の軸をしっかりと持った落ち着いた人でした。趣味のサーフィンが介護に役立つなんて、人生に無駄な経験はないんだなあと、話を聞くうちに思わずにはいられませんでした。借金をして起業した「風花」の利用者の第一号は元同僚の母親。三木さんの姿を間近で見てきた同僚からの信頼は厚く、穏やかな口調の中にも頼もしさを感じました。

【久田恵の眼】
 介護現場で修業を積んだ若者が、新たに自分が求めるデイサービスの場を立ち上げ、自分らしく生きる道を切り開いていく、まさに、三木さんのような若者を育て得るのが、介護の現場なのだということですね。介護を受けている方たちは、存在そのものが「人を育て自立を促す」という役割を果たしているのだと思います。