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介護職に就いた私の理由(わけ)

さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。


花げし舎ロゴ

花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第16回 バスケット一筋から介護の道へ 
目標は母のような介護士さん

椎名 萌さん(23歳)
サテライトいどばた(神奈川・藤沢)

取材:藤山フジコ

母の影響

 この業界に入ったのは、母の影響が大きいですね。今も一緒の職場で働いています。母がここで働き出したのは私が中学生のときです。うちは母子家庭だったので、母が働いて私たち姉妹を育ててくれました。高校生の頃、姉が二人とも結婚して家を出たので、私は学校の帰りに家に帰るよりもこっちに帰るほうが多くて。母も当時は夜勤もあったので、ここでお風呂に入ったりして。もう、おばあちゃん家のような感覚でした。

 高校の進路相談のとき、自然と母と同じ介護職に就こうと思いました。入社して5年目です。あっという間の5年間でした。中学生の頃から馴染みのある場所なので、いい意味で仕事と思っていないというか。自分の家族を介護している感覚ですね。なので、利用者さんとは深く、深くかかわってしまい、病気をされたり亡くなられたりすると寂しい気持ちになることがたくさんあります。

何も特別なことはない

 トイレ介助は、最初は抵抗がありました。1回汚物まみれになるという大変な経験をしてから、「こういうこともあるんだ!」「こんなことばっかりなんだ!」と衝撃で吹っ切れました。それから抵抗がなくなりました。周りからは「大変な仕事だね」と言われることも多いし、確かに傍から見ていたときは自分もそう思っていたんですが、実際働いてみると何も特別なことはないと思います。でも、友だちに「一緒にやってみよう」と気楽には誘えないですね。私もここだから働けるんだと思っています。ここは素の自分をさらけ出せて、自由で居心地がいいです。

 中学生のときに職場体験で大きな介護施設に行ったのですが、ドアに全部ロックがかかっていたり、入浴も時間が決められていてゆっくり入れないし、お風呂から出たら今度はバーッと乾かして。全部時間で管理されていて「仕事、仕事」という感じだったんです。時間内で終わらせるというのは働いている側の都合のわけで、利用者のためではないと思うんです。利用者一人ひとりペースが違うので、その人に合わせた介護が大切なんだと思います。

その人に合わせた介護が大切

 ここでは、すべて利用者さんに合わせた介護をしています。1日のレクレーションも決めないで、まず利用者さんは何をやりたいのか希望を聞きます。「歌いたい」ということになったらみなで集まって歌を歌ったり、今日も病院から退院された利用者さんが「寿司を食べたいな」と言うので、職員利用者12名でお昼に回転寿司に行きました。社長には事後報告です(笑)。自由ですね。管理されていないので、利用者も職員もノビノビしています。

 私が大事にしているのが入浴介助です。一対一で話せるチャンスなので、その人のことを一番よく知ることができると思います。気持ちがよくなって歌い出しちゃう方もいます。利用者さんは私より年上でいろんなことを知っているので、まずはこっちからいろいろ聞いてみます。そうすると認知症の方でも、「ここに行きたい!」とか「これはできる」など意思表示が出てくるんです。高次機能障害をお持ちの利用者さんがいるのですが、他の方とは症状が違うので難しいです。発語しにくい特徴があるので、こちらから問いかけたりして、その方の言いたいことがわかってあげられたらなと思います。

この仕事をしてきて人に優しくなれた

 この仕事をしてきて、人に優しくなれたと思います。「ありがとう」と言われることの多い職場です。この仕事に就いて、あらためて「ありがとう」の大切さを知りました。小学生の頃からバスケットを続けてきたので、根性はあると思います。母がそのミニバスのコーチだったのでよけいに鍛えられました。

 目標は、母のような介護士になることです。同じ職場にいるので四六時中顔を合わせて嫌になるときもありましたが、最近結婚して母の有難みをつくづく実感しました。幼い頃から常に母の背中を見て成長してきました。いつも明るくパワフルで前向きな母のような女性になりたいと思っています。

母のような女性になりたい

インタビュー感想

 インタビュー中も利用者さんや職員の人たちから「萌ちゃん」「萌ちゃん」と声がかかり、皆に愛されているんだなと感じました。「いつも素のままなんです」と話されていましたが、まったく気負うところがなく、自然に施設に溶け込まれていました。インタビューの終盤、萌さんが目標とするパワフルお母さんが登場!「娘は利用者さんの懐にスッと入っていけて、そこは敵わないんですよ」と話されていました。母の背中を見て同じ職業を志した娘の萌さん。母のようになりたいと堂々と言える親子関係って素敵だなと思いました。

【久田恵の眼】
 「お寿司を食べたい!」と、誰かがそう言ったら、「じゃあ、そうしようか」とみんなで食べに行っちゃう、それでOK。そう言う場所で、介護を受けたいと、誰もが願っているのではないでしょうか。介護はふつうのこと、特別なことではない、と言いきれる介護者のいる場所で介護を受けたい、それも誰もが願っていることに違いありません。
 大事なことって、いつだってとってもシンプルなんですね。