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介護職に就いた私の理由(わけ)

さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。


花げし舎ロゴ

花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第15回 デパート勤務からグループハウス経営へ 
高齢者同士が自立して、生活できる場所を目指す。
本当に大切なのは、こころの豊かさ。

岩崎弘子さん(73歳)
グループハウス欅 経営(神奈川・伊勢原市)

取材:原口美香

社会とつながっていたい

 父が学校の先生だったので、小さな頃から、「勉強ができなくてはいけないんじゃないか」って思いがあって一生懸命、勉強しました。大学へ行くつもりが、18歳のとき、父が亡くなって。「学費を出してあげる」っていう親戚の人もいたんだけど、うちが大変なのに、大学へ行っている場合じゃないと、デパートに就職したんです。職場でも頑張って、まとめ役をやらなきゃいけないときに、気づいたら人が離れていくんですね。ショックでした。それで先輩に相談したら、「自分のために頑張るのもいいけど、人が悩んでいるところを聞いて相談に乗ってあげる。その人が気持ちよく仕事に向かえるようにしてあげる、それが先輩の役目だよ」って言われて、すごく反省しました。次の日から、ガラッと変えて。そうしたら、本当に人がついてくるようになりました。

 24歳のとき、職場で知り合った主人と結婚して、一番上の子が生まれた頃、今度は母が亡くなりました。それから3人の子どもを育てて、仕事はしてなかったから、学校のPTA役員なんかもずいぶん、やりましたね。そこでも、人との関わりの大切さを勉強させられました。

 そのうちに、専業主婦じゃなくて、社会とつながっていたいという気持ちが強くなって、「子どもがいてもできる仕事を探そう」と思うようになりました。それで、お勤めをしていた頃に、資格を取っていたお花を教え始めたんです。そうしたら、家の中から外の社会に向かって気持ちが変わっていったんですね。

グループハウス欅

 「グループハウス欅」の構想を始めたのは、54歳のとき。主人が早期退職して、家にいるようになって、「主人と二人で仕事をする場所を作ったほうがいいな」と思っていた頃、義理の叔母の住まいの問題が出てきたんです。そこで、お年寄りが入れるアパートを作ろうと決めました。

 それから、主人と住宅展示場を見学したり、自分で設計したりして。その頃は、お年寄りが一人で暮らすっていう場所がなくて、気持ちが一気に加速しましたね。ヘルパーの資格を取るために研修を受けた施設を見ながら、「老後、住むためには、何が必要で、何が必要じゃないか」っていうのを自分なりに考えました。「一人住まいは、寂しいときもある。危ないことがあったら、どうしよう、ご飯の支度ができなくなったら」って。そういうのを考えていくうちに、今の形ができていったんです。

 ここは、普通のアパートのように部屋は一人一部屋あるけど、朝と夜は食事を提供して、みんなで集まって食べる。部屋にはシャワーもあるけど、共同の大きな檜のお風呂もある。洗濯や掃除は、自分のところはやってもらうけど、できないところは関わっていく。無償で病院への送迎や、薬の管理、入院の手続きをすることもあります。でも、全部やるんじゃなくて、最後まで自立してもらいたいから、できないところを手助けするという「見守り」のスタイルを作ったんです。

人と上手く混ざり合える環境

 建物はふたつあって、ひとつは、70歳~101歳までのおばあちゃんや、学生や単身者。もうひとつは、所帯持ちの人。

 あるときは、学生さんが「花火に行くから浴衣を着せてくれない?」って言うので、おばあちゃんが、二人がかりで「ああでもない、こうでもない」ってやりながら着せたり。そういうのがいいんですよね。いつもではないけど、そういうことが世代間を近づけている。見ているだけでも大分違うから。

 土曜はお稽古の日にして、絵を描いたり、お習字をしたり、洋裁で吊るし雛を作ったり。住んでる人が集まって、クリスマスコンサートやお花見など、イベントもたくさんあります。

 今小さい子もいるから、おばあちゃんにお菓子なんかもらいに来たり。小さい子を触っただけでも気持ちがいいし、「かわいいね」っていう、その感情がやっぱりいいと思うんですよ。

 人と上手く混ざり合って、今の社会を感じ取って、立ち上がって、ちょっと人に手を貸してあげる、そのくらいのおばあちゃんが出てきたっていいと思うのね。そのほうが、最後までイキイキ生きて、役に立つ自分でいて。自分でできる幸せ、やってもらう幸せ。あと、やってあげる幸せがすごいの。何かをやってあげて、喜ばれたい。「あ~、まだ私、できるわ」って自信もつくしね。その3つの幸せが、老後は必要だと思います。

 今、思うと、生い立ちや、職場などの経験は、私の中ですごく比重を占めていたんです。環境というのはすごいもので、自然と勉強させてくれますね。そのときは、勉強なんて思わないけど。始めてから16年間、いろいろなことがありました。全然、「これでいいんだ」とは思ってないんです。人間同士の心の行き交いを、今の社会の中でうまく活かすことを目指してやってきたので、まだまだ、「くじけちゃいけない!」と思っています。正面から向き合って、お互いが成長していると感じられるような、「生きた!」と実感できるような場所にね、1年でも1か月でもいいから、あそこに入りたいって言われるくらい、魅力的にしなきゃいけない。身体が動く限り、続けたいと思います。

入居者の方と一緒に

インタビュー感想

 「正直に、そのままがいいのよ」という岩崎さんは、飾らず、何ごとも一生懸命に取り組んで人生を歩んでこられた方。世代の違う人々の交流から生まれるものを、何よりも大切にし、入居者の方の目線で考えた日々の生活を、そっと見守っています。食卓に出す野菜を無農薬で自ら作り、ときには学生さんたちの母親代わりにも。今でも、卒業して何年も経つ学生さんたちが、遊びに来てくれるそうです。人間関係が希薄になりつつある今、ずっと見守っていきたい「シェアハウス」(月額14万5,000円<朝・夕食費込み>)です。

【久田恵の眼】
 いろんな世代が一つの家族のように暮らすシェアハウス、しかも、お互いが助け合って、協力し合って暮らせる。必要なサポートを必要なときに、すっと手が伸びてくるように支え合える、そんな場を目指す素晴らしい試みですね。むろん、簡単にできることではありません。でも、そうでありたいとの願いを強く持って、くじけることなく前に向かっていることに心が打たれます。実は、どこにも自分を待っていてくれているバラ色の場なんてないのだと思います。自分のいるところに、そのバラ色の場を作るしかないのだと、いうことです。
 70代の岩崎さんのシェアハウス「欅」は、80代、90代になっても自立して生き抜きたいと願う、ひとつの「高齢者の住み方」に示唆を与えてくれます。