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介護職に就いた私の理由(わけ)

さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。


花げし舎ロゴ

花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第11回 家庭の主婦から介護職へ 
サービス提供責任者の仕事は、いろいろな人に出会える現場。たくさんの人に関わって、話をすることが何より楽しい。

佐藤篤子さん(49歳)
城山介護サービス サービス提供責任者/介護福祉士
(東京・八王子)

取材:原口美香

義父の介護

 もともと私は、全然違う仕事をしていたんです。短大を卒業して、お勤めして、普通に結婚して、いったんは家庭に入ったんですね。パートに出ていたりもしていたんですけど、夫の父が病気になってしまったんです。もう余命半年だと言われて。夫の両親は八王子に住んでいて、私は結婚した当時、板橋区にいて、お手伝いをするために最初は通っていたんです。だけど、子どももまだ小さかったので、やっぱり大変だから、「引っ越しちゃえ!」って、八王子に転居しました。

 ある時、「もう積極的な治療はやめよう」ということになって、義父を退院させて、訪問診療のお医者さんを頼むことになったんですね。そのお医者さんは、八王子保健生活協同組合(はちせい)の城山病院から来てもらうことになりました。家庭の中で、家族だけで介護をしようとすると、みんな疲れているし、私も子どもがまだ1歳だったので、結構ギスギスっていう感じになっちゃうんです。でも訪問看護師さんが、病人のケアの傍ら、ちょっとしゃべっていってくれるんですね。病気の話ではなくて、本当に他愛もない話をしてくれていたんです。そうすると、家の中の雰囲気がすごく変わるんです。他人が入ると。

 最終的には、義父を家で看取ることができました。亡くなって1年を過ぎたくらいから、残された家族も「やるだけのことはやったよ」っていう達成感じゃないですけれど、「なんとなくよかったかな」って思えてきたんですよね。

訪問看護師さんからのお誘い

 その頃、義父の担当だった訪問看護師さんが訪ねてきてくれたんです。「城山病院でヘルパー2級講座をやっているので、どうですか?」って。義父の介護をしている時、ヘルパーの仕事の話もしていて、「そういう仕事もあるのよ」と聞いてはいたんです。「今、していることをやればいいんだから、同じよ」って。「そうか、じゃ、できそうですね!」って話していて。意外と私は楽天的なので、そう言われたら、そう思っちゃうようなところがあるんですね。義母も「時々なら子どもを見てもいいよ」って言ってくれたので、やってみることにしたんです。講習中は子どもを母に預けて、全面的に助けてもらいました。7月から11月まで、週2回通って資格を取り、そのまま城山介護サービスで働くようになったんです。

 最初は週に1日、子どもが幼稚園に行っている間だけ、始めました。子育てしながら働く時に、ホームヘルパーっていう仕事は曜日と時間を指定して働くことができるので、働き方としても私に合っていたんです。最初、不安はありましたけど、知らない人のおうちに行く訳ですし。でも、知らない人だけど、何回か通えば、知っている人になっちゃうので。だんだん慣れましたね。

 それから2人目ができて少し休んで、今度は、夫が子どもを見てくれる土日だけ、働き始めました。仕事が増えてくると、義母に子どもを見てもらったり、一時保育の制度もその頃できたので、うまく一時保育を利用しながら、自分の都合のいい時間に働いてきました。

魅力的な人がいつもいつも周りにいた

 5年前に、その当時の所長さんから声をかけられて、サービス提供責任者になりました。退職する予定の方がいて、次の人を探していたんですね。下の子どもも小学校1年生になっていたので、ちょうどよかったんです。私は下の子どもが生まれた後に介護福祉士、今から2年前にはケアマネジャーの資格も取りました。

 サービス提供責任者という仕事は、利用者さん、そのご家族、ヘルパーさん、ケアマネジャーさんと、本当にたくさんの人に出会うんですね。いろいろな個性的な人に出会って、話ができる、それがとてもおもしろいんです。利用者さんも人生のすごい先輩でもあるし、これから先、自分が生きていくための糧となる言葉を言ってくれている。それが、すごくためになると感じます。

 今、子どもは高校3年生と中学1年生になりました。気がついたら介護職に就いて14年。この仕事に就いてよかったと思っています。大変なこともあるけど、毎日が楽しいんでしょうね。どちらかといえば、飽きっぽい性格なので、最初は「続くかな?」と思っていたんですが、義父を担当していた訪問看護師さん、城山介護サービスを立ち上げた当時の管理者、今の管理者など、魅力的な人がいつもいつも周りにいたというのが、私が続けられた理由だと思います。

OL時代の佐藤さん

インタビュー感想

 飛び抜けて明るい佐藤さんは、何かあっても笑い飛ばしてしまいそうなパワフルな女性。介護を受ける側の家族として見えた風景は、今、さまざまな現場で優しさとなっているに違いないと思いました。サービス提供責任者の仕事には、人間関係を円滑にすること、人間観察の目を持つことが大切なのだということを、教えていただきました。

【久田恵の眼】
 介護体験が、介護職の道へ進むきっかけとなった佐藤さん、どんな困難と思える場面にも、必ずポジティブなものがそこに潜んでいると言いますが、引っ越しをしてまで義父の介護と向き合ったことが、彼女にとって大事な出会いを生みました。そして、その後の人生の選択につながっていったのですね。人の人生は、そのようにして思わぬ展開をしていくのだと改めて考えさせられてしまいます。

久田恵 出演情報
テーマは「母のいた場所」。母の介護時代のことや、花げし舎を拠点にした現在の活動などについて放送されます。「けあサポ」のチーム取材の編集会議の様子も放送!
  • 【再放送】ハートネットTV「リハビリ・介護を生きる」
  • 【放送日】NHK・Eテレ 11月25日(水)午後1時5分から。