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介護職に就いた私の理由(わけ)

さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。


●インタビュー大募集
「このコーナーに出てみたい(自薦)、出してみたい(他薦)」と思われる方がいらっしゃったら、
kawase@chuohoki.co.jp
までご連絡ください。折り返し、連絡させていただきます。

花げし舎ロゴ

花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第9回 言語訓練指導員から、おそるおそる介護の世界へ 
行きつ戻りつ、職場を転々としながら、ついに自己改革を果たしました!

坂上由子さん(39歳)
ライフプレステージ白ゆり新さっぽろ(デイサービス)
(北海道・札幌)

取材:久田 恵

結婚前は、言語訓練指導の仕事をしていました

 小学生の頃、障害を持った子どもに触れる体験があって、その頃から、ずっとそういう人たちを支える仕事がしたいな、と思っていたんです。特に子どもの。

 この仕事は、言語発達の遅れとか、声や発音に支障があるとか、さらに、食べる機能の障害とかのリハビリや、訓練、指導などをするのです。対象とするのは子どもから高齢者までと、幅が広いんです。私は子どもを対象にした仕事がしたかったのですが、こういう障害の子どもの施設が少なくて、望んでいた場所での仕事を見つけられませんでした。

 そんなわけで、結局、大人の方の施設で働いてはいたのですが、今一つ、望んだ仕事ができなくて、納得がいかないままでした。結婚後も仕事は続けていたのですが、出産を機に辞めました。子どもが小さい時は、あまり家を出たくないな、と思ってもいたのです。

専業主婦を3年続け、何かしようかな、と

 30歳になり、子どもが幼稚園に入った時に、何かしようかなと思ったのです。それで、近くのデイサービスで、パートの入浴ヘルパーの募集を見て、「これ、やってみようかなあ」と。資格がなくても、とりあえず働ける場所なので。

 午前中の3時間半ほど、子どもが幼稚園から帰るまでということで、そろりそろりと働き始めたわけです。この入浴ヘルパーのパートは、お金が少し稼げればと思って始めたことですが、相手の方から、「あなたに背中を流してもらうと嬉しいわぁ」と言われ、思わず、私も嬉しくなって、昔の仕事への思いもよみがえりました。自分がかかわった方の別の様子もみてみたい、もうちょっと、かかわりたい、そんな気持ちになったのです。

実は、私は人と話すのが、全然、得意じゃないのです

 普通のパートになって働く時間を増やしてみたものの、デイサービスで、何十人もの利用者さんの前に立って話すことにものすごく抵抗がありました。大勢の前で、レクリエーションなどの指導をするなんて、私には絶対、無理と思いました。それで、入浴ヘルパーのパートにまた戻っちゃったりしたんです。小学生になった娘からも、「お母さんが家にいないの、イヤ!」とか言われて。なかなか気持ちが前向きになれないでいました。

パートだけを延々とやっていてもダメだゾ、と思って

 でも、やっぱり、このまま入浴ヘルパーのパートだけを延々とやっていてもダメだゾ、と思って、自分で今度は覚悟を決めました。

 子どもが中学校に入った時、もう少し長く働いてみようと、思い切って、デイサービスの普通のパートに替わりました。

 それで、もう簡単に逃げられないように、職員になっちゃったんです。

 頑張ってみんなの前で話をするしかない、というような立場に自分で自分を追い込んだのです。

 このパートから職員への踏ん切り。他の方には、全然、たいしたことでもなんでもないことなのかもしれません。でも私の中では、それがとても大きな壁でした。自分が頑張って、覚悟して乗り越えないとできないようなことだったのです。

 そんなこんなで、30歳で入浴ヘルパーをやって以後、もう行きつ戻りつで、デイサービスの事業所ばかりを三つも変わっちゃって、十年ほどもさすらった末に、今のデイサービスの職場に落ち着きました。実は、ここが4か所目。職場を変わる度に、レクリエーションとか体操とか、食事介助とかと仕事の領域を少しずつ増やしていきました。

 また、介護の現場で3年働くと、介護福祉士の受験資格をもらえるので、自力で本などで勉強をし、試験を受けて(実技試験も)、資格を取りました。

だんだんに、じわじわと介護の世界の仕事にはまっていったのです

 私がデイサービスの現場を好きなのは「みなさんが楽しい時を過ごして、また家へ帰るという感じがすごく嬉しい」んだと思います。職場は、2年前に地域に新設された天然温泉・展望浴室付きの高齢者向け住宅で、そこにデイサービス、グループホーム、訪問介護、ショートスティなどなど、なんと8つもの事業所が、同じ施設内に全部ある複合介護施設なんです。ほぼ8割が、地域の方が利用されています。

 でも、新しい施設なので、みんなで、最初からデイサービスの場を立ち上げていきました。今まで自分が、あちこちで経験してきたところの一番いいところを生かして、「やりたいようにやってごらん」と言ってもらえたのがよかったです。職員も最初5人ぐらいしかいなくて、そこから考えて最初からやってこれたのが、楽しかったです。

いろんな試みを一生懸命続けることにやりがいを感じます

 現在、170人の方が登録されています。慣れてくると、まるで、業務の流れ作業的なことになったりする場合もありますが、利用者の方に求められていることをくみ上げて、いろんな試みを一生懸命続けることにやりがいを感じます。

 振り返ってみると、これまでは介護職をやって、自分がいろいろとできるようになることに嬉しさを覚えていたのですが、いつのまにかみんなに頼ってもらうところに嬉しさを覚えるようになったというか。自分をバーッと表に出すのが苦手でも、陰で支えられる、目立たなくても支える人になりたいというように、自分がいつのまにか変わってきたと思います。

 介護の現場は、人と人との仕事なので、私がいいと思う人も苦手と思う人もいるかと思うのですが、だんだん目の前だけじゃなくて、全体を見られるようになってきましたね。

 たとえば、利用者さんが喜んでいると、その家族の方も喜んで、その知り合いの方も喜んで、利用者さんが喜んでいることで、私が喜んでいると、仕事仲間とか、私自身の家族とか、子どもも喜んで・・、みたいに輪が広がっていくのだなあと思うようになりましたね。

 おかげで、子育てでも、私は、以前は、子どもに完璧を求め、いい子に育てたいと頑張りすぎていたのですが、今は、なにか一歩引いていられるゆとりが出てきました。「ま、いいかな」とか、「いろんな考えがあるのね」と、いろんなことが受け入れられるようになりましたね。

 今、副センター長になったので、「もっと知識と包容力をつけていかなくちゃ」と思っています。夫は、「キミの好きにやっていい」と言ってくれます。「あんまり疲れるんだったらやめれば?」とも言われますが、「やめてもいいんだ」と思えたほうが、私は頑張れるタイプなので、そういう感じがありがたいです。

 私は、介護の仕事をすることで、この十年、少しずつ自己改革をしてきたのだなあ、と実感しています。

【久田恵の眼】
 デイサービスのセンター長はこの道18年のベテランです。でも、彼はこの複合介護施設の施設長も兼ねていますから、目下、坂上さんが、デイサービス部門の実質のリーダーです。施設長からは「彼女は、利用者の方からの信頼感が高く、クレームがゼロ。なにかあってもその場その場でちゃんと解決しているのは、たいしたものです。こっち、あっちと意見をよく聞いて、みんなの気持ちやわらげることのできるタイプなんですね」と、高い評価を得ています。
 人前で話すのは苦手で、自分を大変な引っ込み思案と思っていた坂上さんですが、介護の仕事を通して、リーダーとなり、「周りから頼られることが嬉しい」との境地にまで「自分育て」をしてきました。その経緯は、とても心温まるお話でした。もともと、福祉分野の仕事を志していた努力の人です。芯の強い女性だったのだと思われます。