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介護職に就いた私の理由(わけ)

さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。


●インタビュー大募集
「このコーナーに出てみたい(自薦)、出してみたい(他薦)」と思われる方がいらっしゃったら、
kawase@chuohoki.co.jp
までご連絡ください。折り返し、連絡させていただきます。

花げし舎ロゴ

花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第1回  モダンダンサーからアメリカ移住を経て、介護職へ  
ふと、出会ったこの仕事が、私の人生を再び展開させてくれそうです。

青山琉璃(るり)子さん(65歳)
ユニマットそよ風(千葉・佐倉)

取材:久田 恵

バレエに明け暮れた日々

 千葉で、介護の仕事をして、10年経ちました。

 そんな私ですが、実は幼い頃から、プリマドンナを夢見てひたむきにバレエを踊り続けていたのです。二十代の時は全日本舞踊コンクールで5位に。その時、1位になっていたら、人生が変わったのかなあと思いますが、そうならなかったことで、自信が持てず、踊りへのこだわりに縛られ続けていました。結婚して、子どもを産み、30歳でクラシックバレエからモダンダンスに移りました。モダンダンスなら子育てと両立できるかな、と思ったからで、コンクールに入賞したり、プロのソリストとして踊ったりしてきました。

 でも、私は、「なにもかも捨ててでも踊りたい」という強い思いから逃れられず、そのことで夫婦関係にも軋みが出てきてしまいました。

渡米

 39歳の時に離婚。「もうすべてから逃がれよう」と、子連れでアメリカに行ってしまいました。

 ノースカロライナのダーラムという街で、弟が寿司店をやっていました。そこで働きながらも、やっぱりダンスの練習を始めずにはいられませんでした。踊っていたら、「指導者をやらないか」という誘いがあり、街のバレエスクールの先生をするようになりました。その後、日本語と英語の交換教師をしていたミュージシャンの2歳上の男性と再婚。彼は優しく、私もアメリカに落ち着きました。息子もすっかりアメリカ人になって大学に進み、心理学を学び、自立していきました。

帰国

 十年前のことです。日本に残した高齢の父親のことが気がかりになりました。それで、日本に戻ることにしました。父は千葉の酒々井町(しすいまち)に住む妹と同居中でしたが、長女の自分が、という気持ちがありました。千葉の酒々井町は、水田風景のとても美しいところで、いっぺんで気に入りました。そこで、私は子どものバレエ教室を開き、いずれ夫も日本に来て英語を教えようとの計画でした。

 ところが、現実はそんなにうまくはいきませんでした。公民館を借りて、チャレンジしたのですが、この町ではバレエ教室で生活が立ちゆかないと、断念せざるを得ませんでした。成田のハローワークで職探しをしましたが、さすがに59歳のアメリカ帰りの女には、そうそう就職口がありません。

就職

 その時、「今だけの特典で、ヘルパー資格を取る1か月半の講座を無料で行いますよ」との話があり、とりあえずの気持ちで受講しました。講座終了後、そのまま地元の介護施設で働き始めました。

 ダンスは、肉体の訓練を伴います。高齢者の身体のお世話をし、その機能を回復させようという介護の分野は自分が今までやってきたことに重なっていると、気づきました。そのため、やっていて楽しい。私は、「これは自分の得意分野だ」と思い、ハマりました。性格も一途にやるタイプなので、もう一生懸命。それで信頼されたのか、介護相談のほうも担当するようになったのですが、それは決まった時間で終わる業務ではなく、責任も重く、日々忙殺されるようになっていきました。

 一方、夫のほうに日本に来られない事情が出てきました。2008年に起きたアメリカのサブプライム、住宅ローンの不良債権危機に巻き込まれ、ノースカロライナの自宅の売却ができなくなったのです。それやこれやで、私の胃が痛み始めました。

がん発症

 会社の健康診断で「ポリープがある」と言われて切除し、精密検査をしたら初期の胃癌と判明。それで、忙しい相談員をやめて、事務職兼介護職に替えてもらい、今は、少しのんびり働いています。

 自分が病気で仕事を休んでいた時のことです。私は、思いがけなく「行かなきゃ、行かなきゃ」という強い想いに駆られました。ベッドに横たわる立場になって、自分にとって、介護の仕事とはなんだろうと考えるようにもなり、この時、「わたしの居場所って、ここかな」との実感を覚えたのです。あんなに好きでこだわっていた「踊る」ことは、「ほんとうに私の好きなことだったのか?」とさえ思うのです。十年やって、ついに介護の深さに気がつきました。

 収入は、月15万円くらい。庭付きの古い戸建ての家を家賃4万円で借り、庭にトマトやナスを植えて暮らしています。一人ですから、生活はやっていけます。アメリカに戻れば、家もあり、夫の年金もあるので、心配ないのですが、日本で出会ったこの介護の仕事にまだ引っ張られています。後5年、癌の再発期間がクリアできたら、アメリカに戻ろうと思っています。息子は未婚で、自閉症の方をサポートする仕事で頑張っていますし、夫は70歳。側にいてあげるべきかと。幸い、日本の父は弟がアメリカから戻り、「親孝行をさせてくれ」と言って、大阪で同居を始めています。

 これで、アメリカに帰れそうです。でも、日本での介護の仕事の体験はアメリカでも生かせると思います。今、太極拳を習っていて向こうで教えようかなあ、とも。日本で出会った介護の仕事が、私の人生をまた展開させてくれそうです。

【久田恵の眼】
 厳しい練習に耐えてきた元モダンダンサーの彼女。波乱に富んだ人生経験を持った方ですが、決してくじけない人です。そんな方でしたから、なにごとにも真剣に取り組み、たちまち職場の信頼を得てしまったのだと思います。
 介護は技術だけではなく、高い対人能力も必要で、人としての総合力がものをいう世界です。そうであるからこそ、日々の仕事がそのままあらたな自己発見につながり、自分を知る大切な手がかりを与えてもらえる仕事なのだと思います。
 ちなみに、二十代の頃、私は彼女にモダンダンスを習っていたことがありました!