メニュー(閉じる)
閉じる

ここから本文です

山口晃弘の超幸齢社会の最幸介護術

山口 晃弘(やまぐち あきひろ)

超高齢社会を実り多き「幸齢社会」にするために、
介護職がすべきこととは?
元気がとりえの介護職・山口晃弘が紡ぐ最幸介護術。

プロフィール山口 晃弘 (やまぐち あきひろ)

介護福祉士、介護支援専門員。1971年、東京都生まれ。高校卒業後、設計士、身体障害者施設職員を経て、特別養護老人ホームに入職し、介護職・生活相談員を務め、その後グループホームの管理者となる。
現在、社会福祉法人敬心福祉会 千歳敬心苑の施設長。著書に『最強の介護職、最幸の介護術』(ワニブックス、2014年)、『介護リーダー必読! 元気な職場をつくる、みんなを笑顔にする リーダシップの極意』(中央法規出版、2021年)がある。

意思を継ぐ者

 聖路加国際病院の日野原重明名誉院長が105歳でご逝去されました。
 人間ドッグを民間で初めて取り入れ、生活習慣病の名付け親でもある日野原先生。1995年に起きた地下鉄サリン事件では640人もの被害者を受け入れました。日野原先生がいなかったら、日本の医療はここまで進歩していなかったのではないかと、素人の私でも感じるところです。日野原先生のご冥福を心よりお祈りいたします。

 私が介護業界に足を踏み入れたのは、29歳の時。今から17年前のことです。社会福祉法人老後を幸せにする会の特別養護老人ホームさつき荘という施設でした。入職の初日にお会いしたのが、当時の理事長で、法人の設立者である蓑茂上先生でした。蓑茂先生は、私の入職した特別養護老人ホームさつき荘と同敷地内で共愛医院という病院の院長をされていました。既に90歳になろうかという年齢だったと記憶しています。
 蓑茂先生はよくさつき荘にいらしては、お菓子や重たいリンゴの箱を持って、「いただいたから、みんなで食べなさい」と私に渡してくれました。身体の大きな私を、重たい物を持つ係のように思ってくれていたのでしょうか。よく声をかけてくださいました。

 最も忘れられない思い出が、蓑茂先生が出席する会議に参加させていただいた時のこと。まだ勤めて一年くらいの私は、勢いに任せて現場の改革のような話をした気がします。会議では当時の上司に注意を受けました。
 会議終了後、私が排泄介助の準備をしていると、医院に戻るために通りがかった蓑茂先生が、「君は元気が良くていいね。頑張りなさい」と言ってくれました。
 なんだかとても救われたというか、嬉しかったことを覚えています。

 蓑茂先生が法人と特別養護老人ホームさつき荘を設立したのが、昭和51年。それから41年が経ちました。私はその中のたった13年しか携わっておりませんが、蓑茂先生の掲げた「あらゆる人々の老後の幸せを願い行動する」という理念を受け継いでいるつもりです。
 私の夢、「世の中の困っている人たちを片っ端から助ける」は、私なりに蓑茂先生の意思を継いで掲げたものです。

 この8月から、蓑茂先生の意思を継ぐ職員達が新施設を立ち上げました。現場で頑張る職員達を心から応援しています。
 頑張ってください!!


【前の記事】

元気が出るCafé

【次の記事】

心はどこへ行った?