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山口晃弘の超幸齢社会の最幸介護術

山口 晃弘(やまぐち あきひろ)

超高齢社会を実り多き「幸齢社会」にするために、
介護職がすべきこととは?
元気がとりえの介護職・山口晃弘が紡ぐ最幸介護術。

プロフィール山口 晃弘 (やまぐち あきひろ)

介護福祉士、介護支援専門員。1971年、東京都生まれ。高校卒業後、設計士、身体障害者施設職員を経て、特別養護老人ホームに入職し、介護職・生活相談員を務め、その後グループホームの管理者となる。
現在、社会福祉法人敬心福祉会 千歳敬心苑にて人材育成担当。著書に『最強の介護職、最幸の介護術』(ワニブックス、2014年)がある。

著書

『最強の介護職、最幸の介護術』
『最強の介護職、最幸の介護術』

大切な人 ~認知症を超えるもの~

 認知症の方の多くは、最近のことや今さっきの出来事を記憶するのが難しく、何分か前に起きた出来事も忘れてしまうことが多いです。
 早期発見による対応や薬の服用によって、進行を遅らせることはできるといわれますが、基本的には徐々に(人によっては一気に)進行するもの。だから、認知症になってから出会う私たち職員のことは、なかなか覚えてもらえないといわれています。

 ただ、それでも失われるばかりではありません。日々のかかわりや生活の仕方によって、改善…というより、刺激されていなかった、使っていなかった部分が活動し始めることがあると思うのです。だから、新しい職員の名前を覚えてくれたり、楽しかった昨日のことを覚えていてくれることがあります。

 先日、一人の女性職員が退職しました。彼女は、入居者の皆さんに、退職することを事前に伝えるか、伝えないほうがいいのか、ずっと迷っていました。おそらく、伝えたとしても、時間の経過とともに忘れてしまいます。それは、認知症だからやむを得ないことです。認知症に関しては、実際わからないことだらけですが、私は経験的に「実際の記憶よりも、感情の記憶が残る」というのは実感しています。

 彼女は、その感情の記憶という部分で、実際に「何が」ということは忘れてしまっても、暗い気持ちにさせてしまうかもしれないということを考えたのです。結局、当日まで切り出すことができませんでした。

 そして、勤務最終日。彼女は皆さんの食事の前に、お別れの挨拶をしました。「本日をもって、退職することになりました…」その言葉が精いっぱいでした。その後は涙が止まらず、言葉になりませんでした。入居者の皆さんも、悲しい表情を浮かべながら、彼女の挨拶を聴いていました。誰からともなく、皆さんから彼女を励ます言葉がかけられました。

 「ありがとうございます。必ず帰ってきます」最後にそう力強く言った彼女に、皆さんから温かい拍手が贈られました。

 その後、職員達は、あえて明るく皆さんと接し、悲しい気持ちを引きずらないようにしていました。

 それからさらに数時間後。彼女のことを、本当の娘のようにかわいがってくれていた入居者のAさんが、私に声をかけてきました。「私ね、彼女のことは本当に好きだったのよ。一緒に住みたいと思ってたぐらい。本当に淋しいわ」と、手ぬぐいで涙を拭きながら話してくれました。

 「そうだね。本当に淋しいね」と言いながら、私は内心、驚いていました。彼女が帰ってから、何時間も経っていました。職員達も、そのことには触れないようにしていました。Aさんの中に、間違いなく、感情の記憶ではなく実際の記憶が残っていたのです。

 Aさんの去年の誕生日、職員が「Aさんの好きなものって何?」と聴いた時、Aさんは「焼き肉、ステーキ…彼女!」と、その職員の名を挙げたのでした。

 大切な人、大好きな人の存在は、時に認知症という壁を超えるのではないか?
 そう思う。そう思いたいのです。