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和田行男の婆さんとともに

和田 行男 (和田 行男)

「大逆転の痴呆ケア」でお馴染みの和田行男(大起エンゼルヘルプ)がけあサポに登場!
全国の人々と接する中で感じたこと、和田さんならではの語り口でお伝えします。

プロフィール和田 行男 (わだ ゆきお)

高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。
特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は株式会社大起エンゼルヘルプ地域密着・地域包括事業部 入居・通所事業部部長。介護福祉士。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。

良い暮らし


 自分の親に対する子どもの気持ちとして、「良い暮らしをしてもらいたい」と思っている人が世界中にいます。
 では何をもって「良い」とするかですが、これはどこの国であれ「人殺しのない社会」というように共通するところはあったとしても、「人それぞれ」なところが多々あります。

 先日訪問したベトナムで富裕層といわれている方の話を聞くと、大都会ハノイ市街地は騒音・埃など、とても人が住む環境として「良い」とは思えていないようで、親の自立度が下がったときの「良い暮らし」の条件として、静かで自然豊かな環境、それに湖(川ではないらしい)が見えればなおよく、そこに信頼できる「質の高いと思えるケア付き」がベストだと言っていました。

 僕がこれまで進めてきた「町中で地域社会とつながって生きていけるように」ということとは真逆に思えるかもしれませんが、僕が一番大切にしていることは「適す」ことなので、ベトナムの富裕層にとってそれが「最適」なら、何ら口を挟むものではなく、その上で、どこの国の人であれ人としてそもそも願っているであろう「他人に身を委ねた生きる姿」ではなく、どうやったら「身を委ねなくても済む能力を維持・取り戻せるか」を考えて支援にあたるだけのことです。

 グループホームに入居してきた留蔵さん(仮名)は元社長で、仕事も忙しく早くに妻を亡くしたこともあって、身の回りのことはすべて家政婦さんを雇ってやってもらっていました。

 やがて認知症になりグループホームに入居されましたが、そもそも「身の回りのことは他人様がやる」のが基本の方なので、僕らが考える「自分のことは自分で・互いに助け合って」の考え方で支援しようとするのですがうまくいきません。

 「それをうまくいかせる必要性があるんですか」
 「いいじゃないですか、それがその人なんだから」

 そう思っている介護職もたくさんいるでしょうし、うちの職員にもいることでしょう。
 でも僕は、そうは思えないのです。
 その理由は、誰も「できなくなる・わからなくなる自分」を歓迎しないだろうと考えるからです。

 「できなくなっていいと思っている人はいますか?」

 そう研修会や講演会で投げかけますが、80歳になったら歩けなくなってもいいと思っている人、自分でご飯を食べられなくなることを願っている人、何でも他人様に委ねた生活を願っている人に出会ったことがありません。

 専門職の前に居ないのならまだしも、僕らの前にいる方にみすみす廃用をつくるわけにはいきませんが、「あれやって・これやって」と強いるのも本末転倒です。

 「留蔵さん、何もされようとせず座ってばかりなんです」
 リーダーから相談を受けました。
 「大丈夫、まだ入居者が少ないし、これから入ってきたら変わるから。それまで何でもかんでもしてあげてください。靴下さえも履かせてあげてね」

  開設したばかりのグループホームで、早期に入居された留蔵さんは未知です。

  「次に女性が入ってきましたが、変わらずです」
 「そうかぁ、まだまだ」
 「次に一人暮らしだった男性が入居され、調理や掃除など何に対してもよく動かれるのですが、その姿を見ても留蔵さんは変わらないですね。ずっと座っています」
 「そうかぁ、まだまだ」

 次に「車いすが必要な状態」の女性が入居され、不自由な身体にもかかわらず積極的に家政行為など必要なことをされようとしますが、その姿を見た留蔵さん、いきなり声を上げました。

 「俺も何か手伝おうか」
「そう言ってキッチンに来て、洗った後の食器を拭かれたんです」とリーダーの嬉しそうな声が電話口で跳ねました。

 人は変化する生き物です。
 人は環境によって「他人を殺す人」にもなれば「他人のために死ぬ」こともする生き物です。
僕らにとって必要なことは、その人そのものの過去や今の現象に捉われることなく、「人」という生き物に対する信頼感を以って支援に当たることではないでしょうか。

 留蔵さんは「身の回りの事は自分でしない人」と過去に閉じ込めてしまい、「グループホームより有料老人ホームの方が適している=その人らしい良い暮らし」としてしまいがちですが、そうなれば「過去のままの人」に留めてしまいます。

 ベトナムの富裕層が考える「良い暮らし」の「良い感」を覆せたら面白いだろうなぁ、と本気で思えました。

追伸

 注文をまちがえる料理店実行委員会で主催し、世界的に大反響を得た「期間限定の料理店」の取り組みも、昨年12月に開催した報告会をもって実行委員会は解散しました。

 この取り組みの反響として「自分たちの町でもやってみたい」という問い合わせが今でも続いているということがあり、「実行委員会が掲げた意図」を汲んでやってくださるところへの対応はしてきていますが、組織がないことがネックでした。

 実行委員会解散時には、「20120年東京オリンピックの年に料理店再開!みんな集まろうぜ!」と確認し合っていますが、「それまで・それ・それから」を牽引していくための組織として、今月「一般社団法人注文をまちがえる料理店」を発足しました。

 実行委員会の取り組み(期間限定料理店)に賛同いただき得ました財産(知・モノ・金・人など)は「一般社団法人注文をまちがえる料理店」で引き継がせていただき、今後の活動につなげていきたいと考えています。

 今後も「注文をまちがえる料理店」へのお力添えをいただきますよう、この場をお借りして、お願い申しあげます。

写真

 ハノイでも観光客は絶対に行かない地域の衣料品店で売っていた「謎のパンツ」です。
 みんなでパンツに縫い込んだ「いちばんつよいって、どういう意味なんかね。しかも日本語で書いて誰にあてたのかね」って話題になりました。


 これ、名前は忘れましたが、王様や貴族と言われる人しか食べられなかった料理だそうで、鳥でした。さっきまで走り回っていた鳥なので筋肉質でしたよ。食べるのが大変でした。ハハハ


 これも日本ではなじみがない「水牛」ですが、僕的にはなかなかでした。
 それにしてもベトナム料理、僕にはドンピシャ!
 特に鍋は最高やね。

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