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和田行男の婆さんとともに

和田 行男 (和田 行男)

「大逆転の痴呆ケア」でお馴染みの和田行男(大起エンゼルヘルプ)がけあサポに登場!
全国の人々と接する中で感じたこと、和田さんならではの語り口でお伝えします。

プロフィール和田 行男 (わだ ゆきお)

高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。
特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は株式会社大起エンゼルヘルプ地域密着・地域包括事業部 入居・通所事業部部長。介護福祉士。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。

忍者不足


 人手不足は「介護業界」にとって「日常会話」になっているが、介護業界だけが不足しているわけではない。
 待機児童が深刻な事態になっている「保育業界」もしかり、宅配業者も人手が不足して「受ける仕事の総量を抑える」なんていう報道もされていた。

 日本社会全体が「働き手不足」に陥っているのかもしれない。

 保育士の報道を見ていると、保育士獲得のために自治体が独自で働き手の家賃補助をするなんていうのもあるようで、自治体の財政状況で「充足度」に格差が出ているとか。

 先日北海道に行った際にも、世間では聞かない、働き手の高齢化と継承者不足の話を聞いた。

 それは「忍者不足」だ。

 あるテーマパークで忍者が高齢化して「手裏剣を投げられない忍者」「すばやく動けなくて隠れきれない忍者」「刀を鞘に戻そうとしても戻せない忍者」となり、かといって継承者が見つからず苦心しているとか。

 まぁ「日本の国に忍者が必要か」といわれればそれまでだが、その道の人たちにとっては深刻なことであり、大きく考えれば日本が世界に誇る「ニンジャ」の本家本元が消え去りかねない事態だと考えれば「文化継承の危機」でもあり、これは伝統工芸職人の後継問題とも思え、単にテーマパークの従業員不足とはいえない由々しき事態ともいえる。

 もちろん宅配も忍者も、介護とは違って「なくてはならない国民生活の根幹」にかかわるところではないので同じには語れないが、どの業界も「働き手の確保」で苦心しているのが日本の実情だということだ。

 これからの時代、この「働き手の高齢化と絶対数の不足」に沿って社会の在り様を考えていかないともたないように思うがどうか。

 例えば忍者でいえば
 手裏剣が標的に届かなくたっていいじゃないか。
 刀を鞘に収められなくたっていいじゃないか。
 隠れきれなくたっていいじゃないか。

 見に来ているお客がその忍者を助けに行けばいいし、手裏剣を投げられるようになれればいいじゃないか。
 これまでの「客に忍術を見せる」から「客が忍術を習得して忍者を助ける」というように発想を変えてはどうだろうか。

 僕らの世界でも、要介護状態にある人は一律に介護職員に「してもらう」のではなく、要介護状態にあってもできることは「自分でする」、要介護状態にある人が要介護状態にある人に「してあげる」という、人として当たり前の考え方を、介護でも一般化していけばいいと思うのは僕だけだろうか。

 要支援の認定を受けている自宅生活困難者を介護施設で受け入れて、生活の基本ベースは制度で専門職を雇い入れ、介護施設に入所した要支援の認定を受けている人がその施設で雇用され、より介護が必要な人の支援をして事業者から給料をいただくなんていうのも「あり」で、サービス付き高齢者向け住宅なんて「住宅」なんだから、そこに入居している人がそこに併設している通所介護事業所で働くなんていうのは普通の発想であり、それが特養であれグループホームであれ、その能力があれば全く問題なしとすればいいし、人員配置基準をクリアできるようにすればいい。

 外国人、ロボット、移民、それも悪くはない。

 でももっと違った発想を以て、日本の働き手不足対策を講じてはどうか。

追伸

 「すいません我が国っていう国、世界のどこにあるんですか」
 そんな質問をしてきた若者が介護職として頑張っている話を聞きました。
 もちろん「我が国」なんていう国名はなく、日本人で言えば「日本国」であり、アメリカ人でいえば「米国」で、「おまえ、何言ってるんや、いくつや」って話なのでしょうが、僕はそれを口に出して聞いてきた若者に会ってみたいと思いました。
 僕の身近にも漢字が読めなくて資格試験に受からないヤツがいますが「それがどうした」と言わんばかりの仕事をしています。
 僕も知らないことだらけ・わからないことだらけ・非常識失礼系の人間ですが、周りの人のおかげで生きていけていることを思えば、我が国をどこかの国名だと思っている若者とおんなじです。
 生きる世界が違えば必要とされることが違ってるぐらいの話で、人は常に、わかんないことがわかるようになり、できないことができるようになっていける生き物ですものね。
 それでいいじゃないですかね。

写真

 僕らの先祖は、巨大な生き物から逃れ、自然災害を生き抜き、姿かたちを変え、今の「ヒト」に至っている。
 ふと街を歩いていると、写真のように逞しく花を咲かせる生き物に出会いますが、この椿のような逞しさが僕にあるか自問自答しながら、逞しく生きるものにこそある美しさを追いかけて生きていきたいです。

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