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和田行男の婆さんとともに

和田 行男 (和田 行男)

「大逆転の痴呆ケア」でお馴染みの和田行男(大起エンゼルヘルプ)がけあサポに登場!
全国の人々と接する中で感じたこと、和田さんならではの語り口でお伝えします。

プロフィール和田 行男 (わだ ゆきお)

高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。
特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は株式会社大起エンゼルヘルプ地域密着・地域包括事業部 入居・通所事業部部長。介護福祉士。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。

後の者にも学ぶ


 とめさん(仮名)の自宅における床からの立ち上りの介助って、どんな感じでしてる?

 職員Aが、ふと感じた疑問を投げかけてみると、介護歴10年以上・10年近くのいわゆる「ベテラン」たちは、「後方から抱え上げる」方法をとっていたのだが、新卒から4年間コツコツ積み上げてきた職員が、それを聞いて申し訳なさそうにつぶやいた。

 「私、身体が小さいので抱え上げられないし、とめさんがひとりで何とかして立ち上がれないか、テーブルを使って試してみたんです。そしたら、足を投げ出して座っているところから、四つ這いになって、テーブルに手をかけて、少し支えれば自分で立ち上がれたんです。」

 その話を聞いて思い出したことがある。

 開設して間もないうちのあるグループホームを訪ねたとき、特養で介護職を10年以上経験してきた職員Bと入居者よねさん(仮名)が事務所(和室)に一緒にいた。

 しばらくすると、その職員がよねさんに「よねさん、お食事の準備ができたそうですから、あちらに移りましょうか」と声をかけると、すぐに後方から抱え上げて立ち上がらせたのだ。

 それを見て「抱え上げ方」に問題は感じなかったが、どうも気になったので、職員Bに「自分で立ちあがれないの?」って聞いた。

 すると「たぶん難しいと思います」という答えだったので、もう一度床に座り戻すように話した。

 「よねさん、すみませんね」と謝罪してから、よねさんが自力で立ち上がれないか試みた。

 結果、よねさんの傍にテーブルを準備して、長坐位から四つ這いになる難所で一度、四つ這いからテーブルに手を付けて膝立ちになる難所で一度、片膝立ちから両膝立ちになる難所で一度支援しただけで立ち上がれた。
 しかも立ち上がった時には「してやったり顔」まで飛び出した。

 できる・できない。
 ベテランになるほど「思い込み」「わかったつもり」が先に立って「できない」とし、「できるかも」という可能性を以って試行する挑み力が弱まっているとしたら、それはもったいない限り。

 自分はこうしているけど他人はどうしているのかな。
 その疑問を持ち続けることとそれを解くことは、リーダー層になるほど重要な仕事になる。その仕事を全うすればするほど「いやな上司」になるかもしれないが、婆さんにとっては不可欠な仕事でもある。
 もちろんリーダー層に限らず「専門職同士・同志」と思うならば相互研鑽は当たり前のことだ。

 ただ残念なのは、後輩からステキな実践談を聞いてもスルーしてしまう先輩がいることで、後輩の実践を讃え、後輩であれ誰であれ学ぼうとする、学んだことを活かせないと「チーム」にはなれず「チーム力」は引き上がらない。
 自分はこうしているけど、これでいいのか?と疑問をもち、しょうもないプライドは脇に置いて、後輩にさえ「あなたは、どうしてる」って聞いてみては。きっと別次元のチームになっていけると思うで。

追伸

 先週のコメントで、グループホームにおける「ティッシュペーパー」について質問を寄せていただきました。
 今週のブログはそれについて書こうと思ったのですが、これは制度のデリケートな話なので、かなり迷って記事にすることをやめました。
 質問をいただいた「知世森浩二」さん、よろしければ編集部に連絡をください。
 caresapo_informationdesk@caresapo.jp
 よろしくお願いします。

写真

 秋田県に「三途川渓谷」という景勝地があり、断崖絶景の渓谷にかかる「三途川橋」がありました。
 たまたま通りがかっただけなのですが、その橋の両端には、上りの方向に閻魔大王(えんま)、泰山大王(たいせん)が、下りには延命地蔵と合掌地蔵の4体の石像が鎮座していました。
 写真は、そのうちの泰山大王の石像です。
 僕は泰山大王なんて知りませんでしたので、帰ってから調べましたが、死者の審理を行う十王のひとり(?)で、泰山王は四十九日を担当しているそうです。
 人が亡くなると、まず6日間、ひたすら426kmの道のりを歩くそうです。ようやく7日目に、最初の審問をする裁判官に出会うそうです。その裁判官は「泰広王」。書類審査によって生前の行状が裁かれるそうです。
 仏事の法要がたいてい7日ごとに7回あるのは、審理のたびに十王に対し死者への減罪の嘆願をするためだそうです。
 これはかなり奥深い意味があるようなので、ここまでにしておきますが、仏事が減罪の嘆願だったとは驚きました。
 これから仏事を大事にします!
 大王様、申し訳ありませんでした。

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