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和田行男の婆さんとともに

和田 行男 (和田 行男)

「大逆転の痴呆ケア」でお馴染みの和田行男(大起エンゼルヘルプ)がけあサポに登場!
全国の人々と接する中で感じたこと、和田さんならではの語り口でお伝えします。

プロフィール和田 行男 (わだ ゆきお)

高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。
特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は株式会社大起エンゼルヘルプ地域密着・地域包括事業部 入居・通所事業部部長。介護福祉士。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。

熊本寄行

 4月14日の熊本での地震を皮切りに今日まで、どれが余震で本震なのかわからないような揺れが断続的に熊本・大分で続いています。
 東北のときもそうでしたが、被害に遭われた方々のご苦労や悲しみ苦しみは、現地に出向いて行った・見た僕でさえ(僕だからかもしれませんが)、何にもわかりません。

 たまたま14日、長崎県佐世保市の飲み会で乾杯を交わした直後に地震に遭い、それが大変な被害を生む結果になろうとは、ほぼ予測だにしませんでした。

 地震による大変な状況は僕が伝えるまでもなく、19日から21日まで「勝手支援軍」を編成して熊本に入らせていただいたとき、僕が思ったステキなこと等をお伝えさせていただこうと思います。

写真1


 まず震災の洗礼を受けたのは、遠く離れた佐世保市で調達しようとした「水や水を運ぶ容器の不足」でした。
 次に受けたのが「渋滞」。
 次に受けたのが、写真1の断水によるトイレ使用不可。

 不可と言われても抑えきれないのが排せつ。ひとり・二人・三人と重ねて使用したんでしょう。その人間の逞しさに嬉しくなりました。

 僕ら男性であれば青空排せつもそう抵抗感なくできるでしょうが、女性は本当に大変でしょう。
 僕も仲間も申し合わせたわけでありませんが、食べること・飲むことを抑制していました。

 排せつできる場所があるのが普通になっている日常生活では考えにくいことですが、災害対策に「どこでもトイレ」は優先順位としては非常に高く、不可欠ですよね。

 都市部なら下水に直接流せる「流しトイレ」がよいのではとも思いますが、それをイザって時に設置することまで考えた対策にしておかないと役に立ちませんね。

 熊本に入って思いついたのですが、水が出ない水洗トイレの使い方で、まだ試していない「これは!」と思うことがありますので、次回は試して報告しますね。

 こんな時のために「オムツやパンツに出せる訓練」をしておくのも一手かと思います。僕は何度か試みたのですが「うんこ」では一度も成功していません。

写真2


 老人保健施設で飲料水が足らないということで運び込んだのですが、その行動に別の施設の職員さんと一緒に行くとき、職員さんが気を利かして、入所者の方(若年性認症と診断されていて、いつも外に出られる方のようでした)を同伴。

 施設長と自衛隊員と一緒に力を発揮していましたが、やっぱり力を発揮できる機会がなさすぎるんですよね、平時でも非常時でも介護施設って。

写真3


 コンビニの駐車場、公園、歩道、役所の駐車場には避難してきた人のクルマでいっぱい。テントを張ってキャンピングの人もいました。

 実際に仲間のマンションで一晩寝ましたが、下から「ツンツン」と地球が背中をつつくんですよ。大きな揺れを経験して、建物が崩壊することまで脳が描いてしまうと、建物の中は怖くて寝られないでしょうね。

 そんな中、軽トラックの荷台に愛犬と腰かけていた年輩の方の佇まいがステキでした。
 つらく厳しい中でもこんなステキな笑顔で僕に応じてくださるんですものね(お断りしてこなかったので、マスク着用でベッピン顔を隠してすみません)。
 僕らも後で思ったのですが、こういったところで、焼き肉でも焼きそばでも炊き出しして、一緒にパーティをすればよかったなぁーと。

写真4


 災害本部になっていた役所。向こう側に見えるのは、避難所に運ばれたパンの空きケース。
 「こんなときに、ノー天気な」
 と思われる人もいるようですが、こんな時こそこうした「遊び心」って大事だと僕は思います。

 支援に入った人が「寝付けのいっぱい(アルコール)」を飲むことさえ「不謹慎だ」と言われたという話も聞きましたが、そういう人も間違っていなければ、こんな時でも呑む人、こんな時だから呑む人も間違っていなくて、それぞれがそれぞれの状態・状況を判断してパフォーマンスを維持・引き上げられればいいのではないでしょうかね。

 支援に入っていた自衛隊員は、忙しい中でも僕の質問にニコニコしながら応えてくれていましたもんね。
 こんな時にあろうことか自衛隊員がニコニコして任務に当たっているなんて…。そんな風に思う人がいるんでしょうか。

写真5


 熊本市内を車で移動中に見かけて車をUターンさせてまで立ち寄った服屋さん。お店を閉めて支援活動をしていました。

 オーナーは若く、自身がバイクで各地を旅していて、その仲間たちが物資を運んで駆け付けてきてくれた物を、こうして並べていました。
僕らが立ち寄った時も愛知県から仲間が駆けつけていました。

 その心意気がステキで、オーナーにお願いしてオリジナルのTシャツを数枚買わせていただきました(これは単に気に入ったシャツを欲しかっただけなんですがね)。
 熊本に行くことがありましたら、ぜひ立ち寄ってやってくださいませ。

※お店の情報
Emiliano(熊本市中央区南坪井町6-6)
http://www.emiliano.jp/

写真6


 必要とされるモノを求めて、熊本県の対岸に位置する長崎県島原半島に渡りました。
 フェリーの上から見えた雲仙普賢岳ですが、25年前に噴火して火砕流によって大きな被害をもたらした山。

 向こう側とこっち側の違いぐらいで、どこもかしこも「わがごと」だと改めて呼び戻してくれた瞬間でした。
 ちなみにフェリー料金は震災で割引されていました。

写真7


 ドアの向こう側は介護施設。
 腰を掛けるのにちょうど良い高さにしてあるのではなく、このたびの地震で足元側の地盤が下がったんですが、これも時間の経過と共に酷くなっているようです。

 このように建物に被害が出ていなくても、周辺に被害が出ていることで、建物内のインフラに被害が及んでいる箇所がたくさん。
 ここは建物に通じる配管関係が壊滅的被害を受け、水はあるのに、水関係の設備が使えない状態でした。

 こんな被害が出ていても、ここの施設長以下職員さんたちは、もっと被害の大きな知り合いのところの支援に走り回っていました。
 それはあちこちにある話で、常日頃からの「つながり」があればこそ、優先順位を付けざるを得ない状況下では「何とか力になりたい」と思えるってことですよね。

 何人かの人から聞こえてきた「こんな時だからこそ見えてきたのは個々人の素」っていうのは、まんざら間違っていないんでしょうね。

写真8・9


 地域によって、モノによって温度差はありましたが、あちこち寄ったコンビニで目にしなかったのは「水」と「すぐ食える食品」でした(上の写真)。

 同時に地域差も大きく、同じ熊本県内でも、コンビニのコーヒーさえ飲めない地域から自家焙煎珈琲が飲める街があり、自衛隊の風呂に入るのがやっとこさの地域から温泉にふつうに入れるところまでありました(もちろん帰路に立ち寄り、久々に本格珈琲を飲み・ツルツルの湯を浴びて「4日間で溜めた熊本の垢は熊本に!」の心意気で御返してきました)。

 21日まで閉まっていたコンビニが開きそうだったので立ち寄ると、開店時間前でしたが、開けてくれ目にした光景にビックリ! パンの山でした(下の写真)。
 「空輸で届きました。東京の香りのするパンです」
 とっても嬉しそうに店員さんが話してくれたこと、忙しくされていたことが印象的でした。

 コンビニに品物がないこと、お客さんが来ないことが、どれほどつらいことかを味わったのではないでしょうか。

 僕らも要介護状態にある人がいてくれるから、婆さんがいてくれるから忙しくさせてもらえる「ふつう」を、もっともっと大事にしなければとつくづく思いました。

 ちなみに「チョコデニッシュ」は山崎パンの僕が若かりし頃の復刻パンですが、西洋の香りがしました。おいしかったぁ!!

 東北の時も、神奈川の仲間から託されて持参した焼き立てパンが「夢のようだ」と泣いて喜んでもらえました。

写真10


 水だけではなく、給水車や井戸等から運ぶ容器も店頭から消えました。これは熊本市内から離れたでっかいホームセンターのバケツ売場ですが、小型や大型のバケツはありました。

 でも、水を入れてこぼさず、できるだけ量を運べる大きさのバケツは写真のとおりです。

 ただこのとき気づいたのは、物流は生き物で、時々刻々と変わり、一度買いに行ってなかったからとあきらめてはダメだということです。

 5リットルのペットボトル容器をあるだけ買い込んで、2リットルの物もこの際だから買い足そうと思いすぐに戻ってみると、5リットルの容器が再び並んでいました。
 店員さんに聞くと、今しがた入ってきたというのです。

 念のため「買い占めても大丈夫?」って聞くと「うちは大丈夫です」と言われたので、最初の時に売り渋ったわけではなさそうです。
 これは今回の気づきとなりました。

写真11


 建築関係の人たちが、日頃からのネットワークを活かして支援物資を運びこんでいました。
 聞くと、こうして民間の人たちの動きが市民には情報がなく、かといってこの人たちも配る仕組みまでは手が回らず、市民の手に行き届くのに時間を要しているとのこと。

 僕の仲間は、日頃から関わっている医師たちからの情報で、この人たちに行きついたようで、ここでいただいたたっぷりの水を困っている老人保健施設へ運び込むことができました。

 「愛を込めて届けます」

 僕には「愛」っていうのがよくわかりませんが、「想う気持ち」に置き換えれば、何とか理解できます。

 知っている・知らないに限らず「想う気持ち」が人を動かすのでしょうが、これとて優先されるのは日頃からのつながりで、つながりが人を動かし、その普段つながっている人から、普段つながっていない人にまでつながるってことではないでしょうかね。

 長々と書きましたが最後に。
 同じ「地震」を「同じ要支援」だと思うと大きな間違いを犯しかねません。
 東北の時はガソリンがなく「渋滞」していたのはスタンドの前。熊本は道路や橋が傷んでいても車自体は動かせるので、どこもかしこも渋滞。それに刻々と通れない道や橋が増えるようで渋滞路が増えるばかり。
 電気もガスも水道も問題ないのに、便器が傾いて使えず避難所暮らしの人もいました。
 水がないとひとことで言っていても、「水そのものがない」のと「水はたっぷりあるけど運べない」では違います。
 認知症と同じですね。
 ひとくくりにするのは「敵」を生み「適」を失います。

 ご丁寧なご報告、ありがとうございます。
急に職場を離れることができない者としては、
一番信頼できる人に託すことができて、
とてもよい機会でした。
お声かけに感謝いたします。

 これは21日熊本から名古屋に戻る車中から、後方で支えてくれた皆さんに行動報告をさせていただいたことへの返信メールですが、この方は全国的にとても著名な方です。
18日から21日まで、この方のように「思う気持ちがあっても駆け付けることができない人たち」から託された「想い」を重く受け止め行動させていただきました。
「父ちゃんはテレビでやっているように熊本の人たちを応援に行っているから、まだ帰ってこないのよ」
 と連れ合いが話すと
「僕もガンバル」
 と答えてくれたちびっこたち。

 公生活でも私生活でも、僕のやることなすことをそっと支えてくれる人がいて僕が在るってことを忘れず(すぐ忘れるんですよ)、今できることを一生懸命やれる人になれるように、なれないまま死んでしまうかもしれませんが、そこを目指して最期まで生きていきたいと思います。

 僕に託してくれた友人・知人の皆さん、ありがとうございました。
 僕と共に、前方・後方で行動してくれた仲間や同僚たち、ありがとう。
 まだまだ始まったばかりの被災地支援ですが、僕はいったん平時に戻らせていただきます。ごめんなさい。

 とにかく皆さん
 自宅での「備え」を、まずは一週間想定で揃えましょうね。
 転倒・飛散などのリスク対策をしっかりとりましょうね。
 僕もしっかり取り組みます。
 災害はどこにいても「わがゴト」なのですから。
 また、備えていれば支援もできますからね。
 読んでくださって感じ・行動に移していただければ幸いです。

 今できることを一生懸命やる!
 僕のボスの口癖です。

 併せて
 やみくもに支援に入るのではなく、これからは社会福祉協議会やボランティア団体、介護事業者団体等が動き出していますので、現地の状況を把握している人たちとともに、組織的に動く方が賢明であり効果的だと思います。

 これから必要なのは「モノ」よりも「ひと」ではないかと思います。介護業界だけで考えても、現地で要介護状態にある人を支えている職員さんたちも被災者であり、休む間もなく仕事に就いています。

 なかなか人を応援に出しにくいのですが、出せる事業者・事業所は「人」を。応えられない事業者・事業所は後方支援で「おかね」を出し合い、おこがましい言葉ではありますが、支えさせていただこうではありませんか。

写真 番外


 熊本でも「だいき」の和田さんでした。手にしているのは、ぐちゃぐちゃになった仲間の住んでいる家を掃除する道具。
 こういう時は屋外で使う道具が役立ちます。これ以外にも、あちこち探しまくって業務用の乾湿掃除機も購入しましたが、とっても役立ちましたよ。参考に。

2016年4月23日
わだゆきお