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和田行男の婆さんとともに

和田 行男 (和田 行男)

「大逆転の痴呆ケア」でお馴染みの和田行男(大起エンゼルヘルプ)がけあサポに登場!
全国の人々と接する中で感じたこと、和田さんならではの語り口でお伝えします。

プロフィール和田 行男 (わだ ゆきお)

高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。
特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は株式会社大起エンゼルヘルプ地域密着・地域包括事業部 入居・通所事業部部長。介護福祉士。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。

嬉)歓暦

 1955年10月11日生まれの僕が、2015年10月11日を迎えることができました。とっても嬉しく思うし、歓びです。
 ありがとうございます。


 年齢のことを気にして生きてきたことがほとんど記憶にない僕が、どういうわけか「かんれき」だけは意識してきました。
 きっと「残りの年数」が気になってきたからかなと思うのですが、なんで残りの年数が気になってきたかと言えば、きっと「ボス」「家族」や「ツレ」「仲間」と「もっと一緒にいたい」って思い出したからかなと。

 思えば、人に対して嫌な思いをさせてきたことは数知れずありますが、人様から嫌な思いをさせられた記憶がない僕の人生の流れの根幹は「いつ死んでもいい生き方」で、だからこそ他人様に嫌な思いをさせてきたのだと思います。つまり自分勝手・自分さえよければ良いと言う生き方ですね。

 その僕が数年前から「明日も生きていたい」って思うようになったことの裏返しが「かんれきを意識しだした」ってことかなと。

 10月11日は、かねてから「ボス」にお願いしていた記念の釣りをさせてもらいました。
 前夜からの「飲み」の勢いそのままに釣りに出かけ、その車中で「その瞬間」を迎え、大切なボスから“いの一番の祝杯”を受け取り、同席のツレから「日本酒ファイト」を受け取り、嵐呼ぶオトコの異名をもつ僕のメモリアルにふさわしく「雨・あめ・アメ」に打たれ、重ねるように魚の顔さえ拝むことなく「海上修行」で釣りを終え、夜は「いつもの店」で職員たちが開いてくれた「お祝い会」で朝までしこたま飲んで歌って久しぶりにオンナになって、聞かれていたプレゼントの“壁掛け時計”を受け取ったら腕時計だったことにハニカミ、その足で名古屋に戻って子供会のお祭りに参加し、夜は家族が開いてくれた誕生会で、連れ合いからは大好物のグラタン、ちびっこからはラブメッセージ・レター、ご両親から花束と「生涯現役で」の言葉を受け取るという、僕自身が羨むほど、「いつ死んでもいい」と瞬間思えた、ステキなメモリアル・ツーデイズにしていただけました。

 この日以降に向けて節制してきた結果は、減量4キロでした。
 糖尿病と付き合っている僕の身体にとって減量は必要な事でしょうが、僕の脳にとって減量は好き放題を止めるってことですから、きついことで、そこにメスを入れることができたのも、大好物の連れ合いが作ってくれるグラタンをいつもの超特大皿から超小皿の量に抑えたのも、美味しいケーキを一切れで済ませたのも、「明日も生きていたい」っていう、欲に勝る欲なんでしょうかね。

 おっちょこちょい度は磨きを増し、あれない・これない病は重症度を増し、全力疾走距離は縮み、義歯装着で口内違和感がプラスされ、目は思うように見えず、十年以上耳鳴りは治まらずのボロ身ですが、おかげで「和田さんだからねぇ、しょうがないわよね」で済ませていただけ、その上、「欲は衰え知らず・我はより強固に」ですから。年を重ねるってことは「ありがたいこと」ですよね。

 ただただ、感謝あるのみです。

 こんなヤツですが、この先も、お付き合いのほど、よろしく!