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和田行男の婆さんとともに

和田 行男 (和田 行男)

「大逆転の痴呆ケア」でお馴染みの和田行男(大起エンゼルヘルプ)がけあサポに登場!
全国の人々と接する中で感じたこと、和田さんならではの語り口でお伝えします。

プロフィール和田 行男 (わだ ゆきお)

高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。
特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は株式会社大起エンゼルヘルプ地域密着・地域包括事業部 入居・通所事業部部長。介護福祉士。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。

志あれば必ず道あり・百万手を尽くす


 今朝の中日新聞朝刊一面に掲載された記事によると、このたび「歴史的な資料」といえる元米大使館陸軍武官室通訳の遺品が出てきたそうで、第二次世界大戦を回避するために尽力した人々の様子が浮き彫りにされていた。

 誰もが「やる気で向かった戦争」ではなく、戦争に反対していた人たちがいることは知っていたが、元日米協会会長だった人が、米大使に送ったメッセージは、戦争回避へ「志あれば必ず道はある」であり、受け取った米大使は「心力を傾倒して百万手を尽くす」と応えていたそうだ。

 それから70数年。
 うちの通所介護(以下「デイサービス」)の責任者から連絡が入った。
 他法人のデイサービスに行っていたトメさん(仮名)が、そのデイサービスから「お断り」されて困っていて、何とかならないかとケアマネージャーから相談を受けたようだ。
 お断りされた理由は「手が出るから」とのこと。

 ではなぜ手が出るのか。
 これがどうもハッキリしない。

 脳が壊れたことにより一次的な損傷から起こっていることなのか、その人を取り巻く環境要因なのか、そこまで見極められていないのだ。
 こうしたことは介護事業ではよく聞く話で、その多くが「認知症による暴力⇒暴力による他の利用者・職員への被害⇒困るから来ないでくれ」といった図式で片づけられている。

 きっと前述の元協会長とアメリカ大使のコンビなら、手が出ることの原因追求を徹底的に行っただろうし、その根底に「専門職として、介護保険事業者としてやるべきことの本道」をもち、困っていることを解決しようという志があるのではないだろうか。

 まずは「手が出ることには必ず理由がある」と捉え、医師とよく情報交換して、脳が壊れたことによって起こりうるといえることなのか(内因と僕は言っている)、それともその人を取り巻く環境に原因があるのか(外因と僕は言っている)、その両面から探ることが必要である。

 そもそも忘れてはならないことは、脳が壊れて困っているのは本人だということ、それを解決に導くのが僕らの本業であり、投げやっては「専門職の自殺行為」だということを。

写真

 1980年代、僕が20歳代の頃、障がいをもっている人たちの「列車に乗って旅がしたい」を実現するために、毎年特別仕立ての臨時列車(フレンドシップトレインひまわり号)を走らせる運動に携わらせていただいていた。

 この運動は1982年に東京北区で始まったが、やがて全国各地に広がっていきました。研修会などでこの話をすると「私もボランティアで参加したことがあります」なんて声をかけてくださる方もいます。

 まだ街中で車いすに乗った人たちを見かけなかった時代であり、駅にエレベーターもエスカレーターもなかったし、車いすでも使えるトイレがなかった時代でした。

 志ある人たちの不断の努力は、公共施設はもとより百貨店や街中など各地に車いす用のトイレを普及させることや、駅にエスカレーターやエレベーターの設置を促進することにつながりました。
 当時の国鉄職員の胸ポッケに「車いすの扱い方」などが記載された手帳が入るようにもなりました。

 車いすが必要な状態になったら旅行なんて無理よ!

 誰もにそう思われていましたが、今では東京の満員電車に電動車いすで乗られている光景さえ目にするようになりました。

 人々が手を携え、力を尽くせば成せることはたくさんあるのに、力尽くさず諦めていたり、僕ら専門職が諦めさせていることはないでしょうか。

 今日の新聞記事は、改めて「僕の仕事は何か」を問いかけてくれたし、至らずと言えるところまで手を携えて尽力することの重要性を再考させてくれました。

 やっぱり人は亡くなって姿かたちは見えなくとも存在しうるってことですね。
 その存在を見せてくださり、ありがとうございます。

和田行男

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