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和田行男の婆さんとともに

和田 行男 (和田 行男)

「大逆転の痴呆ケア」でお馴染みの和田行男(大起エンゼルヘルプ)がけあサポに登場!
全国の人々と接する中で感じたこと、和田さんならではの語り口でお伝えします。

プロフィール和田 行男 (わだ ゆきお)

高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。
特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は株式会社大起エンゼルヘルプ地域密着・地域包括事業部 入居・通所事業部部長。介護福祉士。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。

生まれ故郷


 生まれ故郷、高知県大川村を訪ねた。
 ダムに沈み、離島を除いて日本一人口の少ない村になったが、元気さを感じる村だった。
 村の人口は400人足らずだが、14の在所に分かれて暮らしているようで、1世帯2世帯の在所もあるとか。

 村の人たちのことは社会福祉協議会の人たちがよく把握して、支援しているようだ。
 僕が生まれたのは「井野川」という在所で、この地名だけはなぜか記憶にあった。ここはダムに沈まず僕が生まれた頃の面影をよく残している地域のようだ。
 記憶は全くと言っていいほど残っていないので、家にあった当時の写真を頼りに訪ねたのだが、写真に写っていた小さな発電所(下記写真の白い建物)が今でも残っており、それが「生まれ故郷再会」の決定打となった。


 大川村を訪ねるきっかけになったのは、社会福祉協議会でヘルパーをしている介護福祉士の人が僕に声をかけてくれたことだったが、その方を通じて僕の親父にゆかりのある人のことを調べてもらったら、何と、親父さんと一緒に仕事をしたことのある人がご健在とのことで、お会いできるようにセッティングしますと言ってくれたのだ。

 残念ながら「受診日」と重なってお会いすることはできなかったが、その方が社会福祉協議会の職員さんに「僕に渡してほしい」と依頼した写真を見て鳥肌がたった。

 なんと全く同じ写真を僕も持っていたからである。


 なぜ同じ写真が2枚あるのか、なぜ僕と親父さんしか映っていない写真を同僚のその方が持っていたのか謎だらけではあるが、少なくとも親父さんのことを知っている方が存在していることがわかったことが、とてもうれしかった。


 それにしても、社会福祉協議会の皆さんの存在の大きさには感動した。僕と一緒に行ってくれたのは社会福祉協議会の職員だが「社協原点の活動に感銘を受けた」と言っていた。
 僕らの後方に貼ってあるのは、ほぼすべての大川村居住者の顔写真である。全村民と記念写真が撮れるってすごい話だ!

「小さな村だから。人口が少ないから把握しやすいのよ」なんていう声が聞こえてきそうだが、コミュニティ・ケアこそ社会福祉協議会の基本的な仕事のはずで、介護保険事業にまい進する前に、この小さな少人数の村から学ぶべきことがたくさんあるのではないだろうか。

 それにしても、この村には「和田さん」がいっぱいいた。
 村議会議員6人中2人は和田さんで、ともに僕「わだゆきお」と同じように「和田○○お」さんのようだし、今年生まれた子ども3人中、2人は和田さんだった。
 調べると、大川村における和田姓の割合は13%だそうだが、これは「多い」といえる数字だ。

 社会福祉協議会の人が紹介してくれたこの村の生き字引のような方が、僕の隣に住んでいた方と電話でつないでくれ、お話しすることもできた。

 僕の親父さんは大正15年生まれ、生きていたら90歳。
 山の中から町へ出て、酒におぼれ早くに死んでしまった親父さんだが、親父さんの同年代の皆さんは、今でも村の商店の顔で頑張っている。


 僕も大川村の親父年代に情けない姿を見せるわけにはいかない。一生懸命生きていかねばと思った。

追伸

 大川村の社会福祉協議会の皆さん、いろいろありがとうございました。また訪問させてください。
 そんときは、年間50頭しか出荷しない「大川黒牛」でバーベキューをぜひとも!