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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。
さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

LED照明の罠

 藤村靖之さんの『非電化思考のすすめ-マインドセットを打ち破る幸福な生き方』(WAVE出版、2012年)を読みました。パソコンはペーパーレスを進める、LED照明は電力消費を低減させる、ハイブリッド車や電気自動車はCO2の排出を削減する、だからこれらはみんな「エコ」??? 本当にエコですか? かねてから私は、このような「エコ」のすべてはまやかしで、胡散臭いと考えてきたのです。

新宿駅近くで―大量のLED照明による
イルミネーション

 本書の冒頭をご紹介します。

「3・11以降、あらためて身にしみている言葉があります。

 『ある問題を引き起こしたのと同じマインドセット(思考の枠組み)のままで、その問題を解決することはできない』

 これは物理学者、アインシュタインの言葉です。
 無念にも原発事故を引き起こしてしまったいま、しかし僕たち日本人はいまだに原発事故を引き起こしたのと同じマインドセットのままで問題が解決できるかのように思い込み、ふるまっているのではないでしょうか。」(12頁)

 藤村さんは、「非電化というテーマで活動を続けていますが、電力を使うことが悪で、電力を使わないことが善だとは思っていません」(47頁)と主張します。障害のある人や高齢者の必要や自由のためには、もっと電力を使用してもいいテーマさえあることを前提した上で、「快適・便利・スピード」だけを追求する価値観と社会モデルの替わりに、「電力消費量を半分にして、幸せ度を倍にする」共生社会の実現を、現実的に提示します。

 青色LEDの発明にかかわる3人の日本人科学者がノーベル物理学賞を受賞したことは記憶に新しいところです。この発明のおかげで、LEDによるすべての発色が可能となり、テレビの世界からブラウン管が消え、朝夕の太陽光の具合によっては見づらい交差点の信号も見やすくなり、年末の街角や商業施設の至る所でイルミネーションが飾られるようになりました。

眼を引きますが…千葉ドイツ村

 多くの人にとっての快適さや便利さが生まれ、LEDの生産と取り引きで莫大な利益を上げる人や企業のあったことは間違いありません。が、本当の「エコ」につながってきたのでしょうか。LED照明は、蛍光灯よりも、同一の照度を生み出すための電力消費量が少ないとしても、それをいいことにこれまでにない大規模なイルミネーションで電力を消費するのであれば、何も変わらないのではないでしょうか?

 福島第一原発の重大事故を受けて、私も電力消費を抑えようと、できる限りLED照明に転換しようと考えた時期がありました。口金式のソケットで、白熱電球や蛍光灯電球をすぐにLED電球に転換できる場合はいいのですが、照明器具をそっくり買い替えなければならないタイプのLED照明には大きな疑問が残ります。

 照明器具を丸ごと交換しなければならないすべての商品は、LED部分だけの交換は不可能なつくりで、LEDがダメになるたびに器具そのものの交換を強いるようになっています。電力消費量が減少するというLED照明のアドバンテージは、各家庭が負担する電気料金が減るだけのような錯覚が生まれます。でも、電気代が安くなるという宣伝の試算に、器具そのものの交換代金が含まれているものはありません。

 照明器具を交換するたびに器具を丸ごと生産しなければならないことに伴うエネルギー消費の拡大は、果たしてエコなのでしょうか。さまざまな電気製品の電力消費量が下がったとしても、その買い替え需要をあて込んだ経済成長に利する営みに過ぎないのであれば、中古製品の廃棄と新製品の製造によってエネルギー消費を拡大することに帰結するはずです。

 ある雑誌で「ハイブリッド車にするか、ガソリン車にするか」という特集記事を組んでいました。ここに掲載されたある自動車「評論家」氏の戯言には辟易しました。明確なエビデンスを何ら提示することなく、「やっぱこれからはハイブリッドでしょう」程度のことを言うために、走りやデザインについての薀蓄を並べ立てているだけなのです。ハイブリッドとガソリンの両タイプがある車種はハイブリッドの方が単価は高く、評論家氏がメーカーの腰巾着で食べ続けるためにはハイブリッドの肩を持つほかないというわけでしょう。

 ハイブリッドのユーザーは、ガソリン代は安くなるでしょうが、一定の走行距離で燃料電池を交換しなければならないため、そのメンテナンス代を含めてのトータルなメリットは明確ではありません。燃料電池の交換時期が来ると買い替えるというのであれば、エコどころではありません。燃料電池に必要不可欠なレアアースの掘削と精製にかかるエネルギー消費を含めてのエコな度合をあらわす、客観的なデータが提示されることもありません。

 藤村さんの指摘によると、日本中の住宅がすべてオール電化住宅になると新たに原発68基分の電力が必要となり、日本中の車がすべて電気自動車になると、何と原発209基分の新たな電力需要が発生するというのです(18-19頁)。

 このような偽りのエコは、経済成長に資するこれまで通りのビジネス・社会モデルに過ぎません。インクルージョン社会の実現とも結びつくような文脈もなく、環境に対するトータルな負荷が実際にどれほど減少するかということさえ定かではないのです。環境ビジネスで如何に勝ち抜いて儲けるのかという話であれば、マインドセットは何ひとつ変わっていないのです。

 藤村さんは、地産地消のような経済の地域循環があり、その魅力に惹かれた人のつながりや応答循環がインクルーシブな地域社会の持続可能性を拓いている地域-たとえば、大分県竹田市、高知県馬路村、栃木県益子町、岩手県葛巻町等を挙げながら、「うばいあわずにわかちあう」共生社会への展望を提示します。

「共生社会のコミュニティーでは、統治者と被統治者、生産者と消費者、投資家と起業家、経営者と従業員、店員とお客、教師と生徒、公務員と市民といった分業されて相対する関係よりも、それらが融合した関係が生まれてくるはずです。
 (中略)
 また、個人がすべてに所有権を主張するよりも、共有できるものはみんなで持つというスタイルが増えてくるでしょう。」(146-147頁)

 藤村さんの指摘によると、未来に通じる営みを確認できる地域はすべて地方部にあります。私も、インクルーシブな地域社会への展望は地方にヒントあり、首都圏や関西などの都市部にはほとんどないと考えるようになりました。都市部は、「快適・便利・スピード」を果てしなく追い求める欲望圏となりました。

 これからのインクルーシブな地域社会のあり方と実現方途について、多くの示唆を提示する書として、秋の読書の1冊におすすめします。