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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。
さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

見通しの持続可能性こそ

 今国会では、地域医療・介護推進法(いわゆる「医療・介護一括法案」)が成立しそうです。このブログでもすでに取り上げましたが(5月19日、「介護卒業」に?)、再度、制度を変更することそれ自体について考えてみたいと思います。

 介護保険の制度変更に関する個別的な論点を取り上げたいのではありません。介護保険制度をすべての国民がどのように共有するのか、そしてまた、それぞれの国民がこの制度を有効活用するためにどのように見通しを持つことができるのか、という点についてです。

 介護保険を導入する際のキーワードは、皆さんご存じのとおり、「介護の社会化」でした。それが「介護予防」に替わり、今回は仕組みそのものの変更に眼目が置かれています。法案の正式名称は、「地域における医療及び介護の総合的な確保を推進するための関係法律の整備等に関する法律案」で、「財政効率を高める」ためのサービス提供体制の見直しが目的の制度変更です。

 財政状況が厳しい一方で、高齢化の進展に伴う医療と介護の需要の高まりにも応えなければならない。この困難な政策課題は、少なくとも20年前には、政策当局も社会保障・社会福祉関係者も知悉していたところです。つまり、介護保険制度をつくってから、何のための制度なのか、国民の側の負担の仕組みはどのようになっているのか等を、猫の目のようにくるくる変更すること自体が問題ではないのでしょうか。

 それぞれの国民が、高齢期に入ったとき、どれだけの年金収入が確保でき、介護サービスを必要としたときどのように制度活用できるかという見通しを持てるだけの持続的な制度の安定性が、高齢者の自立を保障するために最低限必要な合理的配慮です。

 先週の朝日新聞は、「縮む介護保険」と題し、3回にわたって特集記事を組みました。1回目は、特別養護老人ホームへの入所を原則として「要介護3以上」とするサービス利用基準の変更をめぐる問題について、2回目は、要支援と認定された人へのサービスの一部が介護保険サービスから外されて市町村事業とに移ることの問題について、3回目は、年収280万円以上の高齢者の利用負担が1割から2割に引き上げられることについて、それぞれ紙面を割いていました。

 ここで、制度変更をめぐる最大の問題だと考えるのは、暮らしと介護保険サービスの活用に関する高齢者の見通しを剥奪している点です。たとえば、つぎのような事例が記事に紹介されていました。

 要介護2の80歳女性。長年、工場の食堂で働き、一人で息子を育て上げる。現在の年金収入は月12万5千円ほど。右足股関節が動きにくく、歩行器を利用。リウマチとぜんそくで入退院を繰り返す。自宅に風呂はないためデイサービスで週3回の入浴、毎日1時間のホームヘルパーによる家事支援を利用。

 半年ほど前に、夜中にベッドからポータブルトイレに移動しようとして転び動けなくなる。翌朝に訪問してきたヘルパーにようやく発見されることになったため、自宅で暮らすことのこだわりより不安の方が大きくなる。現在の収入では、サービス付き高齢者向け住宅を利用することはできないため、特養の入所を申請した。

「限界まで自宅で暮らして、いざ入所したいときに、『まだ入れません』。こないなったら、情けない人生やなぁ」と。

 この高齢者は、「やみくもに」特養を利用しようとしているのではありません。できる限りは居宅でサービス利用しながら暮らしを維持する努力をした上で、将来への具体的な不安から、これからの暮らしは特養の方が尊厳を保つことができると自らの考えを運んでいます。

 利用者の負担割合の変更については、次のような例示が記事にありました。負担割合が1割となるか2割となるかは、世帯単位ではなく、個人単位の所得によって決まります。そこで、夫の年金収入が年300万円、妻60万円の夫婦では、夫は2割負担、妻が1割負担となります。夫婦ともに年180万円ずつの年金収入がある場合は、夫婦合わせた収入は先の夫婦と同じですが、こちらは夫婦ともに1割負担となります。

 高齢者は、通常、介護保険の制度が変わったからといって、自らの努力次第で収入を増やすことはなかなかできることではありません。年金生活に入る以前から、老後の生活への見通しを立てる際に重要な判断材料となるのが、現行制度の仕組みと基準です。このことが担保されてこそ、高齢者の自立的な制度活用と制度の持続維持に資する参画の展望が拓かれるのです。

 最後まで自分らしく生きようとする高齢者の尊厳を「要介護3」の壁を設けることによって剥奪することや、制度的に作られた利用負担の新たな不平等は、高齢者から生活設計の見通しをぶち壊すことによって、介護保険制度や地域ごとの介護保険システムを共有する意味を台無しにしてしまいます。このような制度変更を「持続可能な制度とするため」と主張するのは、制度を設計する側の見通しのなさを高齢者にしわ寄せするだけでなく、障害者(もちろん要支援・要介護の高齢者も含まれます)の権利条約に反する明白な差別ではないのでしょうか。

 高齢化の急速な進展と財政状況の厳しさに由来してサービスの利用基準や負担割合を変更し、介護保険制度を縮減するのであれば、高齢者は介護保険制度の客体であって、措置制度の時代とどこが違うのでしょうか? 給付と負担の問題を含めて、みんなで公的な介護保険制度を育んでいくという課題にふさわしい制度変更の仕組みが改めて問われているのではないかと考えます。