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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。
さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

子どもに未来を感じる

 小学校での1か月間の教育実習を終えて、私のゼミの学生たちが大学に戻ってきました。みんな生き生きした笑顔で実習体験を話してくれます。

 高学年の担当をすると「先生には婚約者いるの?」と子どもたちから質問攻めにあった、3年生から始まる理科の授業で「先生の授業ではじめて理科が面白いと思うようになった」と言われた、毎日の外遊びの鬼ごっこは「『先生が鬼!』で決まり」で始まるなど、実習中に子どもたちと交わした生き生きとしたやり取りがリアルに伝わってきます。

 実習期間中である5月は運動会を開く学校が多く、通常の授業に加えて運動会の準備と練習もありますから、教育実習中はかなりハードな毎日を過ごすことになります。朝の7時半には出校し、運動会の練習に必要なグラウンドの白いライン引きを終えて、子どもたちを迎えて外遊びを共にして、朝礼やホームルームがはじまり、そして授業に入ります。朝だけでこれだけあるのです。

 体育の時間だけでなく、外遊びの時間には児童生徒と一緒になって、鬼ごっこやドッチボールをします。授業案に基づく研究授業(実習校の先生方、大学の訪問担当、教頭、校長等の前で授業を行い、その後、研究協議会を開いて反省や教訓を明らかにするための授業)の洗礼を受けて、1日担任(丸1日クラス担任の仕事のすべてを担当する)もこなさなければなりません。

 実習生は、学校の先生の仕事に知力・気力・体力のすべてが問われることを思い知らされるのです。それでも、研究授業で実習校を訪ねてみると、実習生のほとんどは子どもたちに囲まれて生き生きした表情を見せてくれます。

 小学校の先生は、全教科を担当し、個人差のある子どもたちの個別状況を踏まえたクラス単位の授業を展開することとなりますから、「学校の先生」の中でも、もっとも「教師としての力」が問われるのです。小学校の先生に求められる深く幅広い教養と教育実践を展開する応用力の高さを前にしたとき、私はときとして脱帽する思いに浸ることがあるのです。

 この観点から言うと、自戒の念を込めて言いますが、自分の専門さえ教えればいい高校と大学の教師はいい加減になりやすい。それでも、小学校の先生より「えらそうに」しているか、「えらい」と思っている向きが多いですから、教師としての品格は小学校の先生の方がよほど高いのではないでしょうか。

 子どもたちにとっての「実習生の先生」は、担任の先生よりも身近な存在です。担任の先生とは「タテの関係」になるところを、「実習生の先生」は「お姉さん」「お兄さん」的な要素があるためか「ナナメの関係」を子どもたちと形成します。

そして、子どもたちは担任の先生には心を開かないようなことを実習生には開示したり、実習生の先生の未熟なところを子どもたちの側から支えたり温かく見守ろうとする相互作用が生まれます。ここで、このような子どもたちとの相互作用を感じ取ることのできない実習生がいるとすれば、教師には全く不向きであると考えています。

 「教師の卵」として子どもたちとさまざまにふれあった学生たちは、「子どもたちを可愛いと思うのは、子どもたちに未来を感じることができるからだ」と言います。その通りです。だから、教育実習を終えた学生たちの多くは、教職志望に強く傾きます。

 ところがその一方で、女子学生からは悩ましい思いが語られるのです。女性の先生に子育て期間中のワークライフバランスのことを訊ねたら、「学校の先生が、自分の子どもを一番ネグレクトしているじゃないかと心配している」と返されたというのです。

 授業と授業準備以外の校務分掌の仕事と事務仕事が山のようにあって、夜は20時以降の退勤が普通で、場合によっては22時近くにはなるから、子育てに祖父母の協力が得られない限り、教師の仕事を続けていくわけにはいかない現実があることを思い知らされて教育実習を終えてきます。どうして、残業を根絶するための「働き方改革」をしないのでしょうか?

 子どもたちを前に未来を実感してきた学生たちが、女性教師としての未来を必ずしも感じ取ることのできない現実に直面するというところに、深刻な少子高齢化を招いたわが国の根深い問題が象徴されています。子どもたちを大切にできない国は、根太の腐った家のようなものです。

 子どもを前に自分たちの未来を感じることのできない大人は、実は自らの未来を全く感じ取ることができないような絶望を抱いているのではありませんか。子どもを虐待する親の多くはこのような境地に追い込まれているのではないかと考えます。

 わが国の「死に至る病は絶望である」(キルケゴール)というような、子どもたちをめぐる深刻な現実を速やかに克服する責任が、わが国の政府と社会にあることは間違いありません。

雨に濡れる紫陽花

 梅雨に入り、洗濯や通勤には何かと不便を感じてしまいます。しかし、この時節ならではの花の饗宴を見ることもできるのです。画像はすべて上尾丸山公園の水生植物群の一画で、今同時に咲き誇っているものです。

睡蓮と菖蒲

 ジメジメしがちな時期ですが、このような花の饗宴を眺めると心はしっとりと落ち着きますね。