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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。
さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

元祖ブラック校則

 「地毛が茶色であるのに強制的に染髪させて黒髪にする」「地毛証明を提出させる」など、合理性がまったくなく、個人の尊厳とその人らしさ(障害者権利条約第17条のいうインテグリティ)を引き裂く校則が問題になっています(https://www.black-kousoku.org/)。

 今、問題になっているブラック校則の例は、髪型だけでも、茶髪はダメ、パーマはダメ、眉毛と髪の毛をいじってはいけない、男は丸刈り、女は肩に髪がついてはいけない…とあります。その他に、服装や登下校をめぐる事細かな校則があり、時代錯誤もいいところです。

 実は、私の通っていた中学校は、日本校則史上(?)、「元祖ブラック校則」の学校ではなかったかと思っているのです。現在問題になっている校則のほぼすべてが揃っていました。この中学は、当時、全国中学校校長会会長のいたところで、その後の1980年代に、全国で「荒れた中学生」が問題となった時期に広まる「ブラック校則」のひな型を作った中学校の一つだと考えています。

 たとえば、次のようです。下着は白、靴下は白または黒、靴は色のラインの入らない靴底が2cm以内の運動靴、ベルトの幅は2cm以内、女子はおかっぱでセーラー服、男子は1分の丸刈りで詰襟の学ラン、男子のシャツと女子のブラウスは白、登下校では寄り道禁止…。

 丸刈りで1分とは、3mmの長さです。この中学校の風紀担当の先生は、毎朝、服装や頭髪に目を配り、月曜の朝のホームルームで土日に散髪に行ってきた生徒を念入りに点検しました。3分刈り(6mm)や5分刈り(9mm)で散髪してきた男子生徒を見つけると、その日のうちに先生が散髪屋に強制的に連れて行って1分刈りにしてしまうのです。

 竹尺は端から端まで物差しになっているため、頭髪の長さを測るためにはもってこいなのでしょう。そこで、竹尺を頭髪検査に「愛用する」先生までいました。また、体罰系の教師の中には、髪が1cm以上に伸びた男子の頭に黒板消しをごりごりと押しまわして、頭髪中を白いチョークの粉だらけにする輩もいました。

 大阪市内の理髪店は、当時、月曜日が理髪店組合で決められた店休日でした。だから、月曜日に3分刈りや5分刈りの「校則違反」を見つけても、その日のうちに1分刈りにするわけにはいかないはずです。ところが、月曜日に開いている散髪屋をわざわざ調べておいて、そこに「校則違反」の男子生徒を引っ張っていくのです。いうなら、「市中引き回しの上、1分刈り」でした。

 当時、私は音楽の関係でヨーロッパの方とお会いする機会がありました。中学1年になって1分刈りの私は、たしかウィーンから来た音楽家の人から訝しい目で見られた経験があります。青年期に丸刈りを強制させられるのは、何かの非行を行った場合に限られるという文化があるそうです。もう本当に嫌だったし、学校教育による抑圧と差別を感じました。

 このような不合理極まりない「校則」を守らせるために労力と時間を割く暇があるのだったら、教師にはもっと他にやるべきことが山のようにあるはずです。教材研究、指導案、自らの授業展開の反省、日進月歩で進化する指導法のスキルアップ、そして何よりも生徒それぞれのアセスメントから個別的な教育的ニーズの把握が必要です。

 この点から裏返して言うと、それぞれの生徒の個別的な教育的ニーズを把握しないまま、教師と学校の都合で一方的に指導していくための地ならしとしての「校則」という意味もあるように思います。いうなら、教育ではなく「調教」のための下地づくりです。

 思春期は、さまざまな失敗体験も重ねながら、自分らしさを多彩に開花させていく時代です。この時期にブラック校則によって、その人らしさを根底から否定しているからこそ、生徒は著しく傷つくのです。まさに、学校による人権侵害といっていい。ブラック校則の中には、支援者による虐待と認定されるものまで含まれているだけに、看過できる問題ではありません。

 このようなブラック校則が、私の中学生時代から現在まで、亡霊のように跋扈し続けている背景には何があるのでしょうか。

 私の中学生時代は、実は、校則反対派が生徒会執行部となって頭髪自由化運動を展開し、頭髪の自由を勝ち取りました。全校集会とか「頭髪のあり方を考えるティーチ・イン」のようなものを何回も開催して、例えば、冬は寒いから長めにして、夏は暑いから短めにする自由があって然るべきであり、年がら年中、男子が1分刈りでなければならない合理性はどこにもないとの主張を展開したことを覚えています。

 もちろん、こういう運動をすると「やっぱり丸刈りが中学生らしい」とか言い出す「お利口さん」は必ずいますが、1分刈りでなければならないことの根拠などどこにもありませんから、生徒会執行部の主張が生徒多数の共通理解となりました。当時の先生方は、生徒のこのような営みを最大限に尊重し、職員会議で頭髪自由化を決定しました。

 つまり、当時の中学や高校には、“Nothing About Us Without Us”を生かそうとする自治の精神が息づいていたと思います。それは、学校にもよるでしょうが、生徒だけの考えではなく、先生方の考えとしても生きていたと思うのです。それが今や、ほとんど消失することによって、学校と教師の持つ圧倒的な力の優位性が独り歩きするようになり、生徒への不合理な抑圧だけが強まっているのではないでしょうか。

 もう一つは、私の娘の高校受験の経験から実感する問題があります。高等学校は、青年期に生きる生徒の成長と発達を実現するための教育機関であるよりも、「現役でブランド大学に入れる」ことを売りにする「通過塾」になり下がっている問題です。

 高校受験のために、さまざまな高校の説明会に足を運んでみると、それぞれの学校の教育理念や教育方針については何も語らずに、「現役でどういう大学に何人入っていて、今後もっといい大学への進学者を増やせるように努力したい」みたいなことだけを話す傾向がものすごく強い。

 高校には、小・中学校とは異なり、建学の精神や教育理念があるはずです。それが、ブランド大学への進学の1点で「学校間競争」を展開し、受験生を奪い合っているのです。ここで、親は自分の子どもをいい大学に進学させたいと思っているから、親の方も教育理念なんてどうでもよく、入学した高校のしきたりに従ってうまく進学してくれればいいと考えがちです。

 高校生ともなれば、権利を行使する主体である市民です。教育をする学校・教師と教育を受ける生徒の非対称性につけいった悪質な人権侵害行為が「ブラック校則」ではないでしょうか。中学と高校は、“Nothing About Us Without Us”を貫く教育機関としての社会的責務があります。

嗚呼、はや夏のような空が…

 さて、桜が咲いたら、すぐに夏のような日が続きます。日本らしい春夏秋冬の趣が乏しくなりましたね。年度初めの慌ただしさに、夏のような暑さが襲ってくると、低血圧の私は目が回って気を失いそうです(笑)

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