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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。
さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

恵方巻とアルマーニ

 節分の翌日にあたる2月5日のTBSラジオ「たまむすび」で、カンニング竹山さんが恵方巻に関する正論を(厳密にいえば間違った地域認識が含まれています)語っていました。おおよその内容を要約すると、次のようになります(表現の細部を記録したものではありません、だいたいのところです)。

「自分は福岡出身だから、恵方巻なんて知らないし食べない。(相手のアナウンサーに対して)関西出身でもないのに、恵方巻を食べるなんて間違いだよ。全国共通のイベントのようにやるのはおかしい。恵方巻は、関西のものですよ」と。

 節分の日は、街の至る所で恵方巻を売っています。そして、新聞は「大量廃棄の問題で恵方巻から撤退する業者まで出ている」、「店員一人当たり100本ずつ買って帰ることになった店がある」などと報じています。

 恵方巻については、私は以前のブログに記したことがあります(2010年2月4日ブログ「恵方巻と商業主義」)。このブログの要点を改めて記すと、次のようです。

 恵方巻は、全国の農作物や海産物の集積地で商いを営む大阪の船場を中心に、およそ一里四方の地域(最大限に見積もっても、一辺を4㎞とする正方形の地域)の習慣だったものです。船場商人が質素な巻きずしを黙って食べるのは、季節の移ろいが節分で滞ることなく進むことによって、全国の農作物や海産物が豊かに実ることを祈るためのひと時でした。

 私の子ども時代、この習慣は大阪市内でも中心部を離れるにつれて知らない人が増え、京都や神戸ともなるとお寿司屋さんの握り職人でさえまったく知らない程度の、ごく限られた地域のものです。カンニング竹山さんが言う「関西」よりも、はるかに狭い地域の風習です。

 それが今や、恵方巻をなぜ食べるのかという本来の意味なんてどこ吹く風。海鮮巻、ヒレカツ巻、焼肉レタス巻、ロールケーキ巻(最近は洋菓子版まで出ています)…などの「豪華恵方巻」をチョイスして、それぞれの願いが叶うように思いながら、「南南東」(今年の方角です)に向かって食べれば「エモい」節分となるのです。

 この程度のことに目くじらを立てていると、日本で生きて行くことはなかなか難しい。クリスマスにバレンタインデー、そしてハロウィンも、由来や主旨とは関係なく、巨大なビジネスチャンスに仕立て上げていくところに、わが国お得意の商業文化があります。

 翌日には大量廃棄される「現代の恵方巻」はただの商品であって、地域的アイデンティティも季節の移ろいが進むことを祈る意味も全くありません。本来の恵方巻は、質素な具材を海苔巻きにしたものですが、現代の恵方巻はできるだけ単価を高くして利幅を吊り上げるため、豪華な内容にして「お客様の多様なニーズにお応えする商品」です。

 特定のモノと営みのもつスピリットや祈りが地域的アイデンティティを担保する文化は、巨大なコマーシャリズムの前にひれ伏して変容を余儀なくされます。しかし、このような時代にあって、特定のモノから子どもの成長を「祈る」かのような小学校が話題になっています。

 総額8万円を超える「アルマーニの標準服」(選択可能なシャツ・ブラウス類、靴下などを含めた金額)の採用を決めた東京都中央区立泰明小学校です。この学校の校長による保護者への説明文「平成30年度からの標準服の変更について」(2017年11月17日)の全文はにあります。

 この小学校は、学区外からの生徒も受け入れる「特認校制度」の学校です。学区内の子どもたちが減ってしまったために、銀座に位置する伝統校としてのブランドを活かして、学区外からの生徒をも受け入れて学校の存続を追求しようとしているのでしょう。

 校長の説明によれば、歴史と伝統のある銀座の小学校として特認校制度を取り入れて努力してきたのだが、一部の児童生徒の中に通学途中で何らかの問題を起こす事案があるなど、わざわざ泰明小学校を選択して入学してくる制度が形骸化しかねない事態があり、地域との関係の維持にも差し障りがあるというような主旨が記されています。「説明文」のハイライトは次の通りです。

「泰明小学校という学び舎の気高さ。この伝統ある、そして気品ある空間・集団への凝集性とか、帰属意識とか、誇りとか、泰明小学校が醸し出す『美しさ』は保っていかなければと、緊張感をもって学校経営してきました。」

「愛校心、所属愛、学校に対する誇りが自己の存在と重なると、スクール・アイデンティティーが芽生えます。このような、ある意味エモーショナルな心が、あるいは学校に対する思いが、薄れているのではないかと危惧しております。語弊を恐れずに申し上げますが、『自分は泰明小の一員であるから、そのようなふざけた行いはしない』と自戒できる児童を我々は育てたいのですが、保護者の皆様はお子様の姿をどのようにお考えでしょうか。」

 そして、銀座と共に歩んできた学校と地域の絆を育んでいくためにも、銀座にふさわしい「ビジュアル・アイデンティティー」としての制服を採用することによって、「泰明の標準服を身に付けているという潜在意識が、学校集団への同一性を育み、この集団がよい集団であって欲しい、よりよい自分であるためによい集団にしなければならない、というスクール・アイデンティティーに昇華していくのだと考えます」と。

「愛校心、所属愛、学校に対する誇り」とは無縁の人生を送ってきた私がこの校長の説明を単純化すると、「いろいろ悩ましい児童生徒の出来事が起きていますが、これからは他の学校とは一線を画するとびきり高額な標準服を着せてしまうことによって、『銀座の泰明小という特別の小学校の生徒は悪さをしてはならないのだ』という自覚を持たせていく」という主旨になります。

 これは、「生徒管理のツールとしての制服」(2017年12月25日ブログ参照)に過ぎない古色蒼然とした考え方です。ここで、「銀座らしさと制服」というテーマに囚われたことによって、アルマーニという「苦渋の決断」になってしまったのではありませんか。

 しかし、私見によれば、泰明小の先生方の苦渋の本番はこれからです。先生は児童生徒のお手本ですからね。生徒はアルマーニで、先生がAOKI・青山・コナカ・ハルヤマというわけにはいかない。泰明小の教職員たるものは、アルマーニのスーツ・背広・靴下・下着を着用し、「ビジュアル・アイデンティティーからスクール・アイデンティティーへの昇華」を体現する存在でなければならない(笑)

 問題の所在は、標準服のあり方ではありません。議論の出発点を問い直した方がいい。泰明小学校に学区外から入学してくる親子の学校選択の目的は、校長の言う「学び舎の気高さ」や「伝統ある、そして気品ある空間・集団への凝集性とか、帰属意識とか、誇り」にはたしてあるのでしょうか。

 学校選択の実態は、恵方巻の選択とさほど変わらないのかも知れない。新宿の伊勢丹デパ地下の「越前蟹海鮮巻」にするか、日本橋三越の「北海道雲丹イクラ海鮮巻」にするか、成城石井の「三元豚ヒレカツサラダ巻」にするか、銀座の高級寿司店の特注とするか…。つまり、学校の選択も、自分だけのニーズを満たすかどうかを基準とする消費対象の選択でしかない。

 恵方巻を黙々と丸かじりすることに、船場商人と同じような「季節の移ろいが滞りなく進むことを祈る」スピリットを求める人は、殆どまったくいないのです。学校選択にしても、「銀座の気品」などはどうでもよくて、銀座という地域ブランドにあやかりたい気分だけの人たちも集まってきます。それは、「銀座にある伝統校」を売りにした特認校制度につきまとう、当然のリスクに過ぎません。

 学校や社会福祉法人は、教育や福祉サービスを「利用する」側が消費者主権主義に立脚する(または立脚しようとする)スキームに転換している事態を正視しないことによって、公教育と公共性のある福祉の再構築に向けた有効な戦略を描くことができていないし、時代にふさわしい教育と支援の方法論を創出することもできていない。

 従来型の学校教育や福祉の考え方のままで押し切ろうとすれば、子どもたちやサービス利用者に深刻な抑圧を強いるか、反発を招くことに帰結するでしょう。

 8万円を超える豪華標準服の採用が、義務教育に係る子どもの権利の擁護とどのような関係があるのかを学校と教育委員会は熟考したのでしょうか。「標準服は義務じゃない」との言い訳さえしておけば、公教育の責任に何ら抵触するところはないというほど単純な問題ではありません。

 金持ちか貧乏かを問わず、障害のある無しにかかわらず、泰明小学校に入学したすべての児童生徒はそれぞれの子どもにふさわしい成長と発達を遂げることができるという「希望の学校」としての充実を考え抜いた形跡は、この稚拙な説明文のどこにもありません。この説明文は、「エモい標準服にしたら、エモい小学校になる」程度の発想だと言うのは言い過ぎでしょうか。

 日本国憲法第26条は、次のとおりです。
「第26条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。義務教育は、これを無償とする。」

春を開く梅の花-立春に

 さて、この冬の寒さは厳しいですね。1月22~23日にかけて降り積もった雪は、日当たりの悪いところにまだ残っています。関東平野の南部で3週間も雪が残るのは、この冬の厳しさを表しています。でも、お正月に赤く膨らませた梅の花芽は、春を開こうとしています。立春ですね。