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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。
さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

多様性の相互承認と人権

 福岡市で今年の10月に開催されたシンポジウム「LGBTと制服」(福岡弁護士会主催)のことが、ずっと気になっていました(11月17日朝日新聞朝刊)。

 多様な性の子どもを支援する団体「FRENS」代表の石崎杏理さんは、「自分が思っている性(性自認)と違う性の服を強制される」抑圧に耐えかねて、学校に行けなくなる子どもまでいると言います。

 学校の制服は通常、男女で明確に分かれていますから、石崎さんは「当事者にとっても学校にとっても変更のハードルが高い」と指摘します。そこで、スラックスかスカートかを生徒が選べるようにすべきだと提案し、「教育を受ける権利が服で制限されてはならない」と訴えます。

 このシンポジウムの記事では、石崎さんの提案する制服の選択を可能にした私立女子高の紹介がある一方で、それは無理だという中学校長の話も報じられています。

 私立福岡女子商業高校は、制服にスラックスを導入し、「スラックスをはく=トランスジェンダー」とならないようにするために、ファッションとして「かっこいい」イメージを意識的に作る工夫をしています。

 その一方で、福岡市内の中学校長は、「制服変更にはPTAとの話し合いも必要で、すぐには無理。他校の生徒と見分けがつくため生徒指導もやりやすく、廃止は考えられない」と言います。この主張は、カビの生えたような古い考えで、生徒指導の必要といいながら、「生徒支配」のツールとしての制服の強制を、学校のご都合主義で主張しているだけです。

 電通による2015年の成人7万人の調査では、性的少数者は13人に一人(7.7%)です。文科省は、同年に性的少数者の児童生徒に配慮する通知を出して、「自認する性別の制服・衣服や体操着の着用を認める」としています。

 人口の7.7%のLGBTの人たちのことを、性的「少数者」と表現することさえいささか疑問に思います。性的なアイデンティティの多様性を相互に承認することが当たり前の出発点だと考えます。学校は、児童生徒がカミングアウトしやすい合理的配慮の提供にもっと心を砕くべきではないでしょうか。

 以前、バイセクシュアルの知的障害のある若者と知り合いになったことがあります。この人は、学校時代も、卒業後に利用している福祉サービスの事業所の中でも、「質の悪い変人扱い」をされ続けていました。障害のある人の性的人権が歴史的に抑圧されてきたわが国で、障害のある人のLGBTについての充分な理解は、まことに遅れていると考えなければならないのです。

 通常の学校でLGBTをめぐる配慮や人権の問題が取り上げられるようになったのと軌を一にして、特別支援教育や福祉の領域においても、真剣に追求すべき課題でしょう。

 このシンポジウムで、松浦恭子弁護士は「子どもは大人と同じように、権利の主体。制服は、選択の自由、自己決定の自由に反する。制服は必要なのかを問わなくてはならない。子ども全体の問題だ」と訴えています。

 松浦弁護士の訴えに、私も全く同感です。制服が必要であると考えたことは私には全くありません。制服などは全廃すべきだと、私は自分が中学生の時から考えていました。自分の娘が中学校と高等学校の時代も、それぞれの学校の制服がありましたが、まことに不合理だと改めて感じ入りました。

 身長が伸び、体格が急激に大きくなる中学・高校の時代に、制服の不自由さを感じた人は山のようにいるでしょう。最初は、中学に入学する時点で、その後に予想される「体の伸びしろ」を当て込んだダブダブの制服を着せられてしまう。卒業間際になって、体格に比べて窮屈な制服となっているのに、「もうすぐ卒業だから」とむりやり小さな制服を強制されてしまう。

 思春期の子どもにとって、自分らしさの発展とそれを表現の一部としてコーディネートできるようになる力の向上は、とても大切な発達課題です。中学・高校と制服だけだった若者と、同時代に私服で通学した若者が、それぞれ大学に入学してくると、身なりのコーディネート力に歴然とした落差があることが分かります。

 性的アイデンティティは、「自分らしさ」のコアに当たりますから(障害者権利条約第17条にあるインテグリティの保護に該当する)、それを制服によって抑圧するというのは教育の場にあってはならないことです。

 学校が制服を廃止しようとしない問題の背後には、教育的な課題よりもむしろ、学校と制服メーカーの構造的癒着があるのではありませんか。制服だけでなく、体操着、カバンなど様々な指定グッズが中学・高校には溢れていて、そのどれもこれもが市価よりも明らかに高い。

 制服はその最たるもので、「AOKI」「青山」「コナカ」「ハルヤマ」等を愛用する親父の背広上下よりもはるかに値段が高い(笑)。その上、有名デザイナーが手掛けた女子高の制服の中には、大手百貨店の取り扱う冬物上下で十数万円なんてものさえある。

 私見によれば、「生徒支配」の道具として制服を着用させたい学校のご都合主義と、長年にわたって制服ビジネスを展開してきた業界の思惑が一致する構造的癒着が岩盤のように存在する。それが、本来、個人の自由に属する服装への柔軟な対応を学校教育から遠ざけ、「LGBTと制服」問題を生み出していると考えます。

 このようにして、松浦弁護士の指摘のとおり、「性的少数者と制服」の問題を突き詰めて考えていくと、「子ども全体の問題」として、そもそも「制服が必要なのかを問わなくてはならない」課題が浮上するのです。

 このことと同様に、障害のある人への合理的配慮の問題を突き詰めていくことは、さまざまな構造的問題を照らし出して、「私たちすべての問題」としての改善課題を明らかにすることに通じているでしょう。

古代アンデス文明展から

 さて、東京に出た折、国立東京科学博物館で開催中の古代アンデス文明展に立ち寄りました。コンドルとジャガーが遺物の多くに登場します。とりわけ、ジャガーについては、人知を超えた能力をもつ神として畏敬の念が払われていたそうです。

 100年後の日本では、AI(人工知能)が人知を超える能力をもつ神様となって、「AI大黒天神社」(金融投資にご利益あり)とか「寿老人AI神社」(健康余命が延びるご利益あり)などが全国各地に建立されているかも知れません(笑)

 どうか、みなさん良いお年を。

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