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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。
さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

ハンナ・アーレント「悪は陳腐である」

 大阪府和泉市の障害者支援施設太平(社会福祉法人日本ヘレンケラー財団)で50歳代の利用者が内臓損傷の重傷を負い、死亡するという事件が発生しました。この法人は、職員への聞き取り調査の結果、「虐待の形跡はなかった」と釈明しています(https://jp.reuters.com/article/idJP2017101401001340)。

 利用者が死亡するという重大な事態の発生を前にして、「事態が明らかになっていない」と言うのではなく、「虐待の形跡はなかった」と「釈明」する点は、いかにも釈然としません。まず、自身を守ろうとしている点で、逆に不信感が膨らみます。

 しかし、「虐待」は、一部の例外を除き、特別の悪意のある行為とはいえない事象だという性格があるように思えてなりません。様々な人間関係における自らの経験値の延長線上で、「しつけ」であるとか、「相手が我慢するのが当然だ」というような、専門性のかけらもない凡庸な感覚のまま、「行き過ぎ」や「すれ違い」の拡大した所産が「虐待」だということです。

 いわば、「虐待への道は、凡庸な石ころに敷き詰められている」というところですか。

 虐待の行為者は、自身が「悪」だという自覚に欠ける上に、「しつけ」や「ルールを守らせる」などの「必要性」からの行為だと自己正当化する心の運びがあるだけに、虐待の事実を「聞き取り」によってのみ明らかにすることは難しく、すこぶる厄介だといっていい。第三者から虐待だと指摘されることには抗いがちだし、シラを切りとおそうとする開き直りも発生しやすい。

 このように虐待事案は、関係当事者が事実を自ら積極的に明らかにしようとしない傾向があるため、なかなか表に出てこないし、通報があっても事実が確認できないまま「迷宮入り」してしまう。だからといって、刑事事件の捜査への期待がもっぱら肥大化する方向性は、虐待防止の取り組みを進める上で、いささか筋違いだと思います。

 全国の児童相談所が取り扱う虐待対応件数が、平成28年の速報値でついに12万件を超えるまでに達し、一部の地域では、虐待者(実親が最多)の刑事訴追に向けた検事の研修が実施されているそうです(http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000110870.html)。

 私は、決してこのような研修が間違っているとか、無意味だと主張したいのではありません。虐待が増加しているから、刑事的な対応を強化するだけでは、虐待そのものの防止には至らないということを言いたいのです。

 本来は、慈しみ合うことが期待される親子関係や支援サービスを利用する様々な支援現場で、虐待発生の止まない事態が広がっているのは、どうしてなのか? いかなる諸要因からこのような虐待が社会的・構造的に発生しているのかの真実を解き明かすことこそが、虐待を克服するために必要な作業だと考えます。

 特別の悪意がなくても、普通の人間は一定の条件がそろいさえすれば、暴力・ネグレクトをするようになることを明らかにした歴史的実験に、ミルグラム実験とスタンフォード監獄実験があります。

 ミルグラム博士は、自身がユダヤ系の人間なので、エルサレムの裁判で多くのユダヤ人を死に追いやったアイヒマンが実は凡庸な人間だったことが明らかになったことから、凡庸な人間の「悪」を証明したかったのです。被験者は、全員、募集に応じた普通のアメリカ市民でした。

 白衣を着こんだその道の権威のような学者が、「これは実験で、誰にもダメージは発生しないから、最後まで実験をやり通しなさい」と被験者に指示します。被験者は、教師役と生徒役に分かれて別々の部屋に入り、マイクとスピーカで互いにコミュニケーションすることができるようになっています。

 教師は課題を出して生徒に答えさせるのですが、生徒が不正解を言うと、先生は罰として電気ショックを生徒に与えるボタンを押します。不正解のたびに、電気ショックの電圧を徐々に高くするよう先生役には指示されている一方、生徒役には実際には電流は流れないのですが、演技で電圧に応じたリアクションをするように指示されています。

 たとえば、100ボルトで「痛い!」と言うところを、400ボルトになると大声で「ギャー!」と叫ぶなどです。

 数百人で同じ実験をしたのですが、ほとんどの先生役が、最高電圧までの電気ショックを生徒に与え続け、扉の向こう側に生徒役がいるにもかかわらず、「痛い!」とか「ギャー!!」などと叫んだ生徒の安全を扉の向こう側に見に行って確かめようとした先生役は誰一人としていなかったのです。

 先生役の中には、途中で電気ショックのボタンを押すことに躊躇する人もいるのですが、背後に構えている白衣の権威が、「私が責任を取りますから最後まで続けてください」と言うと、必ず最高電圧までの電気ショックを与え続けました。

 このようにしてミルグラムは、普通の市民は、相手に対する力の優位性に身を置いて一定の条件を与えると、暴力を最後までふるい続けることができることを実験によって明らかにしました。

 そして、ハンナ・アーレントが『全体主義の起源』と『エルサレムのアイヒマン』(ともに、みすず書房で後者は[新版]が2017年8月に刊行されました)で明らかにした「悪は『陳腐』である」という命題を私たちが今一度考察する必要性を感じています。

 ユダヤ人・障害者等の異分子排除のメカニズムが、国民国家の崩壊という危機の下で「民族主義ナショナリズム」を高めて「人種思想」に行き着き、貧困と抑圧に苦しむ大衆に対しては「自分たちこそ偉大な民族であるのだから、世界を征服すべきだ」との幻想を煽ることによって、全体主義が大衆の「自動運動」となっていく。

 ユダヤ人絶滅の「最終解決」の責任者の一人であったアイヒマンは、ナチス親衛隊(SS)の中佐として、数百万人のユダヤ人を絶滅収容所に追いやって虐殺を実行しました。そこで、エルサレムでの裁判が始まったとき、多くの人はアイヒマンがいかに極悪非道な人物であるのかがついに暴かれると期待したのです。

 しかし、アイヒマンはただの凡庸な人物でした。昇進することには熱意を持っているが、今一つうだつの上がらない官吏のような人物だとアーレントは語っています。若い時代にはパッとしない凡人で、官僚的組織の中で立身出世することに執心するタイプでした。裁判でアイヒマンは、「組織の命令に従っただけだ」「すべて法を守る市民として行っていただけだ」との主張を繰り返します。

 そして、アーレントは「考えることをやめるとき、凡庸な『悪』に囚われる」と言うのです。だから、家庭内での暴力をしつけだと言い張る親、学校で体罰をする教師、そして支援現場で虐待者となる支援者の多くは、「人を慈しむとは何か」「共に生きるとは何か」というテーマについて考えることをやめて凡庸な「悪」に囚われた人たちだと言えるのではないか。

 蛇足ながら、ミルグラム実験は今日の研究倫理規準で承認される実験ではありません。被験者に対する明白な人権侵害があるからです。ただし、このミルグラム実験は、裏側から捉えると、凡庸な人間をどうすれば悪に誘導することができるかという研究ということもできるのです。

 人道的にはやってはいけないことを、できるだけ抵抗感なく遂行するように仕向けるには、どのような具体的な手立てを講じることが有効なのかという「悪の研究」の土台にもなっていた可能性があるでしょう。世界各国の軍隊や諜報機関によっては、兵隊や諜報員が「人殺し」を筆頭にした極めつけの「悪」を平気でできるようになるための「実験」や「研究」が、秘密裏に蓄積されてきた可能性は否定できないと考えています。映画「ジェイソン・ボーン」のように。

 ハンナ・アーレントはこの20~30年間に、わが国における哲学や教育学の考察に、大きな影響を与えました。ただし、新刊で出た『エルサレムのアイヒマン-悪の陳腐さについての報告』(大久保和郎訳、みすず書房)だけで\4,400、『全体主義の起源』全3巻は軽く1万円を超えます。

 この9月にNHKのEテレの「100分でde名著」が、金沢大学法学部教授の仲正昌樹さんの案内でハンナ・アーレント『全体主義の起源』を取り上げました。このNHKテキストが出版されていて、内容は簡潔に整理され、一冊\524+税です。これはかなりおすすめです。

お囃子

 さて、この土日は川越氷川祭の山車行事のある「川越まつり」が開催されました。全国の様々なお祭33件の「山・鉾・屋台行事」の一つとして、昨年、ユネスコの無形文化遺産に登録されました。画像は、宮下町の日本武尊を乗せた山車です。その他に、弁慶、牛若丸、家康など、全部で29の山車があります(http://kawagoematsuri.jp/dashi/p_list.html)。

日本武尊の山車

 せっかくのお祭りでしたが、今年は残念ながら、雨にたたられました。なかなかの風情溢れる祭りですから、機会があれば、みなさんも一度はお越しください。