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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。
さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

蔓延する体罰・虐待を正視して

 世界的なジャズトランぺッターの日野皓正さんが中学生をビンタし、東京都立永福学園高等部のバスケットボール部男子生徒が顧問に罰として科された校舎外周43周(約19.4キロメートル)のランニングの途中で熱中症に倒れ、三重県の社会福祉法人正寿会カザハヤ園(知的障害入所施設)では職員による利用者への身体的虐待がありました。

 日野さんの事案は世田谷区教育委員会主催の『日野皓正 presents “Jazz for Kids”』でのことです。2017年で13回目となるこの企画は、世田谷区内の中学生による「ドリームジャズバンド」が体験学習の一環として日野さんに指導を受け、成果を発表する晴れ舞台だそうです。

 後半のドラム・ソロの場面で、ソロのままドラムを叩き続ける中学生に対して日野さんが詰め寄り、スティックを取り上げたところ、それでも中学生が手で叩き続けたために、頭髪をつかんで顔を振り回し、「帰れ!」と大声でどなり散らしてビンタをしたという事案です(YouTubeに実際の映像が溢れています)。

 保坂展人世田谷区長は「行き過ぎた指導」と指摘し、今後に向けた改善を教育委員会に伝えたとあります。しかし、ビンタされた当事者の中学生は「日野さんのことも信頼しているし、僕が悪かったと思う」と、保護者も「日野さんには感謝している。素晴らしい事業なのでやめてほしくない」とそれぞれ発言しているそうです。

 これに対して、9月4日放送のTBSラジオ『伊集院光とらじおと』の中で、伊集院さんは「本人が『自分が悪かったと思う』と言ってることで、わりと世の中が『本人が良ければ、OKなんじゃないの?』って感じになってきてるのに、俺、ちょっとやっぱり疑問を感じるんだよな」と問題指摘の発言をしました(https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170910-00010000-flash-ent)。

 さらに続けて、「今回は信頼関係がうまくいってたから、結果的によかったけど、本人は信頼関係が築かれてると思い込んでたってケースもいっぱいあるし、『築かれてません』って言えない関係になることが…教わっている側が、『僕はそう思ってません』って言いづらい環境になることが多いから、(体罰は)『やめよう』ってなってることだと思うんです」。

「冷静に、それが『しつけ』って言葉も嫌いだけど、教育の一環として行われる手法のひとつなら、あの場で『つい』なんてならないはずで。あれこそが、事故が起こる、ギリギリ首の皮一枚の映像だと僕は思うんですけどね」

 このラジオ番組の伊集院さんの発言を車を運転しながら聞いて私は、思わず拍手喝采です!

 指導や支援の名の下に、指導する側の圧倒的な力の優位性を背景にして発生する暴力やネグレクトは、〈支配-従属〉関係を暴力によってさらに強化します。すると、「殴られたことに納得します」と力の強い者により従属することによって支配的秩序に適応しようとしかねない。

 このような行為を「しつけ」と称して教育的な意味を持つと考える人たちは、〈支配-従属〉を基軸とする関係によって利得を得ている人たちの成功体験に由来するものではないかと考えます。

 世田谷区長の「行き過ぎた指導」発言にも疑問を拭うことができません。この事案における問題の本質は、「程度の問題」ではなく行為そのものの問題です。「行き過ぎた」と程度の問題に帰結させてはいませんか。「程度が過ぎてさえいなければ、体罰もあり」という誤解を生みかねない点で、私は疑問に思います。

 都立永福学園の体罰事案は、朝日新聞の報道によると(9月6日朝刊)、男子生徒がバスケットボール部の練習で校舎外周を走った際、顧問教員が指示した1分25秒以内を「43秒」超えたから、「罰として43周」のランニングを科されたというものです。

 朝日滋也校長の発言として「障害のある子どもでも高いハードルを乗り越える目的でやってきたが、天候も考えずに重大なことを起こした」として謝罪したとあります。私の頭が悪いのか、この発言内容をさっぱり理解することができません。

 この事案で、1秒遅れたことにつき1周の懲罰ランニングが科されている「課題」が、この男子生徒にとっての「教育目標としての高いハードル」になる合理性があるとでもいうのですか? この日、たまたま涼しくて男子生徒の体調も良く、懲罰としての43周ランニングをやってのけていたら、問題は何も露見せず、学校では生徒指導の成功体験の一つになっていたのではありませんか?

 この事案は、2013年に文部科学省が出した『運動部活動での指導のガイドライン』の中で指摘する「許されない指導」の例示とほとんど同様で、明白な体罰に該当します。しかし、新聞報道によると特別支援学校のある教員の「いずれ仕事をすることを考えると、部活動は、すぐ諦めがちな子に忍耐力をつける良い機会であることは間違いない」という声を紹介します。

 つまり、わが国の職場に常態化している、不合理な上司の命令やハラスメントにも耐え抜く〈支配-従属〉関係への適応力を、部活顧問の不合理な懲罰に従うことを通じて養うことが「教育」とされてしまいかねない学校の現実があるのです。

 このようにみてくると、体罰や虐待を単純に「やってはいけない」と提示するだけでは問題の克服には何らつながらないことが分かります。犠牲者や問題事案が明るみに出てしまった場合にだけ、何を教訓や反省にしているかを明らかにすることもなく棚に上げたまま、力の優位性をもつ「指導者」の側から口先だけの「謝罪」が放たれるだけで終わってしまう。

 このような謝罪の繰り返しにつきまとう戯言は、「生徒のためを思ってこその行き違い」だったという言い訳です。「強迫的な熱い思い」を教育的信念と誤解しているのでしょう。「もっと忍耐力をつけてほしい」と思ってしたことの中に「行き違い」や「行き過ぎ」がありましたと言うのですから、本質的な反省が生まれにくいやっかいな構造があると言っていい。

 一部には体罰を正当化する団体があって、学校教育法第11条の削除さえ求めています。子ども虐待を「しつけ」と言い張る親が蔓延するわが国においては、教育現場の実態としても、体罰を「しつけ」とみる向きはまことに根強いものがあると考えるべきです。

 1947年〈昭和22年〉に学校教育法が施行されて以来、「してはならない」はずの体罰がかくも左様に今日でも蔓延している事態を正視すべきです。体罰事案が発生するごとに、学校や教育委員会の中で事実確認や改善を実施するのではなく、第三者による検証作業を例外なく法的に義務づけるべきではないでしょうか。

 それぞれの事案ごとに検証作業をすることなく、事態を正視しないままずるずると体罰や虐待が蔓延することほど最悪な事態はありません。一方で、「体罰・虐待はやってはいけない」派は体罰者・虐待者をできる限り刑事訴追することを求めるようになり、他方では、「体罰はしつけ」派が、競争社会につきまとう〈支配-従属〉関係の下での「生きる力」を強化する教育方法としての妥当性を主張するようになりはしませんかね。

 被害にあう側はものを言いにくい立場にあるのですから、取り返しのつかない体罰・虐待による膨大な被害は、教育や福祉の下で夥しい数にのぼるでしょう。社会福祉法人正寿会の基本理念は、「愛と信頼」と謳います(http://seiju-kai.or.jp/aboutus/philosophy.html)。

東京都大田区虐待防止研修管理者向け

 先週、大田区障害者虐待防止研修の管理者向けコースを終えました。大田区では、初任者・中堅・管理者とグループに分けて、3回にわたる研修の機会を設けています。今回は、日野さんの事案に係わる伊集院光さんのラジオでの発言も取り上げさせてもらいました。

 グループワークセッションを最後に短時間ですが実施しました。限られた時間ですけれども、かなりインテンシヴなミーティングとなって、それぞれの支援現場における虐待防止の取り組みを深めていく足場になっていたと感じています。皆さん、ご苦労様でした。