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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

日本型「公共事業」の愚かさ―震災復興の欺瞞

 東日本大震災の発生から6年が経ちました。この間の復興のあり方を考えるうえで、昨年末に目に留まった神戸新聞の記事が頭から離れません。「神戸市三セクのシューズプラザ売却へ」(2016/12/23)とあります。

 1995年1月に発生した阪神淡路大震災で大きな被害をうけた神戸市長田区。ここの地場産業であるケミカルシューズ産業を支援する拠点として、シューズプラザが設置されました。神戸市と中小企業基盤整備機構などによる第三セクターが所有し、運営してきました。

 震災当時、長田のケミカルシューズ産業は中国をはじめとする発展途上国とのコスト競争で劣勢にあり、震災以降の成長性には疑問符がつけられていました。しかし、それまでの長田区の主要産業であったことを根拠に、まずは「仮設工場」を、次に「復興支援工場」を手厚く整備しました。

 そこでさらに、地元メーカーによるアンテナショップの出店、起業家への安い賃料での事務所貸し出しなど、ケミカル産業の人材育成と販路開拓の拠点として開設されたのがこのシューズプラザでした。

 ところが、1990年代前半に800億円を超えていた生産額は2014年に400億円を割り込み、ケミカル産業従事者数も半分以下に縮小しています。震災後はインターネット販売という販路の大きな変化があり、「神戸シューズ」のブランド化にも東京でのPR強化が必要なことから、長田を拠点とする必要性はなくなりました。

 阪神淡路大震災は、日本の産業全体が構造的変化を余儀なくされる時代に発生したことから、長期的な産業政策への展望に立った最適な復興政策を立案することには困難があったという弁解があるかもしれません。

 しかし、産業構造の変化は1985年のプラザ合意から始まって、阪神淡路大震災まですでに10年を経過しています。つまり、前例踏襲主義を得意とするお役所には、このような状況下での政策立案能力はほとんどなかったというのが真相ではないでしょうか。

 この点に係わって、みずほ政策インサイトの示す『過去の震災時の復興から得た教訓』は、震災に伴う復興事業のあり方そのものに重大な問題のあることを明らかにし、必要で有効な処方箋を提示しています。。

 このレポートによると、神戸市長田区の再開発事業は、駅前高層ビルや商店街の区画整理事業などに、「六本木ヒルズの開発費(土地代を含む)に相当する2710億円の事業費が費やされている」といいます。

 それでいて、「商業スペースは半分が売れ残っており、賃貸での入居も思うように進んでいない。建設計画の約40棟のビルのうち約30棟が完成しているが、このような状況下にも関わらず、残りのビルの建設予定に変更はない」とあります。

 要するに、地域の実情と住民関係者の参画に基づく政策形成のプロセスを経ることはなく、長期的な地域の経済成長の見通しについて充分に検討されることもなく、執行過程でもモニタリングによる修正を図ることのない復興政策が、巨額の税金をハコモノ整備に費やして、何の効果を上げることなく、漫然と破たんしたということです。

 それでいて、壮絶壮大なムダの責任の所在が明らかにされることはないというのが、まさに日本型「公共事業」の真骨頂です。

 神戸新聞の報道によると、シューズプラザの売却後、神戸市は「赤いハイヒールのオブジェの扱いや施設のあり方は、地元に配慮したい」と言っているようです。特に具体的な後始末をするのではなく、「誠意のある」ことを見せて問題を徹底して情緒化し、市の行政責任への波及を回避しようとする姑息な姿勢であるとしか、私には思えません。

 さて、みずほ政策インサイト『過去の震災時の復興から得た教訓』は、成長産業の今後を見定めて、地域住民・関係者の復興計画策定への参画と合意形成を図り、「ハコモノ整備と産業振興は慎重に!」という見解を明らかにした労作です。

 このレポートは、ここで取り上げた阪神淡路大震災の教訓だけでなく、1993年7月に発生した北海道南西沖地震における奥尻島奥尻町の復興政策の経緯からも十分な教訓を汲み取ったものです。東日本大震災の復興事業を考える上で、多くの方に一読をおすすめします。

 東日本大震災の復興事業に、このレポートの指摘するような教訓が果たして活かされているのでしょうか? かさ上げ工事をした住宅地や商業地が完成しても入居が埋まらない、災害公営住宅は少子高齢化と人口の縮減によって、現在も埋まっていないし、将来はもっと空きが出てしまう、三陸沿岸部の地場産業の復興は思わしくない…

 この3月11日に政府主催の追悼式が国立劇場であり、秋篠宮様をはじめとして関係者が追悼の言葉を述べました。その中で、入院中のお母様が福島第一原発事故による避難先で亡くなったという川内村の福島県遺族代表の言葉が、最も印象的に残りました。

「今では全村の避難も解除されましたが、若い人たちが村に戻らないなどの課題も多く、以前の姿からは程遠いです」

 この現実に対応しうる復興政策の中身が作られてきたとは、とても考えることはできません。昨日も、ラジオの震災特集番組を聴いていると、「村の行事の時だけでも、若い人が戻ってきてつながり続けることが大切だと思っている」というような発言を耳にしました。

 このような復興の現実を正視しない課題の情緒的なすり替え発言は、いささかたりとも地域復興の現実につながることはないと断言します。今年の震災関連の報道には、このように復興問題の現実を情緒的にすり替える傾きが目立った点に、はかり知れない苛立ちと疑問を抱きました。

 このような傾きのでてくる根っこは、「愛する人悼む」(2017年3月12日付朝日新聞朝刊)にあるように、被災者の「喪失体験の受容」が未だに進んでいない現実に起因するものと考えます。喪失体験の受容の課題と復興の現実な課題を峻別する判断は、報道する立場にあるものの最低限の良識と倫理の問題ではないでしょうか。

 すべての被災者が仕事と生活に見通しをもつことのできる復興政策のグランドデザインと、福島第一原発の廃炉作業の安全性に関する確実な見通しの両方が、被災地に若い人たちの戻ってくるための必要十分条件です。

 ここで、産業復興と医療・保健・福祉・教育等の生活再建には社会資源整備が課題であるとして、巨額の資金を使ったハコモノやコンパクトシティーの整備等が必要だと声高く叫ばれてきた経緯はないのでしょうか。このような「公共事業」は、有象無象の懐を潤すことはあっても、結局は、壮大な無駄遣いに終わるだけです。

 これまでのような日本型「公共事業」を柱とする役所主導の復興策を進めたところで、長田区のシューズプラザの破綻が示すように、産業と暮らしの営みが復興することはありません。恰も「復興が進んでいる」かのような印象を強めようとする一部の政治家の発言とは裏腹に、被災地の多くの人たちは復興に実効的なグランドデザインの明確化を国と自治体に求めているのではないでしょうか。

三春町の瀧桜

 桜のシーズンが近づいてきました。福島県三春町の瀧桜の優美さには目を奪われるものがあります。開花前の今は、日に日に花芽を膨らましているところです。この花芽は桜色を凝縮した濃赤色をしていて、開花前の姿をして、老木の生きる息吹を感じさせてくれます。画像で細い枝が淡い赤の線であるように見えるのは、花芽の赤の連鎖によるものです。

 でも、老木の赤い息づかいには抗議の訴えが含まれているのではありませんか。この花芽の赤には、復興の進まない現実と人間に対する老木の怒りがあらわされているのかも知れないと。