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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。
さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

「働き方改革」に期待する

 昨日、「先生の7割週60時間超勤務」という新聞記事が目に留まりました(1月15日付朝日新聞朝刊)。

平日21時過ぎのある小学校

 この記事のデータは、全国の4500人の小中学校の教諭を対象とした連合総研の調査結果によるもので、週に60時間以上働く先生は、小学校で72.9%、中学校で86.9%となっています。

 午前7時以前に出勤する教諭が15%、午後9時以降に退勤するのは22%にのぼります。新聞記事によると、医師、建設業、製造業よりも労働時間が長いと指摘しています。

 負担にもっとも感じている仕事は、小中ともに「保護者・地域からの要望・苦情への対応」(小84%、中82%)で、「国や教育委員会からのアンケート」(小83%、中80%)が続いています。

 調査を分析した早稲田大学大学院教授の由布佐和子さんは、「『子どものために』という先生たちの善意が長時間労働をもたらし、自身の首を絞めている。私生活を犠牲にし、自ら学ぶ時間もないため、結局は教育の質の低下につながるだろう」と指摘しています。

 もっとも負担に感じている仕事である「保護者・地域からの要望・苦情への対応」は、地域・父母との関係性を左右する営みです。ここに広い意味での地域連携も含まれるとすれば、教員の配置基準と社会資源整備の拡充を怠ったまま、もっぱら地域の「ネットワーク」「連携」で課題への対処を進めてきたツケの現れではないでしょうか。

 とりわけ、父母と地域との密度の高い連携がと求められる特別支援教育では、私の知る限り、事態はもっと深刻です。自身が就学前の子どもを育てる教諭は、「19時30分に退勤です。これでも、学校の中で一番早く帰らせてもらっています」と言うのです。特別支援教育のさまざまな現場の先生方にお話を伺いましたが、残念ながら、このような実態は蔓延していることが分かりました。

 そこで、学校の教諭をめぐるインターネット上の言説を覗いてみると、「月140時間以上の残業を強いられる」「ブラック企業となった学校」というような書き込みがあふれるようになっており、中には「教員養成系教育学部に行くべからず」という「警告」を高校生に発しているものまであるのです。

 実際、私の勤めている教員養成系教育学部の学生の中では、「学校の先生は残業が多いから」「保護者対応が大変だから」という問題を理由に、教員志望を民間企業への進路に替えるのも決して珍しいわけではありません。

 そこで、学生にいささか突っ込んで訊ねてみると、「子どもや父母を大切にしたいという自分の気持ちを、残業や休日出勤でかすめ取られるとしたら、自分はボロボロになってしまうだろう」と話してくれました。この学生の話の本質は、次のようなことでしょうか。

 19世から労働問題の核心部分に存在してきた「搾取」のあり方は、サービス業が主要な産業領域となった今日、貨幣的な価値に還元しきれるものではなくなりました。対人サービスにかける労働者の思いや情熱を、たとえば「子どもたちの笑顔を見たいから」という気持ちをテコに残業(しかもその殆どは「サービス残業」!)を強いる形になっています。

 「子どもたちの笑顔のため」を「お年寄りの笑顔のため」「お客様の笑顔のため」…とあらゆる対人サービスに際限なく敷衍していったところで、結局、支援者・民衆の多くからは笑顔が消失し、一部の人間だけが「えびす顔」になるようになったのではありませんか。電通の社員の過労自殺が投げかける問題の本質はここにあると考えます。

 そこで、働く人自身が、支援者自身が笑顔になることのできる「働き方の構造改革」こそが今こそ求められていると言えるでしょう。

 このような問題に対して、「学校の先生のやりがい、働きがい」「子どもたちの成長と発達をともに創造する素晴らしさ」などを強調する人たちも大勢います。しかし、労働問題の本筋とかけ離れたところで「有為な人材」を集めようとしても、小手先だけのごまかしに過ぎません。

 メンタルコンディションを崩して休職に至る教員が高原状態を続けていることや、20代教員の離職者の増加など、ILOの指摘する「ディーセント・ワーク」から遠ざかりつつある実態を正視した議論が必要です。

 「教育公務員」としての待遇がここまで低位平準化されてきた以上に、福祉従事者の事態はもっと深刻でしょう。下関市の障害者施設で発生した虐待事案に関する山口県知的障害者福祉協会の検証報告書は、子どもを大学にやる年代である40代の支援職員でさえ年収300万円台の待遇であることを指摘しています。

 私が街角で見かけた「ホームヘルパー募集」のポスターから、ざっと待遇を試算してみたことがあります。募集をかけているのは大手事業者で、確か「月25万円保障」とあったと記憶しています。

 ただし、雇用上の地位は「登録ヘルパー」です。交通費、社会保険料等はすべて自腹ですから、それらを引いた給料の実態はほぼ最低賃金でした。 このような待遇の実態を基準にとれば、どの社会福祉法人や社会福祉事業団の職員も「遜色のない待遇」と評価されてしまうこと請け合いです。ここで、「福祉の仕事はお金の問題だけに還元されないやりがいがある」と言う向きが業界の一部にあるとすれば、明らかな筋違いだと私は主張します。

 虐待防止の問題にしても、このような待遇の問題を素通りしたまま、「虐待の発生しない仕組みや研修」を形式的に論じるのは、無責任のそしりを免れないでしょう。虐待防止の議論の中に、場合によっては、現場支援者を「説諭」しているのではないかと思われるほど「上から目線」を感じさせるものさえあって、いかがなものかと思います。

 ある県の虐待防止研修で、「支援の質を向上させたいと考えてきたのですが、辞めた支援者は埋まらない事態が続いて、今いる職員一人当たりの負担が増えて、また一人辞めていく。そのような悪循環から抜けきれない」という報告がありました。地域によっては、これが支援現場の切実な実態であることは常識の類です。

 だからこそ、「働き方改革」のこれからの推移と実効性に期待をもって注目しているのです。政策論としては、福祉領域の専門性と専門職制度に関する議論を、これまでの資格制度やキャリア教育のあり方を一度ゼロベースにしたうえで、再構築すべき時期にきているのではないかと考えます。