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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。
さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

割り切れなさの中から展望を拓くことができるのか

 全国の児童相談所の虐待対応件数が昨年度に10万件を超えた現実を踏まえ、先週の朝日新聞朝刊は「児相の現場で」と題した記事を上・中・下の3回にわたって報じました(11月18~20日付)。

 最初の記事のタイトルは「赤ちゃんそっと救い出した」。子どもを守るために一時保護する必要があると児相が判断しても、親の同意を得ることができなければ、職権による保護を実施することを余儀なくされます。

 虐待をする親だからといって、多くの場合、子どもに愛情を全く持っていないわけではありません。そこで、わが子が児相の職員によって分離保護されることに抵抗を示すことは珍しいことではなく、「親の意に反して」子どもを分離保護する場面にはしばしば緊迫した空気が張り詰めることになります。

 この記事では、ある職員が母親と話し合いをしているさ中に、他の職員が乳児をあやしながら、さらに別の職員に乳児を渡して保護するという息を呑むような場面に続いて、「職権による保護」を知って包丁を持ち出した母親には、待機していた警官が対応して取り押さえる事例を報じていました。

 2回目の記事のタイトルは「子帰すため親と向き合う」。虐待を受けている子どもを一時保護した後、児相が子どもを親元に帰すためには、虐待的関与がぶり返さないように「保護者に変わってもらう」ように親を支援します。

 ところが、虐待発生には多様で複雑な要因が絡んでいますから、一筋縄で「親が変わる」ことを展望できるわけではありません。

 この記事では、子ども期に被虐待経験のある親への対応に苦心するワーカーの話や、一流大学への進学を強迫する親から一時保護した高校生を児童養護施設に入所させる児相の方針に対して、高校の「授業料の支払いを止める」と言い出す親の実態を報じています。

 最後の記事は「増える虐待すり減る心身」。夜間対応の当番で児相から携帯電話を持たされた日の女性ワーカー。自宅での夕食中に携帯電話が鳴り、「脳震盪を起こした子どもに虐待が疑われる」との病院からの通報に対して、深夜まで緊急対応のために走り回ります。

 また、一時保護から乳児院に入った子どもが肺炎の疑いで入院し、その付き添いを児相のワーカーが休みを返上して対応する事例も記されていました。

 これらの取材現場となった西日本の児童相談所は、全国の中でも人口比でワーカーの配置数の多いところであると記事は言います。全国的な人員不足の実態については、「2015年度に全国の児相が対応した虐待件数は10万件超と10年間で約3倍に増えたが、児童福祉司の人数は約1.5の増加にとどまる」と指摘しています。

 記事の最後に引用された児相の元所長の発言には、「いまの児相は保護者への対応と子どもへの対応、関係機関との連携を一手に担わされていて、もう限界」とあります。

 虐待対応にあたる職員には、著しい特別のストレスにさらされることが多いでしょう。まずは、親と子の複雑で割り切れない問題の渦中に身を置いて、今後に向けた展望を切り拓こうとする営みそのものに強いられる緊張があります。

 その上、子どもと親にとって最善の利益の実現に適う支援を紡ぐために必要な、人員配置は常に不足し、一時保護所や家庭的な環境で子どもを育む社会資源も圧倒的に不足しているのですから、ギリギリのところで子どもを守り抜くための「綱渡り」を日常的に強いられていると言っていいでしょう。

 「子どもの人権を守る」という錦の御旗の下で、神経を消耗し、神経疲労を溜めこまざるを得ない虐待対応現場の実態について、改善の手立てはあまりにも後手に回っていると懸念するのは、決して私だけではありません。

 先日、職場でこの朝日新聞の記事を読んだ理系の先生とお昼休みに雑談する機会がありました。その先生は、「児相の職員は本当に大変なんですね」「しかし、児相の新人職員に『過労自殺』でも出ない限り、支援条件を抜本的に改善することはしないのですかね」と、率直な疑問を私に投げかけました。私も同感です。

櫂の木の紅葉-足利学校から埼玉大学に移殖された

 さて、今年の紅葉は、暑いところから急に冷え込んだためか、美しい紅葉色に染まる前に、枯れてしまう葉が目立ちます。埼玉大学のキャンパスでは、足利学校から移植した櫂の木が数少ない美しい紅葉で目を和ませてくれます。

 日本ならではの四季を感じ取ることがなくなりつつあります。春と秋がなく、暑さと寒さに振り切れてしまう今の気候は、「美しい日本」がもはや過去のものであることを暗示しているのではありませんか。