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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、日本障害者虐待防止研究研修センター代表。
長年、埼玉大学教育学部で教鞭を勤めた。さいたま市社会福祉審議会会長や障害者施策推進協議会会長等を務めた経験を持つ。埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)、『障害者虐待-その理解と防止のために』『地域共生ホーム』(いずれも中央法規)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

さいたま市条例を活かして

 先日、埼玉大学連続市民講座(読売新聞さいたま支局と共催)でさいたま市ノーマライゼーション条例づくりについて講演しました。

埼玉大学連続市民講座

 思わしくない天候であるにもかかわらず、大勢の市民の方が参加されました。当たり前のことですが、点字版配布資料と手話通訳者をあらかじめ用意させていただき、車いすの参加者もありました。

 さいたま市の条例が施行されて5年(全面施行から4年)経とうとしていますから、条例の策定に向けた当時の話をするだけでなく、今ここにある差別や虐待の現実に目を向けて、障害のあるなしにかかわらず共に生きる営みのこれからを展望するお話をしようと心がけました。

 先月、厚労省が公表した平成27年度の児童虐待対応件数(全国児童相談所)が10万3千件余りとなり、平成2年から約94倍増加となりました。父と母の間に生まれ落ちて、愛でられることなく慈しみ合うこともなく、人間となりゆくプロセスそのものの剥奪された子どもたちが大勢いるという現実。

 人と人との間で育まれることによって「人間」となることが土台から崩れている家族と地域社会は、もはや光のない闇ではないのか。

 15~39歳の引きこもりは54.1万人です(内閣府、平成28年8月)、この中で7年以上の引きこもりが約35%にのぼります。ここに40代以上の引きこもりを加えると70万人を超える数値になるのではないかとの研究者の推計も出ています。

 人と人との間で生きることそのものにとてつもない困難が生じています。

 日本財団の自殺に関する4万人調査(平成28年実施)によると、成人の4人に1人が「本気で自殺を考えたことがある」と回答し、この中で女性の「本気で自殺を考えた理由」は「介護」で約55%の第1位です。

 身近な人とともに暮らす中で、介護の問題に直面しさえすれば、日本の女性の多くが「本気で自殺を考える」という、介護保険制度の実施以前と何も改善されていない生きづらさ。

 これでは、「一億総生きづらさの時代」と言った方が、多くの人の生活実感にフィットするのは間違いありません。ここで、「共に生きる」とか「共生社会の実現」を掲げたとしても、あるいは色あせた、あるいは歯の浮くようなリアリティのなさを露呈するだけかもしれません。

 そこで、さまざまな生きづらさの元凶であるというべき差別・虐待について、それぞれの事案ごとに事実を明らかにし、それらを克服するための具体的な手立てを助言・斡旋する等を通じて、「共に生きる」営みそのものを再構築しようとするのがこの条例の本旨であることをお話ししました。

 「共に生きる」営みを積み上げていくことは、まことに面倒な遠回りを長期間続けていくことだと受け止めています。

 それは、人と人との間に命を授かって「人間になれる保障のない」今日にいたるまでに近代以降の長い道程があったのですから、長い面倒な営みを余儀なくされるのは当たり前です。この営みのバトンを次の世代に渡すことに成功しなければ、人間は獣に向かって逆進化するほかないのではないか。

 雑誌「アサヒカメラ」10月号で鬼海弘雄さんと池澤夏樹さんの対談(同誌144-149頁)が眼を引きました。

 現在、ISのテロとそれに対抗するアメリカ率いる有志連合の空爆等で混乱を深めているイラク、シリア、そしてトルコのアナトリア地方。このアナトリアを訪ねたことのある2人対談の始まりは次のようです。

  • 池澤「アナトリアのアラジャフユックという遺跡に行ったことがあります。そのとき、知らない人の結婚式に呼ばれました。人が多い方がにぎやかでおめでたい、みたいな感じで」
  • 鬼海「そうそう。『腹減ってないか? メシ食ってくか?』って私もよく声をかけられたものです」

 アメリカが引き起こしたイラク戦争がこの地域の人たちを引き裂き、それに追随する日本について、次のように指摘します。
  • 池澤「日本は国全体の体温が下がった気がします。実際には過熱していると言ってるんだけど、過熱しているのは『カネ』ばかりです。」
  • 鬼海「元凶は、そこですね」

 金融価値の増殖を最大化しようとする大競争の激化と戦争が、民衆の生きづらさと悲劇を生んでいます。

 20世紀のはじめに若者の新大陸への移民が増大し、貧しい高齢化社会に突入した北欧の国々は、2つの世界大戦に参戦することなく、100年近くかけてノーマライゼーションを推し進め、インクルーシヴな社会を実現したことに改めて思いを馳せたいと考えます。さいたま市の条例は、そのような営みを実現し続けていくためのものです。