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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。
さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

「拘束の同意書」をとるという脅迫行為

 鳥取県立施設で拘束の虐待が明らかとなった事案を受けて、ある施設長が暴言を吐いているとの知らせが風の便りに舞い込みました。

 この施設長は、「あの程度の拘束が虐待認定されるのはおかしい。今後は、すべての施設利用者に拘束についての同意書にサインしてもらうようにする」と発言したそうです。

 障害のある人とそのご家族に対して、サービス提供事業者の力の優位性を盾に、「拘束や体罰がダメだ、虐待だと文句を言うのだったら、施設の利用はさせない」と言わんばかりの脅迫行為です。まるで暴力団の組長のようですね。

 個人的には、もはやつける薬のないお大臣とは思うのですが、このまま放置しておくとこのようなお大臣はつけあがりこそすれ、障害のある人の人権擁護に眼を向けることはありません。そこで、例えば、該当施設のある地域の弁護士会が人権侵害事案として調査し、法務省の人権擁護局や該当県の障害関係当局に告発すべきだと考えます。

 もう一つ別の、風の便りが舞い込みました。高知市立特別支援学校で発生した体罰事案について、県教委が体罰を行った教諭の処分を決定したという報道です(6月30日高知新聞朝刊)。障害のある子どもの指導にあたり、教師が力づくで言うことを聞かせようとするタイプの、古典的な虐待です。特別支援教育に関する専門性が丸でないのでしょう。

 小学部の「男子児童を自分の方に向かせようとして、顔を両手で挟んで児童の鼻に引っかき傷」や「耳の下にケガ」とあります。また、「掃除の時間にぞうきんがけを嫌がったこの児童の背後から覆いかぶさるようにして指導」した際、「児童が頭を振るなどして抵抗したため児童の顔を手で押さえ、頬などに全治2週間のけがをおわせた」そうです(引用は、いずれも高知新聞より)。

 体罰を常習化していたこの教諭は、保護者からの問い合わせに対して、一貫して「自身の関与を否定していた」そうです。そこで、このケースでは、相談支援者がこの保護者をエンパワメントしつつ、「体罰被害を繰り返さないためには、事実を明らかにする必要がある」という観点から、保護者が警察に被害届を提出しました。これが、事態を動かすために必要な出発点になりました。

 この保護者の方はさぞや悩ましい思いを重ねられたことと思いますが、被害届を出すという勇気がこの男子児童はもとより、多くの子どもたちの適切な教育と人権擁護につながったことは言うまでもありません。障害のある人がこれまでのように「泣き寝入り」を強いられるのではなく、全国各地に存在する虐待防止や差別解消のための支援者・組織とともに、問題克服のための第一歩を踏み出していただきたいと願っています。

 それにしても、拘束や体罰は、障害者施設のなかに澱のように沈殿したまま、克服に向けた取り組みが進んでいないのではないかという印象を払拭することができません。鳥取県で明るみに出た「異食を理由に、1日10時間の拘束を20年間続けていた」という事実は、この利用者が人生を根こそぎ踏みにじられ、剥奪されたと言っても過言ではない重大な人権侵害事案です。

 わが国には、いまだにピネル(1745-1826)のような人が必要なのでしょうか?(精神病の患者さんを閉鎖病棟で鎖でつながれた状態から開放したことで有名)

 違法な拘束をしていた施設の職員は誰一人として虐待通報はしない上に、この一件を受けて「これからはすべての施設利用者から拘束の同意書をとる」と障害のある人と家族を脅迫する施設長までが現れるという驚くべき現実には、歴史的で構造的な問題があると言わざるを得ません。

 一つは、「家族が面倒みれないというから、うちの施設で面倒みてやっているのに、四の五の言うな」という旧態依然とした体質です。サービス提供事業者・法人のもつ圧倒的な力の優位性による障害のある人への抑圧・支配構造が、福祉サービスそのものにビルト・インされているのです。

 サービス提供事業者と障害のある利用者の対等・平等な関係は、措置費制度から契約利用になろうが、実質的には何も変わっていない面があります。施設サービスの不足に由来する需給関係の厳しさを背景に、サービス供給側はむしろ利用者に対する抑圧支配の構造をアンダー・グラウンド化し、巧妙化と陰湿化が生じているところさえあるのではないか。だから、表向きは虐待などの人権侵害が見えにくくなっているかも知れません。


 もう一つは、「体罰や拘束の同意書をとる」という脅迫行為が、全国各地の施設でまかり通っているという恐るべき事実についてです。拘束は、切迫性・非代替性・一時性の3つすべてを要件としますし、管理運営の基準においては法的に禁止しているのです。ところが、「処遇困難ケースを大勢みている施設なのだから、拘束や体罰はいつでも止むを得ない」とするような姿勢はそこかしこに見受けられるのです。

 ここには、専門性の欠如、ケース・カンファレンスの未実施などの問題以前に、障害者の福祉サービスの拘束を認める法的手続きがあまりにも杜撰であり、施設内部の人間だけの判断で拘束を行えてしまうという根本問題があるのではないでしょうか。

 少なくとも、精神科病院の治療の必要から保護室に拘束する行動の制限の実施に求められる手順と同様のものを法的義務としなければならないと考えます。拘束を支援の上で必要と判断する人の専門性に関する厳格な形式要件に、一つの事業所・社会福祉法人の内部判断だけでは実行できないこと、やむを得ない身体的侵害・拘束についての時間的限定(例えば、「最長で3日以内」)と延長する場合の要件と手続きなどを、法的に定める必要があります。

 かなり以前、「うちの病院は、どんな厄介な患者でも全部引き受けてやっているのだから、拘束や体罰について文句言うな」というように、社会資源と支援サービスの貧しさを棚に上げたまま、行政や警察と「阿吽の呼吸」から「汚れ役」を積極的に引き受ける精神科病院がありました。

 ところが、友人の精神科医やPSWに業界事情を尋ねてみると、このようなタイプの旧態依然とした人権侵害病院は、さすがになくなったと断言するのです。ところが、障害福祉サービスの領域では、現在でもなお、古くからの構造的問題が克服されないまま残っているのではないでしょうか。

 障害のある利用者を前に、「拘束の同意書をとる」と平然と発言する施設長に対しては、少なくとも、行政機関の迅速で責任ある対応があって然るべきです。障害者権利条約に関するパラレル・レポートを活用しながら、このような歴史的で構造的な差別・虐待問題の克服に力を合わせて歩みを進めるときだと考えます。