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宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。
さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

グループホーム世話人研修 part.2-福島県中通り

 先週末は、福島県郡山市で開催されたグループホーム世話人虐待防止研修に講師として参加しました。先日の会津若松に続くパート2となります。今回の研修は、参加者の支援経験の年数やグループホーム以外での支援経験をできる限り踏まえて進める形を採りました。

福島県中通りグループホーム世話人研修

 グループホームの職員研修ほど難しいものはないというのが、率直な私の感想です。グループホームは、社会福祉施設のように建物・施設設備の基準はなく(火災のために死人が出ると「スプリンクラー」設置を義務とする程度)、支援者の専門性・経験年数・支援経験・雇用形態等は、限りなくバラバラであることを特徴とする社会資源です。

 今回の研修参加者は、約55%がグループホーム世話人のみの支援経験で、残りの45%は法人事業者の職員として他の様々な現場の支援経験を持ってはいますが、その年数は1年から30年と分散しており、最頻値を出すことはまったくできない実態にありました。

その上、利用者の実態も、手帳の上で重度の人から軽度の人まで、中には強度行動障害の人も含む、多様な実態があるでしょう。

 このような現実を反映し、日々の支援の中で「行き詰まりを覚える」「このままでいいのかと悩む」事例には、たとえば、次のようなものが出てきました(ほんの一部です)。

  • ・配薬時に割り込んでいたずらをする
  • ・調理の最中に「背後霊」のようにつきまとわれる
  • ・「お気に入りの世話人さん」になった途端にストーカー行為が拡大した
  • ・利用者の帰宅する時間帯が最も忙しいときでもあるので話を聞いてあげられない
  • ・障害の状態像に波に応じた要求の易動性があり、対応に困難を感じる
  • ・排せつ未自立の利用者への対応に行き詰まりを感じている

 今回の研修では、絵カード・ピクトグラム等の視覚情報を中心とする拡張代替コミュニケーションのグループホームでの活用方途や、他の機関とのネットワークを活用したアセスメント・自立訓練等の課題へのアプローチなどを深めながら、グループホームにおける不適切な支援を克服していく手立てを明らかにしていきました。

 グループホームの世話人に非正規雇用で就いている年配者の多くは、語弊を恐れずに言えば、「お人好し」で「ちょっとおせっかい」な方が多く、制度上もそのような人を世話人に想定した設計になっていると思います。そこで、「一人で抱え込まない」「自分の経験値から独りよがりな判断をしない」などの点を、研修課題に含める必要があります。

 世話人の皆さんが「行き詰まりを覚える」課題の殆どは、日常生活経験の蓄積を超えた、専門的な判断を必要とするものですし、グループホームの建物の構造・間取り・動線のあり方そのものの客観条件を改善しなければ対応できない問題も数多く出てきます。

 「普通のおばさん」-これは、わが国におけるグループホームの制度設計のキーパーソンであった浅野史郎さんが、グループホーム世話人に確保すべき人材の質を表現するために用いた言葉です。

 一般就労をしている人や通所型の支援がふさわしい軽度の人たちの中で、生活面においても一般的な支えさえあれば地域生活が継続できる人にとっては、とても重要な社会資源です。ただし、若いライフステージにはグループホームが最適な人でも、加齢に伴って困難の重度化の進行が早い人たちはたくさんいますから、生涯の暮らしを見通すための社会資源では決してありません。

 しかし、若いライフステージの利用者に限定するとしても、制度創設の当初から、グループホームにおける「普通のおばさん」という支援者の位置づけについては重大な疑問を抱いてきました。「普通のおばさん」がいささかおせっかい気味に障害のある人の世話を焼くと、地域生活を安定して継続できるというのは、リアリティがあるようで丸でない。

 今回の研修で出された世話人の「行き詰まり」を覚える事例のほとんどは、「普通のおばさん」の問題解決能力をはるかに越える課題ばかりです。このように専門性が必要とされる課題に対して、生活と人生の日常生活の積み重ねによる経験値で押し切る支援をするとすれば、それが不適切な行為であることは間違いありません。

 ある程度までは日常生活の経験値だけで支援が成立するところがある一方で、専門的な知見と支援スキルがなければ不適切な支援から虐待になりかねないリスクをはらんでいるのです。障害特性・ニーズ・能力等のアセスメントから支援の見通しをもつのは、計画相談の担当だと考えるのは間違いで、それぞれの支援者が実務の日常において担保しなければならない営みだと言えるでしょう。

 社会福祉領域の支援の営みは、一般に、「日常的な経験の延長線上である程度できる」範囲のものとの連続と不連続をもって、「高度な専門性の問われる」支援課題が登場するのではないでしょうか。

 介護・福祉サービスに専門性が必要なのかどうかについて、ニーズの質的な区分から専門的サービスと非専門的サービスに整理分類したのは『在宅福祉サービスの戦略』(全社協、実際の執筆者は三浦文夫氏)です。

 衣食住の基本にかかわるニーズには、たとえば主婦をしてきた人たち(+ちょっとした研修)をマンパワーとする非専門的サービスで対応すると整理することによって、高齢化の進展に伴う福祉ニーズの増大に対して、一方では、在宅サービスである非専門的サービスの守備範囲を拡大し、他方では、施設サービスに対する需要を抑制する(当時の批判の仕方でいうと「福祉削減」)方針を明らかにしたものです。

 したがって、グループホームの「普通のおばさん」は浅野史郎さんの着想によるものではなく、高齢者の領域で財政抑制の観点から進めようとした「在宅福祉サービスの戦略」を障害者の「地域生活」に持ち込んだだけのものだというのが私の見解です。「在宅サービス」へのシフトに過ぎないものを、ノーマライゼーションや「地域生活」への転換にねじ曲げてすり替える議論の起点と言っていいでしょう。

 実務的な観点からみた三浦氏の〈ニーズ=サービス〉論は、施策立案における技術的な概念として「自治体ごとにどのようなニーズが、どの程度の量としてあるのか」を明らかにし、それに対応するサービスを施策として組み立てる上では技術的な操作概念として意味があり、評価できるものです。

 しかし、特定の〈支援者-利用者〉関係における個別具体的な支援サービスを運ぶ上で、専門的なサービスに対応するニーズとそうでないニーズを区別することには、さほど重要な点ではありません。グループホームでは、これらの間に連続と不連続があることを踏まえた専門的な支援を、一人の世話人が切れ目なく対応する以外方法はありません。それが、枠組みを小さくした生活単位における支援の宿命です。

 16時からの30分間は洗濯物を取り入れるから非専門的サービスだから「普通のおばさん」が対応し、16時30分からの30分間は就労先での「使用者による虐待」の疑いのあることを話してきたから「専門的なワーカー」で対応する何てできっこないでしょう。

 ここで、〈ニーズ=サービス〉論の枠組みだからこそ個別支援計画の作成実務を見通すことができるという反論があるかもしれません。介護保険の場合は、生活ニーズを捨象した上で介護保険サービスに対応するニーズしか捕捉しない仕組みになっていますから、私の指摘している問題点は、制度上の〈ニーズ=サービス〉の枠組みの内側にいる限り見えてこないのです。生活上の包括的なニーズを議論の出発点に据えることによってはじめて浮上し、明らかになる課題です。

会場はビッグパレットふくしま
-この建物の費用対効果は如何に?

 最期に、グループホームの職員研修の経験から抱いてきた実感を記しておきましょう。もし、「三年後の見直し」によってグループホームを重度の方の受け皿にするとすれば、施設設備費と支援者の人件費を底上げする補助金について、少なくとも現行の3倍程度に引き上げる必要があると思います。そうでなければ、不適切な支援が広範囲に拡大して潜在化し、世話人のなり手不足も慢性化して開店休業状態のホームが目立つようになるかに帰結するだけでしょう。