メニュー(閉じる)
閉じる

ここから本文です

宗澤忠雄の福祉の世界に夢うつつ

宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

疲労が溜まりやすい福祉の現場。
皆さんは過度な疲労やストレスを溜めていませんか?
そんな日常のストレスを和らげる、チョットほっとする話を毎週お届けします。

プロフィール宗澤 忠雄 (むねさわ ただお)

大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。
さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

神戸少年A家裁審判「決定」の全文公表

 1997年に起きた少年A(「酒鬼薔薇聖斗」)神戸連続児童殺傷事件に関する家庭裁判所審判「決定」の全文が、雑誌『文藝春秋』5月号で公表されました。

 この公表に記事を寄稿した共同通信編集委員の佐々木央(ささきひさし)さんは、事件発生当時の共同通信神戸支局のデスク(次長)であり、「決定」全文の提供者はこの事件を家裁で担当した井垣康弘・元判事(現、弁護士)です。

 この公表をめぐっては、公表を進める側と神戸家裁との間で鋭い意見の対立がありました。神戸家裁の岡原剛所長は、文藝春秋、佐々木央さんおよび井垣康弘さんに対して抗議文を送っています。

 井垣弁護士は、「事件を理解する上では、決定要旨で省かれた加害男性の生育歴について、正しい情報を共有することが必要。少年法と照らしても、公開は特に問題はないと考えている」とします。

 佐々木央さんは文藝春秋に寄せた記事の中で、次のような主旨を展開されています。それは、少年法の定める審判の非公開や少年事件に関する匿名性の確保の重要性を認めた上で、この事件のもつ重い意味、とくに、子どもと事件、子どもと社会のあり方について見直す教訓の礎として、すべての人が共有すべき「決定」であるというものです。

 これらに対し、神戸家裁は「非公開とされる少年審判に対する信頼を著しく損なうもの。事件関係者に多大な苦痛を与えかねず、誠に遺憾」と厳しく批判しています。

 佐々木さんも記事で指摘していますが、2014年12月に発生した名古屋市女性殺人事件で逮捕された女子大生は、「人を殺してみたかった」と供述し、1997年の神戸少年A事件に多大な影響を受けたと告白しています。

 このように「殺してみたかった」「解剖してみたかった」というタイプの殺人事件が繰り返し発生している事実に対して、犯罪防止の観点から社会全体が共有すべき教訓や知見を積極的に公開することは、当たり前のことではないでしょうか。

 とくに、私はさまざまな殺人事件の多くに、子ども虐待の絡む事実があることを看過できないと考えてきました。1989年連続幼女殺害事件の宮崎勤死刑囚(すでに死刑執行)や1999年山口県光市母子殺害事件の死刑囚の生育歴においても子ども期の著しい被虐待経験があったと公判の経緯の中では明らかにされています。しかし、わが国の司法は、罪の有無と量刑を決定するだけの機関のようで、犯罪防止に司法として何をなすべきかと言う問題意識を果たして重視しているのかについては疑問を禁じ得ません。

 今回公表された「決定」の中では、当時の「決定要旨」では隠されていた次のような重要部分がでてきます(頁数は、雑誌『文藝春秋』5月号)。

「母は生後10月で離乳を強行した。具体的な事は分からないが、鑑定人は、1才までの母子一体の関係の時期が少年に最低限の満足を与えていなかった疑いがあると言う」(319頁)

 これは虐待に由来して「愛着障害」が発生していたという指摘でしょう。また、小学3年時の事実認定には次のような部分があります。

「そのうち少年が、『お母さんの姿が見えなくなった。以前住んでいた家の台所が見える』等と言い、眼の焦点が定まらない等様子がおかしくなって、医師の診察をうけた。母の過干渉による軽いノイローゼと診断され、『親の仕付けが厳しすぎる。早まって口出ししたり、過去のことをくどくどと言わず、子供の性格を理解した上で仕付けをしなさい』と指導を受けた」(322頁)

 さらに、中学1年頃になると、他害行為や万引きにいやがらせ行為が頻発するようになって、学校は児童相談所に行くように勧めたところ、母親は少年を病院に連れて行って、次のような指摘を受けています。

「診断の結果、医師は母親に対し発達障害の一種の注意欠陥(多動)症で、認知能力に歪みがあり、コミュニケーションがうまく行かないので、過度の干渉を止め、少年の自立性を尊重し、叱るよりも褒めた方が良いと指導した」(324頁)

 1999年に出版公表された少年Aの父母の手記があります(「『少年A』この子を生んで…父と母悔恨の手記」、2001年、文春文庫)。以前にこれを読み、二つの疑問を抱いてきました。

 一つは、この手記によると、あくまでも普通の家庭の、普通の子育てをしてきたという内容になっている点です。もう一つは、長男Aをめぐる子育てと暮らしが描かれているにも拘らず、長男Aのどこを慈しんでいたかがさっぱり分からない点です。

 前者については、現代における子育てという営みが一般に陥りやすい問題点を明らかにしていると考えます。つまり、現代の家族は自らの子育てを相対化したり点検する契機をほとんどなくしていますから、よほどのことがない限り、自分たちの子育てが「普通」だと思い込んでしまうのです。これは、少年Aの父母だけの問題では決してありません。

 公表された「決定」が指摘するように0歳児の時代における愛着形成に問題があったのかもしれません。この文庫本の方でも、生後1か月くらいの時点で、次のような養育をしていたことが母親の手記として明らかにされています。生後1か月の段階で、排せつ自立を目指していたのでしょうか。

「8月5日 今日初めてトイレでウンチさせた。なるべく早く、そういう習慣を付けよう」(文庫本137頁)

 もう一つの疑問点である、慈しみを感じられないことについてです。ここには、虐待の所産としての発達障害なのか、発達障害と不適切な養育の相互作用の結果であるのかについては不明ですが、発達障害に由来する親子関係づくりの困難があったのかもしれません。また、多くの現代家族は、慈しみ合いと支え合いを育む親密圏としての性質を見失いがちである点で、やはり少年Aの家族だけの問題ではありません。

 不適切な養育・虐待と子どもの成長・発達の視点から、多くの少年事件や殺人事件を考察し、犯罪防止と子どもの人権擁護を進める責任が法曹界にもあると考えます。このような観点から、私は神戸家裁の抗議文よりも佐々木さんと井垣さんの主張に賛成です。

スーパーも新規参入したドーナツ

 さて、ミスタードーナツとコンビニ各社との「ドーナツ戦争」が激しくなっていると盛んに報じられてきました。すると、地元のスーパー製パン部も「ドーナツ戦争」に参入しているのを発見しました。試食してみましたが、ヤオコーのドーナツは侮れない! 埼玉県内では、ミスド・コンビニ・ヤオコーによる三つ巴のドーナツ戦争が始まっています。