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梶川義人の虐待相談の現場から

梶川 義人 (かじかわ よしと)

様々な要素が絡み合って発生する福祉現場での「虐待」。
長年の経験から得られた梶川さんの現場の言葉をお届けします。

プロフィール梶川 義人 (かじかわ よしと)

日本虐待防止研究・研修センター代表、昭和女子大学・淑徳大学短期大学部兼任講師。
対応困難事例、家族問題担当ソーシャルワーカーとして約20年間、特別養護老人ホームの業務アドバイザーを約10年間務める。2000年から日本高齢者虐待防止センターの活動に参加し、高齢者虐待に関する研究、実践、教育に取り組む。自治体の高齢者虐待防止に関する委員会委員や対応チームのスーパーバイザーを歴任。著書に、『高齢者虐待防止トレーニングブック-発見・援助から予防まで』(共著、中央法規出版)、『介護サービスの基礎知識』(共著、自由国民社)、『障害者虐待』(共著、中央法規出版)などがある。

生真面目介護の落とし穴

 私は、本でもテレビ番組でも映画でも、ミステリーものが大好きです。わけてもテレビ番組は、何十時間も録画できますから、一日中ミステリー三昧の休日を過ごすこともあります。

 何故それほど好きなのか深く考えはしませんでしたが、「物語」の面白さ、とくに意外性と蓋然性に惹きつけられるのかもしれません。意外性はあったほうが良いけれど、荒唐無稽なのでは興ざめしますから、話の展開には蓋然性が欲しい、というわけです。

 そこで、奇抜なトリックや数奇な運命といった意外性と、登場人物の言動の背後にある心の機微などの蓋然性を、ともに求めることになります。ですから、私のミステリー三昧の休日は、意外性と蓋然性というシャワーを浴びているようなものです。

 実は、このことは、私が情熱を注ぐ虐待事例の収集と似ています。というのも、虐待の事例に含まれる物語は、概して意外性と蓋然性が高いからです。その一方で、それなりの普遍性もありますから、名作ミステリーを集めるのに等しいと言えるのかもしれません。
 コントロールフリークはその一つですが、「生真面目介護の落とし穴」というものもあります。これは、生真面目に介護しているのに、何かに囚われているため、思ったとおりにいかず、気づいたら一線を越えてしまう、という事例です。

事例1:夫による妻への暴言や暴力の例

 夫は、若くして小学校長に抜擢され、教育に相当な自信を持っている。そして、妻が若年性の認知症となったとき、夫は、妻に対して「三角食べ(ご飯→味噌汁→おかずのように順序よく食べる方法)」を強要するなど、小学生に対するように接し始めた。しかし、認知症ケアに管理教育的手法はなじまず、妻はよく暴れるようになった。夫は、抑止のために暴言をはき暴力も辞さなくなる。

事例2:娘による母への暴言の例

 娘は、医師という仕事柄のため、支援者に弱音も吐けないし、家族介護者としても「キチンとせねば」という気持ちが強い。そのため、公私にわたり常に完璧でいなければならず、いつも緊張状態にあった。一方、認知症の母は、もともと完璧主義であり、今でも娘の小さな”しくじり”を見逃さず批判する。結果、娘は蛸壺状況に陥り、母を時々罵倒するようになる。

 案外、こうした事例の事前評価はシンプルです。つまり、介護は素人もプロも、PDCAを辿ることに変わりはないけれど、フィードフォワードが上手く働かず、落としどころが現実的でないという仕組みです。実際、どちらの事例でも、「自分式のケア」に綻びがあります。したがって、単に「介護ストレス→虐待行為」とまとめるのではなく、虐待者と一緒に、現実的な落としどころを見出していきます。

 そのプロセスは、精神科医エリザベス・キューブラー=ロス氏の「死の受容プロセス」とほぼ同じで、「否認・怒り・取引・抑うつ・受容」と山あり谷ありです。そして、支援者は、虐待者が自分式のケアの失敗を認め改善策を考えるこの道のりを、虐待者とともに歩むことになります。

「生真面目睡眠の落とし穴だ!」
「ただの寝坊でしょ?」