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梶川義人の虐待相談の現場から

梶川 義人 (かじかわ よしと)

様々な要素が絡み合って発生する福祉現場での「虐待」。
長年の経験から得られた梶川さんの現場の言葉をお届けします。

プロフィール梶川 義人 (かじかわ よしと)

日本虐待防止研究・研修センター代表、昭和女子大学・淑徳大学短期大学部兼任講師。
対応困難事例、家族問題担当ソーシャルワーカーとして約20年間、特別養護老人ホームの業務アドバイザーを約10年間務める。2000年から日本高齢者虐待防止センターの活動に参加し、高齢者虐待に関する研究、実践、教育に取り組む。自治体の高齢者虐待防止に関する委員会委員や対応チームのスーパーバイザーを歴任。著書に、『高齢者虐待防止トレーニングブック-発見・援助から予防まで』(共著、中央法規出版)、『介護サービスの基礎知識』(共著、自由国民社)、『障害者虐待』(共著、中央法規出版)などがある。

私の先(未来)を生きた先生

 先日、105歳の医師・日野原重明先生が逝去されました。先生は、「生活習慣病」の提唱、人間ドックや緩和ケアの先進的な実践、社会で活躍する高齢者の体現など、皆の幸せにつながる活動を展開してこられましたから、その影響力ははかり知れません。

 先生は、わが国初のハイジャック事件である「よど号事件」の人質になったのを契機に、「残された命を社会のため(誰かのため)に使う」実践をしはじめたそうですが、後には、わが国の犯罪史に残る「サリン事件」の被害患者数の最多受け入れ病院の院長として陣頭指揮にあたられましたから、めぐり合わせも感じられます。

 しかし、実は、「まれのまれにしかない事でも準備するのは人間の知性の最高のこと」として、病院を大災害に備えた病院づくりをしておられますから、大変な慧眼の持ち主でした。また、自らの体現する「高齢者の活躍できる社会づくり」を訴えるとともに、ライフワークとして国内外の小中学校に出向いて「いのちの授業」を行うなど、道なき道を切り拓く行動力もお持ちでした。

 いのちの授業に込めた先生のメッセージは、「人には、寿命という限界があるからこそ、自分の時代に完成するというのではなく、あとに残すことを考えたほうが良い」という精神であり、まさに、第5の立脚点(実現主体中心の立脚点)の境地におられたのだと思います。

 この意味で、日野原先生は、私の先に生まれたから先生なのではなく、私の先を生きるからこその先生であり、敬愛の情を込め「先生」とお呼びしたい、数少ない方でした。

 私は、先生がよど号事件に遭遇してこの境地に達した時期とほぼ同じ年齢ですが、先々、実現主体中心の立脚点に立てる自信はありません。しかし、そんな私を慰めてくれるものがあります。それは、「NO PROBLEM(問題ない)品」という呼称です。

 「NO PROBLEM品」とは、製造過程でできた傷など、機能や性能に問題はないのに、いわゆる「B品」とされ、世に出ることのない日用品を指します。ところが、消費者に通常品と同じように受け入れる寛容さがあるなら、問題ない品として世に出られます。

 確かに、少しの傷でもあればそれは規格外品となるのが一般的でしょう。しかし、木材など自然の素材を使って作られた工芸品などは、さまざまな大きさやカタチをした傷こそが味となり、商品価値は高まりさえします。

 ですから、皆同じく無傷で造られる筈だった工業製品にある傷を、「個性」として受け入れるとしても、別に不思議ではないのかもしれません。事実、あるお店では、工業製品にある「傷」に、たとえば「流星(ながれぼし)」などの名前をつけて販売している、といいます。

 こうお考え頂ければ、第3か第4の立脚点あたりが関の山であるB品の私も、通常品と同じく世に出ていけますので、皆様よろしくお願い申し上げます。

「梶川君、理解できている?」
「よく分かりません。先生」