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梶川義人の虐待相談の現場から

梶川 義人 (かじかわ よしと)

様々な要素が絡み合って発生する福祉現場での「虐待」。
長年の経験から得られた梶川さんの現場の言葉をお届けします。

プロフィール梶川 義人 (かじかわ よしと)

日本虐待防止研究・研修センター代表、昭和女子大学・淑徳大学短期大学部兼任講師。
対応困難事例、家族問題担当ソーシャルワーカーとして約20年間、特別養護老人ホームの業務アドバイザーを約10年間務める。2000年から日本高齢者虐待防止センターの活動に参加し、高齢者虐待に関する研究、実践、教育に取り組む。自治体の高齢者虐待防止に関する委員会委員や対応チームのスーパーバイザーを歴任。著書に、『高齢者虐待防止トレーニングブック-発見・援助から予防まで』(共著、中央法規出版)、『介護サービスの基礎知識』(共著、自由国民社)、『障害者虐待』(共著、中央法規出版)などがある。

人形劇を侮るなかれ

 何十年かぶりで人形劇を観に行きました。演目は、宮沢賢治の『注文の多い料理店』です。本当に楽しかったのですが、その楽しさは、人形を見て童心に返ったとかテーマが社会派なので感じ入ったとか、というだけでは説明しきれません。きっと、人形劇には、老若男女に通じる普遍的な何かがあり、私は、その何かに魅了されたのだと思います。

 実は、私には、何に魅了されたか、思い当たる節があります。それは、「立脚点の移動」です(立脚点については、2013年09月05日のブログ「私の世界、あなたの世界、そして私たちの世界」を御覧ください)。よく、他者の状況について「共感的に理解しなさい」とか、自分の状況について「客観的に見なさい」と言われますが、いずれもそう簡単にはいきません。実生活では、なかなか適切に立脚点を移動できないからです。

 夏目漱石は、著書『草枕』のなかで、「智に働けば角かどが立つ。情に棹さおさせば流される。意地を通とおせば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」、「どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る」と述べています(「青空文庫」)。私なりにこれを解釈すると、「実生活では、如何なる立脚点に立とうと、何らかの困難を伴うが、その悟りの境地にあるのが芸術活動だ」と言っているかのように思えます。

 ここで注目したいのは、実生活での立脚点の移動には困難さを伴うけれど、芸術活動なら立脚点の移動は比較的容易にできるという点です。観劇のとき、いとも簡単に共感的にも客観的にもなれるのは、このためだと思います。

 ところで、立脚点の移動は、虐待事例に対応する者にとって、必要不可欠なものです。私は、このことを「ホットな心とクールな頭」と呼んで、研修などで強調しています。しかし、虐待事例への対応は、対応する者にとっては実生活そのものですから、やはり多くの困難さを伴います。

 そのため、立脚点を移動するトレーニングが必要になるのですが、立脚点の移動を容易に体感できる芸術活動は、大いに活用できると思うのです。私は以前、こうした漠然とした発想のもと、高齢者虐待の防止研修のなかで、演習にペープサート(紙人形劇)を取り入れたことがあります。

 「シナリオ作り」では、事例全体を客観的に把握できるし、素の自分ではなく、「人形に演じさせる」ことを通して、登場人物の心情の追体験や、自らの客観視もできるだろう、と考えたわけです。

 そして、A5サイズに収まる程度の事例概要と、主だった登場人物について、それぞれ特徴を数行で示した資料をもとに、7、8人のグループで話し合って「虐待解決への道」をシナリオにし、紙人形を使って演じてもらいました。

 結果は、実践力の高さと劇の説得力は比例すると、強く思わせるものでした。

 おそらく、立脚点の移動が適切にできると、事例と支援の本質的な部分を的確に把握できるため、劇にも説得力をもたせられるのだと思います。あるいは、「難しいことを分かり易く伝える」ことに通じるのかもしれません。まさに、人形劇を侮るなかれ、です。