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梶川義人の虐待相談の現場から

梶川 義人 (かじかわ よしと)

様々な要素が絡み合って発生する福祉現場での「虐待」。
長年の経験から得られた梶川さんの現場の言葉をお届けします。

プロフィール梶川 義人 (かじかわ よしと)

日本虐待防止研究・研修センター代表、昭和女子大学・淑徳大学短期大学部兼任講師。
対応困難事例、家族問題担当ソーシャルワーカーとして約20年間、特別養護老人ホームの業務アドバイザーを約10年間務める。2000年から日本高齢者虐待防止センターの活動に参加し、高齢者虐待に関する研究、実践、教育に取り組む。自治体の高齢者虐待防止に関する委員会委員や対応チームのスーパーバイザーを歴任。著書に、『高齢者虐待防止トレーニングブック-発見・援助から予防まで』(共著、中央法規出版)、『介護サービスの基礎知識』(共著、自由国民社)、『障害者虐待』(共著、中央法規出版)などがある。

声無き叫びに耳を傾ける

 研修を終えた帰りには、決まって「ああすれば良かった」、「こうすれば良かった」と、アイデアが浮かんできます。講師として沢山話をしたことで、私の脳は興奮しているのでしょう。先日も例により、研修テーマであるコミュニケーションについて、あれこれ考えました。

 たとえば、「あの人と話すと嫌な気持ちになる」「意味がわからない」「聞き取れない」など、コミュニケーションに支障があることも、虐待者を苛立たせるから、リスク要因の一つだと言えるとか、虐待対応のおもな手段はコミュニケーションだ、といったことです。

 とくに、非言語的コミュニケーションについて、考えが膨らみました。コミュニケーションは言語3割、非言語7割といわれるわりに、私たちは、言葉のやりとりのみに注目しがちだからです。

 私も、非言語的コミュニケーションに焦点を当てた、ロールプレイやグループワークを行いたいと思っているのですが、当然ながら参加者は言葉の通じる人々なので、これがなかなか難しい。

 そこで、「非言語10割のコミュニケーション、それも、手話のような言語的ではないカタチとは、どんなものなのか」を自問自答していました。すると、随分昔のことを思い出しました。

 今から30年ほど前になりますが、事例をとおして介護や相談について考える研究会に参加し、「言葉の通じない重度の認知症者にはどう対応すればよいか」というテーマで話し合ったときのことです。「言葉の通じない生き物を相手にしたとき、私たちはどうしているのかを考えて、それを参考にすれば良い」という結論に達しました。

 たとえば赤ちゃんの場合、はじめはただ泣いているだけにしかみえませんが、慣れてくると、「ああ、お腹が空いたんだな」「オムツが汚れたんだな」と、察することができるようになってきます。

 犬や猫が相手の場合も同様であり、私たちは五感総動員の参与観察から、相手の言動のパターンや法則性を見いだそうと、仮説と検証を繰り返し、ある程度相手を察することができるようになってくる、というわけです。

 ところで、対人援助のエキスパートは、「対人援助は植物を育てるのと同じ」という比喩をよく用います。眼前の植物が、本当に必要とすることを見極めて、それを手助けするだけでよい。余計なことはしないから、後は植物は自らの力ですくすく育つ、というのです。

 むろん植物は、赤ちゃんや動物よりさらに反応が分かりにくいため、より繊細な不断の観察が求められます。この意味で、認知症や精神障害や知的障害も、より重度者に対しては、むしろ植物に対するのと同じような感覚が必要になるのだと思います。

 まさに、「声無き叫びに耳を傾ける」を地でいくようなものです。

 障害者雇用促進法の施行以来、健常者と障害者が共に働く機会は増えました。しかし、「差別の禁止」や「合理的配慮の提供」に反するエピソードは、ときどき耳にします。やなり、対人援助職でなくとも、「声無き叫びに耳を傾ける」術を体得できる現任教育が必要なのだと思います。

 幸いにして、介護の現場は対人援助のプロだらけです。彼らのこの分野における活躍を、大いに期待します。

「これが、我が妻の声無き叫びか・・・」