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トウシツの歩き方――国境を越えて、統合失調症を越えて

フラーノ・哲平(ペンネーム)

ブラジル留学中に統合失調症を発症した著者が、2016年にはリオ五輪を控えているブラジルの文化を交え、悪戦苦闘しながらも症状を乗り越えていく軌跡を綴ります。(隔週木曜連載)

プロフィールフラーノ・哲平

1981年ポルトガル生まれ。東京・ブラジル育ちの日本人。ブラジル留学中に統合失調症を発症し、現在投薬10年目。日本に帰国後、症状に悩まされながらもなんとか大学院を修了。得意なポルトガル語を駆使したアルバイトを続けながら、いわゆる「フツー」に生活できるまでに寛解した。2012年10月にとある企業に就職し、仕事の合間にこよなく愛するブラジル音楽を演奏する日々を送っている。体育会系太鼓チーム『Baqueba(バッキバ!)』所属。

バッキバHP:http://baqueba.blogspot.jp/

第16話 度重なる神秘体験

黒人宗教カンドンブレ[1]の儀式の様子

 僕はサンパウロ空港のロビーで飛行機を一人待っていた。イグアスを後にし、サンパウロに宿泊の予定だった父たちとは別れ、今回の旅行での出来事を振り返っていた。「信じる者は救われる」という使い古された言葉が、生々しく僕の頭を支配している。誰かの想いを汲み取り、信じ抜くことで起こる偶然の連続。それが奇跡として現実に起こる。ある偶然が噂になり、噂が伝説になり、伝説が神話になる。モーゼは本当に海を割ったのではないか、と信じるようになっていた。

 僕は数々の出来事を体験し疲弊していた。この飛行機ではゆっくりしたい。飛行機に乗り込み座席を探す。予約した僕の席は窓際の席だったが、その席には背の高いスキンヘッドの黒人の男が座っていた。「席を代わってくれ」と言おうと思ったがそんな元気すらなかった。通路側の席には荷物が置いてあったので、仕方がなく真ん中の席に座ることにした。どうせ1時間余りのフライトである。その時間さえ我慢すればよいのだ。席に腰掛けボーっとしていると、黒人の女性が僕の右隣に座った。荷物の女性だ。すると黒人のスキンヘッドの男と会話を始めた。どうやら二人は僕が席に着く前から会話をしていたようだ。黒人の女性はポルトガル語を話すが強い訛りがあり、モザンビークかアンゴラかわからないが、アフリカ大陸出身だとわかった。真ん中に座る僕のことを気にすることもなく、二人は僕を挟んで会話を続けている。僕はそれ以上の興味を抱くこともなく機内をぼーっと眺めていた。

 飛行機が動き始め離陸しようとするその時だった。僕はあることに気づいた。飛行機の真ん中を挟んで左側の座席の電気はほとんどが点いているが、右側の電気がすべて消えていたのだ。そして、左側の乗客は会話を楽しんだり笑顔の人が多いのに対し、右側の座席の人々はみな暗い顔をしてうつむいているのだ。僕はイグアスのホテルでTさんと話した会話の内容を思い出した。

「テッペイ君、飛行機は前後にバランスを崩すのと、左右にバランスを崩すのではどっちが危険だと思う?」

 僕は前後だと思っていたが、Tさんが言うには左右だというのだ。散々議論しても納得はいかなかったが、しぶしぶ経験豊富なTさんのいうことを信じることにしたのだった。
 改めて機内の状況を見て僕はぞっとした。この飛行機のバランスは左右にバランスが崩れている。きっと飛行機の左半分は正のエネルギーで溢れていて、右半分は負のエネルギーで満たされているのだ。エネルギーバランスの悪さを感じずにはいられなかった。

(この飛行機は堕ちる)

 僕は直感した。旅行での体験が次々と僕の頭の中を駆け巡る。体験した奇跡的な出来事。自分の力だけでは到底起こらない奇跡的な経験をしてしまった。イグアスでは夜Tさんとホテルの庭で星を眺めながらいろんな話をした。その時におびただしいほどの流星を見た。自分の見たい方向に面白いように流星が現れた。僕は宇宙とも繋がっている感覚になっていた。僕は完全に神に認められた存在だと思っていた。僕の魂が宇宙を支配する神という強大な力と繋がっている。もちろん全人類が僕と同じように神と繋がっているが、僕はそれを感じることができる選ばれた人間なのだ。

 しかし、本当は近づきすぎてはいけないことだったのだ。タブーに触れてしまった僕を神が消そうとしている。偶然が重なれば奇跡が起きる。しかし裏を返せば、偶然が重なれば惨事も起きるということだったのだ。この飛行機に乗り込んだポジティブなエネルギーを持った者と、ネガティブな者が奇しくもちょうど左右に割れて座っている。Tさんと話した飛行機の話はこの状況を理解させるための布石だったのだ。

 機体は轟音を立てながら飛行を続けていた。僕は飛行機が堕ちる恐怖にガタガタと震えた。イメージしたことがすべて現実に起こる数日間を過ごした後だっただけに飛行機が堕ちることが現実感をもって僕の脳内を駆け巡っていたのだ。まるで痙攣をおこしているかのように震える僕を心配して、隣りのスキンヘッドの男が話しかけてきた。

「具合が悪いのか?日本人。」

「この飛行機は堕ちます」

 優しい口調で掛りかけてきた彼に僕は答えた。
「なんでそう思うのか聞こうじゃないか、友達よ。」
 まともに話すこともままならないほど震えながら、僕は今回の旅で起こったことや神に近づき過ぎたなどを彼に話し、こう締めくくった。
「僕は人生の運を使い切ったのできっと神に消されるんです。」

 黙って話を聞いていた彼は微笑みながら口を開いた。

「運を使い切ったってことは、これから更なる運を神が与えてくれるってことさ。神は殺さない。生かすのが神だ。」

 反対隣の女性も彼に同調し、会話に加わってきた。

「Passarinho! Ele é passarinho!(彼は小鳥。鳥なのよ!)」

 僕は酉年生まれだった。彼らは僕のことを短時間で理解し、更に上の次元から僕のことを見ているようだった。神通力とはこのことを言うのか。

「この間イギリスに行く飛行機に乗った時も、君の同胞が同じようになっていた。君たち日本人の魂は敏感なんだな。」

 彼は慣れたような仕草でおもむろに紙に何かを書き始めた。

「僕のメールアドレスだ。いつでも連絡してきなさい。アドレスはYENCANTI@・・・・・・。YENは君の国の通貨“円”、CANTIは彼女が言う“鳥が鳴く”という意味だ。そう、僕のアドレスは君のことを表している。私たちは君と出会うためにここに座っていたんだよ。君がこの真ん中に座るのを待っていたんだ。」

 彼はにっこりとほほ笑んでいた。僕は訳が分からなくなった。彼らには全てお見通しだったというのか?
 アフリカには数々の宗教があり、特別な力を持った人々がいるとは聞いてはいた。僕は黒人が何か特別な役割を持ってブラジルで暮らしているのではないかと思うようになった。

 飛行機が堕ちるイメージに支配され恐怖に震えていた僕は全く違う感覚に支配されていた。“Deus é brasileiro”(神はブラジル人)、このフレーズを信じずにはいられなかった。神を理解し、神と生き、神のように振る舞う。この黒人たちはきっとそういう役割を持って生きているのだ。
 飛行機は予定通り定刻でリオの空港に着陸したが、僕は全身の力が抜け、最後まで立ち上がることができなかった。

 強烈な旅だった。この旅を境に僕のブラジルに対する考え方、捉え方が変わってしまった。景色の見え方が変わった。しかしブラジルはブラジルであり続けているだけで、僕が今までとは違うステージに上がってしまったのだ。きっと僕が経験したようなことがこの国では日常的に起こっているのだろう。
 僕は大学の勉強なんかより神秘的な体験を重要視するようになっていき、大学の授業も欠席するようになっていった。それが真理に近づく唯一の道だと信じていた。

[1]^アフリカからブラジルに連れて来られた黒人によって脈々と受け継がれてきた宗教の一つ。第4話参照。