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トウシツの歩き方――国境を越えて、統合失調症を越えて

フラーノ・哲平(ペンネーム)

ブラジル留学中に統合失調症を発症した著者が、2016年にはリオ五輪を控えているブラジルの文化を交え、悪戦苦闘しながらも症状を乗り越えていく軌跡を綴ります。(隔週木曜連載)

プロフィールフラーノ・哲平

1981年ポルトガル生まれ。東京・ブラジル育ちの日本人。ブラジル留学中に統合失調症を発症し、現在投薬10年目。日本に帰国後、症状に悩まされながらもなんとか大学院を修了。得意なポルトガル語を駆使したアルバイトを続けながら、いわゆる「フツー」に生活できるまでに寛解した。2012年10月にとある企業に就職し、仕事の合間にこよなく愛するブラジル音楽を演奏する日々を送っている。体育会系太鼓チーム『Baqueba(バッキバ!)』所属。

バッキバHP:http://baqueba.blogspot.jp/

連載を終えて(2)

 ケアサポでの連載の終了を迎えるにあたり、周囲のサポートについて書きたいと思います。最後にこのテーマについて書こうと思ったのも、僕自身、周囲のサポートなしでは、決して寛解まで至れなかったと強く感じるからにほかなりません。サポートと一口に言ってもいろいろな形があると思いますが、僕個人の経験が何かの参考になれば幸いです。

 まず、精神科、心療内科などの医師とどう付き合うべきかについてです。ブラジル、日本の両方の国で医師にはお世話になりましたが、結論から言うと、医者は病気を治してはくれません。こう言うと、異論、反論もあるかと思います。しかし連載のなかで、現在の医療のことを“セイヨウイガク”と表現したのも、実際の治療に対して感じた気持ちを込めたかったからです。

 連載中でも触れましたが、患者にとって医師は、必ずしも自分の味方として映るわけではないと思います。現代の医学は基本的に対症療法ですから、症状を見て、その時その時に合った量の薬を処方して、様子をみながら治療を行っていきます。この薬が時として大きな苦しみを患者に与えるわけですから、患者である僕の立場から見ると自分を苦しめる敵のように映ることもありました。

 医師としては病名を付けた時点で、その患者自身のキャラクターではなく、病気にフォーカスがいくわけです。すべての医師がそうではないとは思いますが、僕には、患者本人の性格やパーソナリティよりも、「統合失調症の症状をどう軽減するか」ということだけで、その患者と向き合っているように見えてしまいました。今では「症状の軽減だけを見ること」を否定するつもりはありませんが、当時の僕にはすべての医師が医学書の知識に懐柔された一団のように見えていたこともあり“セイヨウイガク”と表現しました。

 もし自分の子どもが、突然幻聴が聞こえるようになったり、妄想に悩まされるようになったら、誰でもびっくりするはずです。そして、自分には十分な知識もないわけですからどうにかして治したいという思いで病院に連れていくことを考えると思います。前述しましたが医師の仕事は診断して、その症状にあった薬を処方して、経過を観察しながら薬を変えていくことが中心になります。一度統合失調症と診断されれば、よほどのことがないかぎり、服薬がなくなるということはないでしょう。そうして、薬がちゃんと効いているか確認しながら治療が続きます。

 医師によっては、カウンセリングなどを通して患者の理解者として、本人や家族との信頼関係を築くことも可能かと思います。しかし、病気に苦しんでいる本人は気付いているはずです。そのカウンセリングなどの方法論が、すべて精神病の患者の気持ちを和らげるために研究されたものであって、それ以上のものではないことを。きっと患者自身「放っておいて欲しい」と感じているケースも少なくないのではと推測します。

 どんなに親身になってくれる先生でも、医師と患者という立場は越えられません。一人と一人の人間の付き合いといくら言っても、決して越えられない壁がそこにはあります。逆に言えば、技術的に医師にしかできないことも沢山あります。その医師にしかできないことをよく理解したうえで、家族がサポートをしていくことがとても肝要だと思っています。「お医者様に任せておけば安心」という考え方は、精神病を患っている人に対しては、あまりにも酷だと思います。

 個人的な経験から考えると、寛解にとって一番大切なものは「愛」でした。そんなことはわかっていると思う方も多いかもしれません。しかし、僕にとって大事だったのは、僕のすべてを受け入れてくれる家族や恋人の姿勢でした。統合失調症は良くも悪くも後天性の病気です。生まれて発症するまでの20年余りは周りの人たちと変わらない生活をしていたのに、「急にうちの子は変わってしまった」と、病気になる前の姿と比較して、「昔は普通、今は病気」と考えてしまうのではないでしょうか。「昔のように元気になって欲しい」と考えてしまっているのではないでしょうか。それは、本人にはとっても辛いプレッシャーです。誰よりも本人がそれを願いながら苦しんでいるし、「こんな病気になりたくなかった」と思っているはずです。

 僕の場合、近くにいてくれた恋人の存在が一番の薬となりました。病気を克服したい、なんとか元気に振る舞いたい、という僕の無理を見抜いて、「変わらなくていいよ」という言葉を掛けてくれました。この一言にどれだけ救われたか。今思い出しても、これ以上の温かい言葉はありませんでした。つまり、「今のあなたのすべてを受け止めてあげる」という彼女の姿勢が本当の救いだったのです。彼女は少しずつではあるけど活動の幅を広げ、小さいけれど努力し続けている僕の姿を見てくれていたのです。「すぐには変われないだろうけど、その気持ちがあるだけで必ず変わっていく。だから焦らなくていいんだよ」と大きな愛で僕と病気を受け止めてくれました。

 また、家族のサポートも大きく僕を支えてくれました。とはいえ、僕の家族は、僕が統合失調症だからといっても、特別なことは何もしませんでした。むしろ、発症する前と全く変わらない接し方で、僕と付き合ってくれました。父に至っては、車に乗るときに、「気分はどう?」と言いながら、まだ僕の症状が重い時なのにもかかわらず、僕に運転させたりしていました。もちろん、主治医に相談の上でのことですが、普段の接し方と変わらなさ過ぎて、逆に僕の方が不安になるほどでした。

 こういった周りの「受け止め、受け入れ、いつもと変わらない接し方をする」というサポートが、僕を寛解へと導いたと思っています。

 当事者は周囲の心配以上に苦しみ、「楽になりたい」と誰よりも思っているはずです。そこに周囲の人が過度に「よくなってほしい」という期待をもって接してしまうと、かえってプレッシャーになり、本人を苦しめてしまう可能性があります。統合失調症になったところで、その人が別人になってしまったわけではないのですから、調子が悪い時期があっても、それも今までの本人の延長でしかないと思える余裕をもって接することが重要だと思います。どんなに症状が軽くても、寛解までは時間のかかる病気なのですから、焦りは禁物だと思います。

 最後に、父の言葉を紹介してこの連載を終えようと思います。それは、京都の下宿で父と二人きりで話をしている時のことでした。僕が病気に対しての文句を散々吐いた後に、父は「哲平はユニークなんだね」と言いました。ユニークとは英語で“唯一の、特有の、独特の、珍しい、変わった、”という意味がありますが、「哲平は他の人とは違う、唯一の存在なんだよ」という父の言葉によって、「僕は僕らしくあればいいんだ」と思うことができるようになりました。

 統合失調症の人には統合失調症の人なりの人生や生活があるはずです。他の人と比べるのではなく、その人自身の人生を本人が選択できる社会になればいいと考えます。僕自身も病気にほんのりと甘えながら、これからもトウシツ生活を精一杯生きていきたいと思っています。

 今後、統合失調症への社会の理解が少しずつ深まっていくことを祈りながら、筆を置きたいと思います。連載の機会を与えて頂き、決して僕の書きたいことを否定せず、原稿に寄り添いながら編集作業にあたって頂いた中央法規の中島さんには感謝してもしきれません。また、何一つ押し付けることなく、僕のやりたいことをやりたいようにやらせてくれ、大きな愛で接してくれた家族にも感謝の気持ちで一杯です。「変わってしまった哲平」ではなく、「経験豊かな哲平」として、僕自身を丸々受け止め接してくれた友人たち、そして、今月入籍し僕の人生全てを受け止めて、これから生活を共にする決心をしてくれた愛妻にも最大限の感謝を述べたいと思います。

 2年に及ぶ連載にお付き合いいただき、本当にありがとうございました。

フラーノ・哲平

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