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トウシツの歩き方――国境を越えて、統合失調症を越えて

フラーノ・哲平(ペンネーム)

ブラジル留学中に統合失調症を発症した著者が、2016年にはリオ五輪を控えているブラジルの文化を交え、悪戦苦闘しながらも症状を乗り越えていく軌跡を綴ります。(隔週木曜連載)

プロフィールフラーノ・哲平

1981年ポルトガル生まれ。東京・ブラジル育ちの日本人。ブラジル留学中に統合失調症を発症し、現在投薬10年目。日本に帰国後、症状に悩まされながらもなんとか大学院を修了。得意なポルトガル語を駆使したアルバイトを続けながら、いわゆる「フツー」に生活できるまでに寛解した。2012年10月にとある企業に就職し、仕事の合間にこよなく愛するブラジル音楽を演奏する日々を送っている。体育会系太鼓チーム『Baqueba(バッキバ!)』所属。

バッキバHP:http://baqueba.blogspot.jp/

第23話 闘病生活の幕開け

シェアハウスの窓から顔を出す筆者。グアナバラ湾を挟んだ奥に見えるのはリオの観光地ポン・ジ・アスーカル。

「起きなさい」

 僕はすっかり寝てしまっていた。窓にはカーテンがかけられ、蛍光灯の光が夜であることを教えてくれていた。体が重く、頭が鈍い。再び僕は薬の緊縛をかけられている。ボーっとする意識の中、医師の集まる場所へと向かった。そして、再び薬を飲まされる。この薬が僕の力を奪っているのは明白だった。しかし、ここにいる限りはこのやり方に従うしかないことも理解していた。というよりも、それ以外の選択肢を思い浮かべ、その先に起こりうる事態を想像する力さえなかった。
 僕の前に2人の女性医師が座った。そのうちの一人は前に入院したときと同じくサンドラだった。

「テッペイ。あなたは再びここへ来てしまった。今度に限ってはあなたを簡単に退院させるわけにはいかないわ。あなたがここを退院する条件、それは保護者がここにあなたを迎えに来ることよ。」

 一瞬言葉を失った。ここに保護者が来ることを想像できなかったのだ。繁華街でたまにしか会わない友達が、初めて地元に遊びに来た時に感じる違和感のようなものかもしれない。完全に自分だけの世界と思っていた“コッチ”の世界に身内が乗り込んでくるのだ。しかし、一体誰が来るのだろうか?

「あなたのお母さんよ」

 翌日、サンパウロのカンピーナスという街に留学していた僕の大学の同期2人が病院に見舞いに来てくれていた。その一人は僕のことを見てからかうように、「さすが哲平さんやなぁ。来るとこまで来たなぁ」と言った。彼は入学以来僕のことを特別視してくれていた。そんな彼が誰よりも今の状況を理解してくれたようで僕は嬉しかった。何より日本語で生の会話をできたことに安心した。

その数時間後、母が到着した。僕が入院した時、母はちょうどポルトガルにいる知人を訪ねていた。驚くべき情報ネットワークで母は僕が二回目の強制入院をしたことを聞き、すぐポルトガルを出発し、ブラジルへと来ていた。

「やっぱりお袋だったか。」

 “お母さん”の正体を知りホッとした次の瞬間、母は僕のことを抱きしめた。

「私が治してあげるからね」

 僕はゾッとした。
 まず、母は僕を病気だと思っている。“治す”という言葉が口から出るということはつまり僕が“病んでいる”という理解をしているということである。今まで散々色んな人に「お前はおかしい」と言われ続けたが、現状ではセイヨウイガクでさえ何も解決しようとせず、僕から力を奪う薬を投薬し、脱力状態にすることしかしていない。以前、病名を医師に尋ねたことがあったが、「発作よ」としか答えてくれず、それ以上の説明はなかった。診断すらされていない状態にもかかわらず、事情も良く知らない母が口にした「治してあげる」という言葉の根拠が全く分からなかった。その過信ぶりも受け入れられなかった。

 さらに、母は独学の知識で大抵の病は対処できると思っている感があった。母自身も癲癇で数回倒れるという経験があるが奇跡的に回復した。母は自分が良いと思ったものをまっすぐに探究し、自分の知識として蓄えている。自分ができることをすれば、僕がきっとよくなると信じているのだ。唯でさえ過保護な母が“治す”というからには、僕はこの先ずっと母の知識の世界の中で、言いなりの人生になるのではないか。という考えがよぎった。

 ともかく母が来ることで僕はここから出ることができる。そういう意味では、わざわざブラジルまで来てくれた母に感謝していた。

 退院前にサンドラと再び面談する機会が与えられた。前回と同じ個室だ。

「退院できるわね。よかったじゃない。最後に何か言いたいことはある?」

 僕は溜まっていたものを吐き出す機会だと思い、思っていることをサンドラにぶちまけた。

「あなたたちセイヨウイガクに携わる人間は勉強不足なんじゃないですか?あなたたちは西洋で興った学問をベースに理論を構築して今の医学に反映させているみたいだけど、では東洋のことをどれだけ勉強しているんですか?僕は東洋人で、日本人です。日本人はあなたたちと違う感性で生活しているんです。ある学者は言っています。西洋人は虫の鳴き声を右脳で聞き取るから雑音としてしか聞こえないけど、日本人は言語と同じ左脳で処理する[1]。つまり、僕たち日本人は虫と会話できるんです。僕ら日本人は自然と共に生活しているんです。こういうことを知らないで日本人の僕を異常な人間として扱うのは甚だおかしいのではないですか?」

「私たちはあなたが人を傷つけたり、自殺するのを怖れてこういう処置を施しているのよ。」

「僕のことを何も知らないのに?確かにゴッホなど芸術家で自傷する人はいたけど、それにしても僕とのコミュニケーションが少なすぎじゃないですか?」

 彼女は僕の話を親身に聞いているというポーズを終始見せ、面談は終わった。そして、最後に一言だけ付け加えた。

「薬は飲んでね。」

 僕は母一緒に院内の薬局で一か月分の薬をもらい、病院を後にした。この日から僕の“闘病生活”が幕を開けるのだった。

  • [1]^角田忠信著『日本人の脳―脳の働きと東西の文化』、大修館書店、1978